相台万朗Sodaiブログ

和歌山からきて今は千葉県人に、東京銀座でウエスタンバンジョーの店を36年間やらせていただき、もっかしたずみしてます。

比叡山 【連載ー第548号】

2024年04月15日 | 経験・体験
 現在は、「信仰の自由」と憲法で保障されているので、信じようが信じまいが各自の勝手だ。
 世の中が、ここまでに なるには、長―い年月と多くの人の知恵がはたらいている。
 人は病気にもなり、しわも出来、歳もとり、誰もが避けることができない死を迎える。
 友人から同窓会の集合写真を送っていただいたが、誰一人として面影がなく戸惑った。
 日本の3霊山は、青森の恐山・滋賀県の比叡山・和歌山県の高野山と知った。
   70年前から祖母の傍で木魚(もくぎょう)を叩いていたので仏様もお経も覚えている。遠い昔からみんなそうだと思っていたから、平安時代と言えば、みやこ京都だ。街あるく人は今も、お公家様に見える。
平安時代の庶民は読み書きどころかお米づくりにせいをだし、信仰は許されなかった。そんな余裕もなかったかもしれない。
そんな世に、最澄和尚は、中国の唐に派遣され、インドから伝わった仏教を学び、幸い経典とか佛像を持ち帰ることができた。日本に仏教を広めるには、難しい仏の教えを
とくよりも手を合わせてナムーと拝めば極楽浄土に行けます。と説いた。忙しい庶民には理解しやすい。
   最澄和尚は、比叡山にのぼり、多くの寺社仏閣を建て、それらの象徴たる比叡山延暦寺を建立した。
 海は荒れ、命の危険もあった遣唐使船に乗船して、当時、先進国の唐に渡ること自体朝廷の信任とお金を掛かったろう。

唐から「法華経」にもとずく中国天台宗の教えを比叡山に「天台宗」を開いた。
 インドの仏教は、シルクロードを通じ中国に渡り、朝鮮半島を経て飛鳥時代の日本に伝わった。
飛鳥時代の聖徳太子の遣隋使派遣のご苦労を思う。

 織田信長による、比叡山の焼き討ち事件もさまざまな理由があろうが信長にしてみれば、お坊さんの権力が強くなり過ぎたのか、信長の権力を世に示すのによかったのか。

 遣唐使とし、最澄と空海が唐にわたったが帰国して最澄は比叡山に天台宗を開き、空海は高野山に真言宗を開いた。最澄は8歳年下の空海の弟子だとは知らなかった。
 もう一つの霊山、高野山は、どんな山なんだろう。





  野球の大谷翔平さんのWBCでの発言で「今日だけは憧れは止めましょう、そうでなければ、憧れの上にいけないから、よし頑張ろう!」
と日本の選手を𠮟咤激励(しったげきれい)した。
 憧れで、厳しい練習にも耐えてきて、憧れを目標にしてきた選手にとっては、すごい衝撃だったろう。
昭和、平成、令和と時代は過ぎてきた。日本の少年たちにグローブを贈っていただいたのも大谷翔平という青年の時代、新しい人間、古い人間、と混在した時代期待しよう。
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