死は愛。そう思えないならコレ。 | 天使と生きる

天使と生きる

幸せそうだった娘が突然の自死。娘は天使になって、私を幸せに導いています。死んだ娘と一緒に生きる母のブログ。

今日も天使の喜ぶ生き方を!

Rayです。

読んでくれてありがとう。

 

 

ブログ久しぶり〜。

セッションやパステル講座で

お相手してくださる皆様ありがとうございます。

おかげで充実した毎日を送っております。

 

 

最近、のんびり過ごせているおかげで、

今まで見つけられなかった、

小さな傷や失敗に対する罪悪感に気づき、

ひとつずつ丁寧に癒す作業をしています。

 

 

そんな時期なんでしょうね。

もうすぐ私の魂が本番なんだなって予感です。

 

お膳立ては全部娘がしてくれていた。

ありがとう。

 

 

 

 

さて、今日ものんびりしていたら、

ブログを書けと言われてるようだったので、

降りてきたことを書いていきます。

 

 

ではどうぞ

下矢印

 

 

 

物質として見えているものは、

意識の投影。

 

 

ということは、

自分の死は意識の物質化が

必要無くなった時にやってくる。

 

 

 

魂が物質世界でやりたかったことを

果たし終わり満足したってこと。

 

(死ぬ間際にやらなかった後悔するっていうのも聞くけど、それも「死ぬ間際に後悔する気分を味わいたい」ってことをやってるだけなんだよね。それは輪廻する意思にも繋がるだろうから、宇宙を続けるための一つのアイデアなのかも。だからやっぱりやりたいことを果たしてる。)

 

 

そして、

現実世界への執着がなくなった瞬間に

肉体はなくなるってこと。

 

VRゴーグルを外した状態になるってこと。

本来の自分の姿=魂。

 

 

でもゲームのように消えて無くなっちゃうと、

現実世界のリアリティーがないから、

 

 

肉体を必要としなくなった本人以外のために、

死というものがある。

 

 

そしてその死は、

物質リアルを生き続けている人に対して

なんらかの作用をもたらす。

 

 

「なんらか」というのは、

受け取る人によって、受け取り方が違うから。

 

 

人は同じものを受け取っても、

受け取る人によって感じ方捉え方が異なる。

 

 

大金を受け取って、

怖いと思う人と、嬉しいと思う人がいるように。

 

 

全てのものは、受け取り手によって違うものになる。

全ての価値を決めているのは自分。

 

 

それは死も同じ。

 

 

娘の死は私にとって悲しいことです。

でも、悲しいことは私にとって悪いことではありません。

 

 

悲しいということは、

それだけ大切な人に出会えていた証拠。

それだけ一緒に楽しい経験をした証。

それだけ愛し合っていたということだから。

 

 

そして悲しいという感情は余計な力を奪い、

私に涙を流すことを許し、

弱くなることを許し、

文句や愚痴も言わせてくれて、

自分以外の人間を演じることをやめさせてくれた。

 

 

そして死というイベントは、

生きている私たちにとって、

命の期限があることを知らせる役目も果たしてくれている。

 

 

死んでしまったらできなくなることを

嫌というほど明確にしてくれる。

 

 

それは、すでに死んでしまった人には必要ないことでも、

生きている私にとってはまだ必要なことなのだ。

だから、明確になる。

 

 

言いたいことが言えるのも、

抱きしめあえるのも、

自分を大切にすることも、

がんばってしまうことも、

みんな肉体として分離しているからできること。

 

 

肉体がなければ、

テレパシーでつながってるし、

そもそも境界線がないし、

努力したり苦労なんかできない。

 

 

死によって気付かされることは沢山ありすぎるくらいある。

 

 

でも死を身近に感じなければ、

自分が死ぬまで、

それらたくさんのことに

気づけないかもしれない。

 

 

それぐらい、

死には愛が詰まっているんだ。

死はプレゼント。ギフト。

 

 

 

私にとって、娘の死は悲しいことでした。

でも愛のギフトでもあるのです。

その証拠に、

私は娘から愛をもらい続けています。

 

 

 

喪失感を感じてまもない時は、

そう思えないのは当然。

 

 

ただ、長らくそう思えないならば、

死を悪いものだとおもっている。

 

 

どう思うかは自由なのに、

悪いと思っている。

思わされている。

 

 

それはなぜでしょう。

 

 

人に言われたことを信じてしまっただけなら、

この瞬間に意識を変化させてしまおう。

 

 

でも自分の信念になってしまっているとしたら、

 

 

深く深く突き詰めていくと、

自分と仲良しじゃない自分が見えてきますよ。

自分のことちょっと嫌いなの。

 

 

死に限らず、

この世に悪があると思っている人は、

自分のどこかが許せていない人。

 

 

人間世界で悪いことって、

どんな善人でも一つや二つ経験があるでしょう。

 

 

問題はその黒歴史を持っていることではなく、

それを責めている自分です。

 

 

 

その悪いことは、

根っから悪いことをしようとしたのでしょうか?

 

 

信号無視したかもしれない。

いじめを止めなかったかもしれない。

家庭の鬱憤を社会にぶちまけたかもしれない。

子供を感情的に怒ってしまったかもしれない。

 

 

たしかに振り返ればもうやらないことでしょうが、

その時そこには小さな愛の理由があったはず。

 

 

誰かを助けるため、

自分を守るため、

平和な家族を維持するため、

子供の安全を切に願っていたため・・・

 

 

完全な悪などないのです。

不安を持った人間の不器用な愛し方。

 

 

でもそれを失敗だと思える人は、

もう同じことをしないでしょう。

それならば、自責する意味はないのです。

 

 

黒歴史は変化に必要な出来事だっただけ。

だからこれも愛なのです。

 

 

そうやって自分の一つ一つを許していくと、

この世に悪いことは無くなります。

 

 

本当です。

自死遺族の私が実感していることです。

 

 

私もまだ嫌だなって思うことが起きますが、

結局は愛と感謝につながります。

 

 

嫌なことも、悪ではないんです。

ぜんぶ良き事のために運ばれてくる愛です。

 

 

もちろん嫌なことには憤慨するし、

どんどん排除していきますが、

でも最終的にはすべて感謝しかないのです。

 

 

昨日もそんなことがあったので、

また次の記事で書こうかな。

 

 

 

 

 

 

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