2022年師走も大詰めで、いろいろ年度を振り返る時期でありました。

 

しかし、安倍晋三元総理暗殺の件を今年度最大級の出来事として殆ど取り上げないマスコミの異様さを感じないでしょうか。

最近でも、暗殺犯とされる山上容疑者を礼賛した映画を嬉々として報道しているマスコミの異常さを感じないでしょうか。

更には、国葬を行う際の反対キャンペーンを貼ったり、不慮の死を遂げた死者を鞭打つ言論の跋扈がいまだに続いているのも甚だ気持ち悪く映るものです。

 

 

この反安倍キャンペーン(=世論誘導)の源流は、2006年当時、若くして総理に就任した第一次の際、①美しい国・ニッポン、と②戦後レジュームからの脱却、をコンセプトに掲げた事に対する反感・憎悪なのだと思っています。

 

例えば、日本が美しい国であるためには今、これが足りないのではー、という建設的な論調を張る訳でもなく、兎に角日本が美しい国であっては困る、戦争を起こして世界に迷惑をかけた悪い国であり続けなければ困る、そんな姿勢が当時から透けて見えたものです。

敗戦利得者、という言葉があって、戦後GHQが日本を支配した際に彼らの方針(日本は戦争加害者)に乗って我が国の言論界に大きな幅を利かせてきた左翼連中(当然、現在のマスメディアを含む)を指します。そうすると、中国韓国北朝鮮といった特定アジア国と同心円にあったりする訳で、早い段階から北朝鮮拉致問題に取り組み、時の金正日将軍に拉致を認めさせた立役者という意味でも安倍氏は目の敵に映ってきた事でありましょう。

丁度、左翼・マスコミ連中が安倍総理暗殺事件を矮小化しようとしているのと同じく、拉致問題もそういうスタンスでしたよね。

 

第二次政権が発足した際の狂気じみた一般紙面の例。

長年の安倍氏に対するのもそうだったが、日本でも米国でもトランプ前大統領のネガキャンを張る記事が日々ゴロゴロ湧いている今日。そんなものはアジビラ新聞と考えて差し支えなく、新聞記者など、もはや知的職業の真逆と心得るべきかと思っています。

 

第一次安倍政権の時はまだ政治を注視するベクトルは持ってませんでしたが、そんな身でも先述のような国家観を打ち出した総理大臣の出現を大変嬉しく思ったものです。

 

この本は一応、わが宝物になっていますが、同書中の以下の記述が特に好きでした。

『従来の少子化対策についての議論を見て感じることは、子どもを育てることの喜び、家庭を持つことのすばらしさといった視点が抜け落ちていたのではないか、ということだ。わたしのなかでは、子どもを産み育てることの損得を超えた価値を忘れてはならないという意識がさらに強くなってきている。』

 

だが、第一次安倍政権はメディアバッシングと、それに乗せられた民意?によって崩壊してしまった…

 

その後は、政治家としてはまだまだこれからという年齢なのに、役職定年を迎えて余生を過ごすかの如くの存在になってしまっていた。

 

そんな折、当の本人が「悪夢の」と表現した民衆党政権がグダグダを重ね閉塞感にさいなまれた世情が続いた際に、テレビ朝日の人気番組『TVタックル』に麻生太郎元首相と共に出演していたことがありました。

 

自分もリアルタイムで見ていたので印象に残っているが、高飛車なところなど一切なく、たけし氏らを相手にして、とても会話力に富んだ人だというのを再確認させられたものです。

この動画では14'00~、や40’30~ の箇所が第一次政権の時に味わさせられたマスコミの姿勢について語った注目箇所だと思います。

 

そして奇跡の復活を遂げた2012年暮の衆議院選挙。確か自民党はこの時から選挙戦最終日の演説を秋葉原で行うようになった記憶ですが、その時は自分も居合わせて軽くレポしていたのですね。

 

 

その後は少し前にUPした中日新聞の記事をはじめ、四六時中と言っていいほどマスコミ連中による誹謗中傷やら、でっち上げ記事を書き続けられてきたものでした。

(例1)架空の小学校名のコラージュ作って、森友学園関連の映像を流した朝日放送。

(例2)アベノマスクにカビが生えていたと報道する毎日新聞。事実なら、再発防止・原因調査のために然るべき機関にサンプル提出しなければならないシロモノである。

 

自分が安倍総理がとてつもなく凄いと思ったのは、憲政史上群を抜くマスコミからのネガティブキャンペーンと戦いながら、長期政権を築き邁進したことでです。無数の野党議員連中から嫌がらせ行為にも、ずっと耐え続けてきましたよね。

そんな状況で日本の民主党政権によってボロボロにされた経済・外交を立て直したというのも、この人以外誰が出来たでしょうか。

 

ところで、自分は安倍総理のやっていることの全てが正しい、と妄信するものではありませんでした。

 

