病と共に生きる
夏のある日、夫は突然、将来の不安を口にして震えた。
不安とストレスがあると再飲酒してしまうのだと、夫は酷く動揺した。
そして、「今までずっと自分に必要だったものは、AAでも断酒補助薬でもなく、不安を和らげることだったんだ。Anxietyの薬を飲めば不安もなくなり、再飲酒しなくなるかも知れない。」と言い出し、それでAnxietyの薬を飲み始めたのだ。
こういうことも、専門家に診てもらってさえいれば、もっと早く気付けたかも知れないのに、とにかくそんな夫の頑固な性格がジャマをして、なかなか回復への道は険しい。
以前、夫がまだ働いていた頃に飲んでいた Anxiety の薬は、ある時から夫は勝手に飲むことをやめてしまったのだが、あのまま飲み続けてくれていれば、夫の飲酒は加速せず、もしかしたら今でも頑張って働いてくれていたかも知れない。
やり直す機会はいくらでもあったのに、夫はそれを無駄にしてきた。
人の意見を聞き、それを素直に受け入れ、もっと謙虚に自分の病気と向き合ってくれていたなら、夫はこうはなってはいなかったと思う。
それに振り回される家族は堪ったものではないし、こんな苦労はしなくていいのかも知れないが、いつか夫と一緒にこの困難を乗り越えることができたら、そこに本当の幸せがあるような気がしている。
今回夫は、以前飲むのをやめてしまった薬とは別の薬を処方してもらっている。
一見頑固で男の強さの塊に見える夫ではあるが、内面は実は繊細で、女性的な面がある。
私自身も繊細なのだが、それでも私はイザという時のメンタルは強く、内面は男性的なんだろうなと思っている。アルコール依存症の夫にあれだけ振り回されながらも、未だにめげずにこうして一緒にいることを考えると、メンタルが弱くてはやってはいけなかっただろう。いや、夫のあの理不尽な病と日々奮闘し、メンタルが鍛えられたからこそ、私も強く成長できたということなのだろうか。そういう意味では、「こういう苦境を与えてくれた夫の病」に対応していくことは、私の今までの人生の中での、最大の試練だったと思う。
重度のアルコール依存症の夫は、精神的な病にも冒されている。
そしてこれから先もずっと、これらの精神疾患と共に生きて行かなければならないだろう。
夫の社会復帰への道がまた遠くなってしまったようで、もう、先のことは何も考えられないが、焦らず、ゆっくりとでも、ただ、夫に良くなっていって欲しいと心から願っている。