なぜ私は絶望を経験したのだろう?の答え。 | 天使と生きる

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幸せそうだった娘が突然の自死。娘は天使になって、私を幸せに導いています。死んだ娘と一緒に生きる母のブログ。

今日も天使の喜ぶ生き方を!

Rayです。

読んでくれてありがとう。

 

 

愛する娘の自死は、

私にとって最も絶望的な体験だった。

 

 

まだ娘が生きていた2012年ごろから、

この世は自分が創っている

いろいろな本を読んで学んでいて、

90%信じて、行動をしてた。

 

引き寄せブームね。

 

 

自分が良い気分で生きていれば

良いことが起きたし、

 

宝くじは当たらないけど、

自分の現実にはそれなりに満足してた。

 

 

そこへ、娘の自死。

もちろん、そんなこと望んでない。

創ってない!!

 

 

でも私は、今は思う。

あの時私は、

本当の自分を知りたかったし、

平和な愛の世界が欲しかった。

 

 

それを創る過程だったんだって。

 

 

娘を失った直後は、

絶望はネガティブな事だから

自分がネガティブゆえに絶望を引き寄せたと思ってました。

 

 

その時はその気づきでよかった。

自己否定をやめたり、

自分責めをやめるためにね。

 

 

でもそれも含めて、過程。

私が今に到達するためには、

その勘違いが必要だった。

 

 

 

今私は、

本当の自分を知り、

より深く知る道に進んでいるし、

本当に平和な愛の世界を創れる道を見つけた。

 

 

 

絶望がもたらされ、

絶望を生きたおかげで、

絶望の正体が愛だと知ったのです。

 

 

例えば、

弱った私には強がることはできません。

一日中泣くだけです。

息をするのが精一杯です。

口もきけないし、笑顔も作れません。

 

 

それでも周囲の人たちは優しかった。

 

 

その優しさを知れたのは、

絶望したからなのです。

 

 

他にもたくさんのギフトを受け取りました。

全部絶望のおかげです。

 

 

絶望は愛だったのです。

 

 

ふつうなら絶望は忌み嫌うものです。

でも、その「ふつう」は罠だった。

 

 

絶望を愛だと知ってしまうと、

全てが愛でしかないのです。

 

 

どこを見ても愛しかない。

そして愛を拡大していくだけの人生なんてキラキラ

 

 

しかも!

死んでしまったら、存在がなくなると思ってた娘は

肉体を脱いだだけだった。
 

肉体の有無が存在の有無だってことも、

単なる思い込みだと知った。

 

 

娘の声を聞いた時はびっくりしたけど、

一気に世界が変わった気がしたな〜。

 

肉体は体験のためにあるけど、

愛し合うために必ずしも必要じゃない。

(なんかこんな言葉「アミ小さな宇宙人」にあったような・・・)

 

 

 

私が絶望を経験したのは、

全てが愛だと知るためでした。

 

 

 

絶望は愛への近道でした。

かなりハードなコースだけどw

私らしいと思う。

 

 

今絶望体験中真っ只中の人も、きっとわかる。

わかる人だから、これ読んでるんだよ。

 

私と出会ってるのは偶然じゃない。

あなたが自分で創ってるんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エネルギー込めて作ってますキラキラ

 

 

 

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