「子供には基本的に権利も自由もない」と言えば皆さんは驚かれ、そして強く反発されることでしょう。何故ならば国連においてさえも子供権利条約と言うものがあるのですから。しかし権利と義務、自由と責任は表裏一体と言う原理原則で考えてみれば「子供には基本的に権利も自由もない」と言う事が分かるのです。

勿論、憲法においてはすべての国民には人権が与えられていますから確かに子供にも人権はあります。しかし権利と義務、自由と責任は表裏一体ですので、自分の人権の尊重を主張するのであれば、自分もまた他人の人権を尊重し、侵害してはならない義務があるのです。ですから義務や責任を果たすことが出来ない子供たちは基本的に自由や権利を主張してはならないのです。

 

例えば子供が自由に遊んでいて、もし他人の子供に大けがをさせたならば、その子供はどうやって責任を取るのでしょうか。お金も持っていないし、労働してお金を払うこともできないし、刑務所に入って責任を取ることもできません。子供は何の責任も負えないのです。また責任を持たなくて良い自由ほど怖いものはありません。なぜならば何をやろうが責任は一切取らなくていいのですから。ですから子供に自由が許されているのは、何かあれば親が責任を持つと言う暗黙の了解の基で子供にも自由が与えられているのです。ですから基本的に子供自身には権利や自由はないのです。これらについてもう少し深く考えてみましょう。

 

「子供には教育を受ける権利がある」と言う人たちがいます。そうであれば権利には義務が伴うのは原理原則ですから、その子供は他の子供たちの教育を受ける権利を侵害しない義務があることになります。つまり子供は自分自身を自制して教室で暴れたりして他人の教育を受ける権利を侵害してはならない義務があると言う事です。しかし子供が自分自身を自制できるように自分自身を躾けることが出来るでしょうか? 普通に考えればそんなことは不可能です。子供に躾をするのは教養や経験を持った大人が教え、躾なければならないのです。

 

このように子供は自分自身では義務を果たせませんから子供には教育を受ける権利がある、と言うのは間違いだと言う事が分かります。子供に教育を受けさせる権利があるのは親であり、そうであれば子供を躾ける義務があるのも親なのです。その躾と言う義務を果たせない親は自分の子供に教育を受けさせる権利などないのです。教室で暴れるモンスターチルドレンが他の多くの子供たちの教育を受ける権利を侵害することなどあってはならないのです。権利と義務は表裏一体なのだと言う原理原則を理解していない弁護士や法律家が多すぎるから「子供達にも権利を与えるべきだ」となって昨今の教育は手が付けられない状況になっているのです。

 

また「子供には基本的に権利や自由はない」と言えば「脳性まひで生まれた子供には生きる権利はないと言うのか!」と良く反論されます。脳に障害を持った子供だけでなくすべての子供には基本的に権利も自由もないのです。親が子供の生きる権利を放棄すれば子どもは生きてはいけないのです。子供に生きる権利があるのはその親がその義務を果たしてこそ子供にも生きる権利が生じるのです。そして親などが子供を育てる責任を放棄したならば最後には国がその子供の責任を負うことになります。

 

また「給食費を払わない子供にも食べる権利はあるのか?」と議論している人達もいます。この問題も子供には基本的に権利も自由もないと言う事が分かっていれば「子供の給食費を払う義務を怠っている親には自分の子供に給食を食べさせる権利を主張することはできない」と言う事が分かります。

 

また、ある高校で生徒がナイフで他の生徒を傷つける事件がありました。そこで学校は登校時に生徒たちのカバンの中身をチェックすることにしましたが一部の生徒たちが「プライバシー権の侵害である」と主張し、またそれに加担するバカな弁護士たちによって生徒のカバンをチェックをすることを止めさせてしまいました。学校側はおかしいと思いながらも生徒や弁護士たちに反論することが出来なかったのです。権利と義務は一体であるとさえ理解していれば「権利と義務は一体である、もし今後ナイフなどによる殺傷事件が起きれば、その全責任は人権を主張する生徒や弁護士たちに取ってもらいます」と言えばいいのです。またはカバンをチェックすることは人権の侵害であると主張する生徒たちに対して「全責任は親がとります」と一筆書いてくるように言えばいいのです。権利を主張するならば必ず義務を果たさなければならないのです。

 

このように考えてみれば権利と義務、自由と責任は表裏一体であり、ゆえに義務と責任を果たせない子供には基本的には権利も自由も主張することは出来ないと言えるのです。常に物事は原理原則で考えなければ間違った社会が出来てしまいます。今の日本や世界が迷走しているのは原理原則で物事を考えないからです。原理原則とはいかなる時代やいかなる民族・国家であっても変わることなく正しい事、つまり普遍的に正しい道理を言います。そして絶対的に正しい事を知るにはやはりこのブログで示している「絶対善」を理解する必要があるのです。あらゆる社会的な問題において絶対善である「みんなの為」になる、適う、合致する答こそが正しいと言えるのですから。