一例では、経済政策でグローバリズム・新自由主義的な方向に舵を切っていたりしました。高度外国人人材の受け入れだの、我々日本国民を豊かにするのと逆を向いている政策でしょう、と。

総理大臣といえど、欧米諸国・財界・役人・時には日本の左翼的な市民団体…、と色々な方向の立場を調整しながら物事を進めていかなければならない。結果として、愛国保守的な考えの人たちの期待を裏切る決断も間々あったものです。

我が国の伝統・文化をぶっ壊そうとする勢力がマスコミを通じての声が大きく、左側に引っ張られるきらいも要因でしょう。

 

逆に10年ほど前に二度ほど選挙に立候補した田母神俊雄・元航空幕僚長は、街頭演説の際、自民党の右側に柱を立て、安倍政権を右に大きく引っ張って行く、を一つのキーフレーズにしていたものです。

そして今、私メも、日本が日本でなりかけいる今、それを危惧している人達皆で、時の政権を右に引き戻しましょう! と主張させて頂きます。
 

周辺の反日国家を黙らせる・反日系の野党政党を解体させる、などは現実的に叶うものではありません。

ところが、それらのスポークスマン的なマスコミ連中を潰していき、理性的・常識的なところだけが生き残る言論空間に変えていく事は我々でもできる、それが熟成され来た時に真の国民の総意が他国にも示せるのではないか、と。

 

具体的にはちょっとでもおかしいと思ったマスコミ記事に対し、皆がきちんとした言論を被せていく。ヤフーニュースのコメントなどには反日的なものやら根拠不明瞭なコメントが溢れ返っているのをしばしば見ます。そういう人たちはノイジーマイノリティと呼ばれる事があるが、少数なのだけど声が大きいからそれが目立った意見となり、一般的世論と勘違いされてしまう。大人し過ぎる通常の日本人がこういうことをやってこなかったから、今日の体たらく~安倍氏に異様な憎しみを抱く勢力の跋扈など~を招き、あの悲劇にも繋がったとも感じます。

 

自分も、一個人で可能な範囲で安倍総理を守る事…、が十分に出来ていたのか悔いも持っています。

 

その他の主要なSNSでも、勿論匿名で良いからドンドン発信していく、時には身バレしないな格好で良いから反マスコミのデモをやっていくなど、手段はいろいろ広げられることでしょう。

 

最近、参政党という政党を持ち上げる記事を書いていましたが、街頭演説というリアルな場にて、共感を呼び込む話し振りで危機を訴えている所を強く評価しているからに他なりません。この人たちの演説では、マスコミの報道が如何にロクでもないものか、一般国民に浸透して期待が高いのです。

 

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本記事を書いている丁度一年前(2021年12月末)、自分は平城京跡地見学で事件現場の大和西大寺駅に降り立っていたものです。そんなこともありテロに狙われやすい立地であることは肌感覚で理解できた。

そしてその地に対しても、この世界史に残るレベルの大事件を風化させようとする勢力がいるのでしょう。

 

9月27日の国葬、一般献花台には仕事帰りの身では終了時間に間に合いそうもなかったが、取り敢えず日本武道館に向かってみた。(17:50)

やはり駄目だったか…、車両通行止めになった靖国通りの反対側歩道から眺めても様子を窺うこともままならず、少し先に歩いた靖国神社のお参りで偲ぶことにしようかと。(17:56)

あいにく閉門時間も過ぎてしまっており帰路の途に就くつもりでいたが、ふと見たスマホ情報で日中は四谷駅まで列が出来(更に

後で知ったが折り返しの列まで出来ていたのだと)、まだ多くの人が新宿通りで並んでいるらしい。

よっしゃー、行ったる!

辿り着いた列の最後尾は、皇居の半蔵門の前あたり。(18:23)

何とか御遺影へのお目通りが叶いました。(18:49)

 

11月下旬~12月初旬には東京タワー1Fで安倍元首相の写真展が開催されていました。

ここを訪れて、国葬反対派が安倍総理にレガシーなど無いなど語っていた輩どもの、何という事実認識力の無さか、を思い知らされたものです。性根がねじ曲がっているから、普通のものも歪んで見えてしまう、とまで言ってやりましょうか。

自分が行った11月23日は安倍昭恵夫人も訪れた様で、時間帯が合ってればめでたく居合わせになっていた、という事です。

 

 

そういえば、国葬に合わせた時期に有志(20~30代のベンチャー企業経営者らでつくる「安倍元総理デジタル献花プロジェクト実行委員会」)の企画がありました。

 

不肖、自分が作ったものは規格に合わなくて登録できなかったが、これを拙ブログにUPして改めての追悼とさせて頂きます。

(背景は白馬八方アルペンライン乗り継ぎ地の高山植物畑)