…確かに仕事は楽しかった、だが私は同僚との付き合いには消極的だった。長い社会人生活の殆どの時期において、私は職場で孤立していた。休み時間に雑談するような仲間は居らず、たまに同僚と二人だけになることがあって言葉のやりとりが始まっても、誰かが部屋に入ってくるなり同僚はすぐに私との会話を切り上げた。

 上司の誘いには極力乗らず、また私が後輩を誘うようなこともなかった。一人暮らしの身で他に親しい友人もいなかったから、世間の尺度で言えば、これは実に淋しい日常ということになるのかもしれない。だが、私は若い頃からこの歳になるまでずっと、独り読書に耽るといった何よりも貴重な時間が削られてしまうのを心底嫌って、迷いなく「気楽な淋しさ」の方を選び続けてきたのだった。
 


   ※   ※   ※



 受話器を戻す。


 いつの間にか後ろに亜世ちゃんが立っていた。


 「電話、誰から?」


 「ああ、会社からだったよ。でも、どうしてここがわかったんだろうな?わからない…何にしても僕はもう、仕事には行けなくなってしまったみたいだな」


 「ふうん、そう…」


 亜世ちゃんは何だか優しい表情になった。「良いじゃない!それだったら、ハンス薬局、一緒にやろうよ!」無邪気に言う。まるで、子供がお店やさんごっこを始めるみたいだ。


 「わたしね、ひとりだったから、店番する人がいなくて困ってたんだよ」


 …どうやら私は、四十数年に亘る勤め人としての生活をこの日で終える事になるらしかった。
 何事にも終わりはやってくる。仕事に未練はあったが、電話の向こうで主任が(わざと聞こえるように)私を「必要のない人」と言ったのだから、今更続けさせて欲しいと頭を下げに行く訳にもいくまい。それに、多分もうこの世の常識は壊れてしまってる。いくら日々の安定を求めたところで、世界が未知のウイルスに脅かされている今の状況では、この先、社会がこれまで通りに動いてくれる保証なんてどこにもないのだ。



 午後になり簡単な昼食を終えると、私と亜世ちゃんはソファに腰掛け、再び抱き合った。気持ちの高ぶるまま互いの衣服の隙間に手を差し入れ…



 …日が暮れようとしていた。私たちは狭いベッドの上にふたり、衣服のない身体を横たえ天井を眺めている。


 亜世ちゃんが言う。


 「好きよ鹿野谷くん」


 「僕もだよ、亜世ちゃん」


 「ねえ、あなたは好きって言われるのと、愛してるって言われるのと、どっちが嬉しい?」


 私は暫く思いを巡らす。


 「好き、の方かな」


 「そう、わたしもそうよ」


 「でも、どうしてだろ?[愛してる]の方が強い言葉なのにね」


 「そうね、どうしてなんでしょうね」



 以前から「愛」という言葉が苦手だった。恐れていたと言って良いかもしれない。「愛する」の意味するところは人によって感じ方が違うけれど、キリスト教でそれを口にすることは、場合によっては相手のために命を投げ出す覚悟をも意味している。否、それは極端だとしても、少なくとも自分が最も大切にしている「何か」を黙ってひとに差し出すような、そんなイメージがこの言葉にはある…それは確かに私には受け入れ難いシチュエーションなのだ。
 だが、一方で、教会生活において「愛」という言葉は礼拝中のお祈りや説教の言葉の中で繰り返し現れるために、使い古され慣れきって、本来の重みをどこかに置き去りにしてしまったようにも感じている。


 

 …だからさ、「好き」っていう言葉の響きの方に、僕は、気楽だけど生き生きとした明るさのようなものを思ってしまうんだろうな…

 



 ※※※B(1974)※※※

 



 「いいえ、違うわ。それは、あなたがナルシストだからよ」



 ダム湖のそばの遊園地、窓の大きなカフェの席に腰掛け、俺は咲蓉と向き合っている。俺をまっすぐに見すえている咲蓉の面差し(斜め横からの陽光に照らされている)はハッとするほどに美しい。


 「ナルシスト…?」


 「そうよ、ナルシスト。まあ言ってみれば「隣人愛に乏しい穏和なナルシスト」ね。そりゃあ、表だって自分を全面に押し出すような事はしないけれど、心の中はもう自分でいっぱい。興味があるのは自分ばかり。あなたにとって他人は、無言で「隣人愛」を要求してくる面倒な存在でしかないの。違うかしら?…ん?ちょっと言い過ぎだったかな?」


 言いながらも、この時の咲蓉の様子を見れば、彼女が決して俺を非難しているのではなく、俺を受け容れ、寧ろそんな会話を楽しんでるかのようにも見えた。



 「…それで?あなたが「愛」という言葉に促されて、ひとに差し出してしまうのを恐れてる大切なものって一体何なの?」


 「さあ、何だろうな…」


 俺は心の中で咲蓉への応答を続ける…はて、何だろう?ひとりになって心を解放するそんなひとときか?好奇心の赴くままに本を読んで過ごす夜の時間だろうか?いや、それだけのものでもない、上手く言えそうにないな。恐らく本当のところは、今挙げたものなどとは正反対の、子供の頃にいつも心の片隅にあった「淋しさ」と関係のある何かなんじゃないかという気はしてるんだけれど…



 …………

 





 「第4部」



 

 ※※※A(2020)※※※



 

 ハンス薬局で亜世ちゃんと暮らすようになって二週間が過ぎた。


 ウイルスによる行政側の規制は日に日に強くなっていて、私たちはこの建物から一歩も出る事なく過ごしている。


 政府が流す最新の情報によれば、流行中のウイルスはマスクを着用したくらいでは防げず、感染者が通り過ぎた近辺の外気を少し吸い込むだけでも即座に罹患するほどの凄まじいものとの事。食料や生活必需品については防護服に身を包んだ係員が三日おきに届けてくれる。最早、行政側から許可された者以外、普段の外出はおろか職場に赴く事さえ許されない。だからテレビのニュース映像でみる街は、ここ数日、昼間でもまるでゴーストタウンであるかのように森閑としていた。


 (続く)