お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

第五福龍丸建造の地

2025年03月30日 16時00分00秒 | 行楽・旅行記5

和歌山県東牟婁郡古座川町、古座川河口そばの駐車場に車を止めました。

古座川の河口を渡る国道42号線の橋のたもとによく整備された公園がありました。

3月17日

第五福龍丸建造の地(和歌山県東牟婁郡串本町)

1954年3月に南洋マーシャル諸島のビキニ環礁で、アメリカの水爆実験「ブラボー」の影響を受け、乗組員23人が被爆した遠洋マグロ漁船「第五福龍丸」はこの地で建造されました。

昭和22年(1947年)、和歌山県東牟婁郡古座町(現 串本町)で建造されたカツオ漁船の第七事代丸(ことしろまる)が進水しました。

昭和53年(1953年)に静岡県焼津でマグロ漁船に改造され、第五福龍丸に改称しました。

その翌年にビキニ環礁での水爆実験で死の灰を浴びて乗務員が被爆。被爆から半年後には無線長の久保山愛吉さんが死亡しました。。。

第五福龍丸被爆事件は、その後の原水爆禁止運動の原点となり、串本町は第五福龍丸建造の地として、平成19年(2007年)に「非核・平和の町」宣言を決議しました。

第五福龍丸は、1976年に開館した東京都立第五福龍丸展示館(夢の島公園)に永久展示されてます。

過去記事<紀伊大島  トルコ記念館

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チョロQ 豊橋鉄道市内線LRV

2025年03月30日 08時08分47秒 | チョロQ

本日はミニカーのお話です。

2008年に豊橋鉄道から発売されたチョロQ「豊橋鉄道市内線 LRV T1000形」をご紹介。

豊橋鉄道市内線へのT1000形の導入を記念して、限定8,000台でチョロQが発売されました。

T1000形電車は、豊橋鉄道が保有する超低床型の路面電車車両で、「ほっトラム」の愛称を持ってます。

LRVはLight Rail Vehicleの略で、狭軌軌道車両のこと。「ほっトラム」の「ほっ」は、和むイメージだけでなく、東三河地方を指す「穂の国」とも掛けているそうですよ。

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紀伊大島 トルコ記念館

2025年03月29日 19時00分00秒 | 行楽・旅行記5

3月17日

トルコ記念館(和歌山県東牟婁郡串本町)

紀伊大島樫野崎で1890年に発生したオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難の記録を今に伝えるトルコ記念館。

前に樫野崎を訪れた時は見学できませんでしたが、今回はこの記念館にも入ってみました。

オスマン帝国(現在のトルコ)の木造フリゲート艦エルトゥールル号は、1887年に行われた小松宮夫妻のイスタンブール訪問に応えることを目的に海軍の航海訓練を兼ねて大日本帝国へ派遣されました。

1890年に日本に到着して皇帝親書を明治天皇に奉呈し、オスマン帝国最初の親善訪日使節団として大きな歓迎を受けました。

しかしその帰路、台風による強風にあおられて船は紀伊大島の樫野崎の岩礁に激突

写真の一番奥の岩あたりが座礁した場所です。

座礁したエルトゥールル号は機関部に浸水して水蒸気爆発を起こして沈没し、司令官をはじめとする600名以上が海へ投げ出されました。

樫野崎灯台下に流れ着いた約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりつき、灯台守が驚いて応急手当を行ない、お互いの言葉が通じなかったものの、国際信号旗を使用して、遭難したのがオスマン帝国軍艦である事を知りました。

和歌山県知事から島民に送られた感謝状

通報を受けた大島村樫野の住民たちは総出で救助にあたり、69名が救出され生還することが出来た一方、残る587名は死亡または行方不明となる大惨事となりました。

大島村の村長は県を通じて大日本帝国政府に通報し、知らせを聞いた明治天皇は政府に対して可能な限りの援助を行うよう指示しました。

日本帝国海軍のコルベット艦、「比叡」と「金剛」が遭難事故の20日後に東京品川から出航、神戸の病院に搬送されていた生存乗員を神戸港で収容し、翌年の1891年にオスマン帝国の首都イスタンブールまで送り届けました。

後にエルトゥールル号が沈没した海底から引き揚げられた遺品が展示されてました。

時は流れ、イラン・イラク戦争が激しくなった1985年、サダム・フセインがイラク領空を飛ぶ飛行機は全て撃墜するとしたタイムリミットまで残り1時間・・・。

各国がイラク在留の自国民を救うために特別機を飛ばす中、日本は航行の安全が保証できないとして救援機の派遣を見送ってしまいました。脱出の手段を断たれて空港で足止めされ途方にくれていた在留邦人125名。。。

その前に舞い降りたトルコ航空機は邦人全員を乗せて辛くもイラクを脱出することに成功しました。

この出来事に日本政府は全くタッチしておらず、後に駐日トルコ大使は「私たちはエルトゥールル号のご恩は忘れていません」と語ったそうです

この物語は映画化もされてます。

【Youtube】  映画『海難1890』予告編  

 

日本トルコ友好の礎となった地を後にして、次は古式捕鯨の町、太地町へ向かいます

つづく

過去記事<紀伊大島 樫野崎にて

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コンビニおまけ ワイルドラリー第2弾

2025年03月29日 12時02分00秒 | 缶コーヒーおまけミニカー

本日はミニカーのお話です。

1998年に登場した「ジムニー JB 23」

2010年にコンビニ限定でアサヒの缶コーヒーWANDA 金の微糖1本に1個付いてきた『4×4 MAGAZINE監修 ワイルドラリー 第2弾』から、この3台をご紹介。

四輪駆動式プルバックカーというこれまでにないギミック搭載で、力強い走りの面白いプルバックカーおまけでした

アメリカの軍用四輪駆動車ハンヴィーの民生仕様として1992年に登場した「ハマーH1」。

1989年に登場した「ランドクルーザー80」は、ボディサイズが一回り大きくなり、メインマーケットの北米、中東、オーストラリアに向けたモデルでした。

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紀伊大島 樫野崎にて

2025年03月29日 00時02分00秒 | 行楽・旅行記5

3月17日

樫野崎灯台(和歌山県東牟婁郡串本町)

紀伊大島の樫野崎灯台にやって来ました。

樫野埼灯台は「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが日本で最初に設計し、1870年(明治3年)に初点灯した日本最初の石造灯台です。

前に来た時は外から眺めただけでしたが、今回は外部のらせん階段を通って灯台のテラスへ上がってみました。

回転式の灯火方式もこの灯台が初めてだったそうです。

テラスから太平洋が一望できました。

昨日のブログで紹介した海金剛。

この北側から見ると、三角形の特徴的な岩々が向こうの岬の絶壁と重なってしまい、あまり綺麗には見えませんね。やっぱり海金剛は南側から眺めることをお勧めします ww

過去記事<絶景  海金剛

紀伊大島の航空自衛隊串本分屯基地 中部航空方面隊 第五警戒隊のレーダーサイトも見えました。

ここで中部太平洋に飛来する敵対的な航空機の監視を行っている重要な国防の眼です。

明治時代に樫野崎沖で発生したオスマン帝国(トルコ)の軍艦エルトゥールル号の遭難事故で亡くなった乗員の慰霊碑。

このブログを初期からご覧頂いている皆さんはご存知かもしれませんが、およそ130年前にここで日本とトルコの友情の物語がありました。

トルコ建国の父と言われる初代大統領のアタチュルク像

次回のブログで、そのエルトゥールル号遭難事故の記録、遺品を展示するトルコ記念館を紹介します。

つづく

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