哲学に関するブログなどを読んでいますと「意味の意味」と言う言葉をよく目にします。しかしこの「意味の意味」とは何かを理解している人は殆どいないのです。そこで今回は「言葉の意味の意味」について書いてみたいと思います。

 

まず言葉の意味とは何か?といえば、言葉は分けるためにあるのです。例えば赤ちゃんが生まれますと名前を付けます。つまりその赤ちゃんは今までのすべての人たちとは違いますから分けるために名前が付けられ言葉が出来るのです。ですから言葉とは他のものと分けるためにあると言えます。

 

ではその分ける意味とは何でしょうか。つまり意味の意味とは何か?と言う事です。分けるとはどんな意味があるのか。それはその言葉の本質を示すことなのです。

分かり易く言えば犬と言う言葉が出来たのは犬はオオカミやコヨーテに姿、形は似てはいますがオオカミやコヨーテ、そしてまたあらゆる他の動物たちと「違う何か」があるから分ける必要が生じ「犬」と言う言葉が出来たのです。あらゆる他の動物にはないその「違い、差異」があるものが犬なのです。

 

そしてその「違い、差異」こそが犬の本質と言うことです。犬の本質とは「その違い」があるから犬と言えて「その違い」がないならば犬とは言えないもの、なのです。あらゆる動物たちにはないその「違う何か、差異」、それこそが犬の本質であり犬のイデアと言うのです。そしてその犬のイデアはあらゆる犬と言われるものには必ず共通してあるものであり、またその「違い、イデア」は他のあらゆる動物たちには絶対にないものなのです。つまり犬だけに在るもの、「違い、差異」それが犬の本質であり、それを犬のイデアと言うのです。

またその犬のイデアは対する他の動物には絶えているものですから「対するものが絶えている」つまり絶・対なのです。全てのイデアは絶対であり犬のイデアは絶対犬であり、美のイデアは絶対美であり、善のイデアは絶対善と言えます。

 

このようにまず初めに「違い」があり、その「違い」に名前を付けて言葉が出来るのです。ですからまず違い、イデアが先に在り、その違い、イデアに名前を付けて言葉が出来るのです。言葉の前にあるのは「違い」つまり「イデア」なのです。ですからイデアなくして言葉はあり得ません。聖書には「初めに言葉ありき」とありますが、そうではなく言葉の前には必ず「イデア」があるのです。ですから本当は「初めにイデアありき」が正解なのです。

 

言葉の意味の意味とはその言葉の本質、つまりイデアを示すことなのです。私はこのブログで善のイデア、絶対善を主張していますが「絶対善など絶対ない」と否定される方も多いのです。しかし上記のように論理的に説明すれば「絶対善など絶対ない」は間違いだと分かるでしょう。善と言う言葉があれば必ず先に善のイデア、絶対善は在るのです。イデアは私たちが理性で創るものではなく原始そこに在るものであり、それは発見するものなのです。そして私は確かにその善のイデア、絶対善を見つけたのです。