出会う人は自分の鏡 | 天使と生きる

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幸せそうだった娘が突然の自死。娘は天使になって、私を幸せに導いています。死んだ娘と一緒に生きる母のブログ。

今日も天使の喜ぶ生き方を!

Rayです。

読んでくれてありがとう。

 

 

出会う人は自分の鏡。

 

聞いたことがある文句でしょう。

 

 

この言葉を受け入れられて、

この言葉を利用できるようになると、

人生の運気爆上がりします。

 

 

 

でも普通はみんな、受け入れられない。

 

本当の意味を知らないから、

避けたくなるよね。

 

目の前にいる嫌な人が自分だなんて、

まっぴらごめんだもん。

 

 

でも人を鏡として使う方法をマスターすると、

めちゃんこ人生が好転するのです。

 

 

この先の人生真っ暗でいいって人は

別に知らなくていいんだけど、

(悪人のいる世界に居続けたいんだもんね?それも全然OKですよ。自分の命は自分の好きに使っていい。がんばれ!)

 

 

楽に幸せに生きていきたいなって人は、

ぜひ「人は鏡」の真髄を理解習得してほしい。

超絶おすすめします。

 

 

去年のブログの中で↓

こんなふうに書いていますが、

下矢印

 

私を許せる人は、

自分が愛だと知っている人です。

 

私と友達になろうとする人は

自分の愛を溢れさせている人です。

 

私を助けようとする人は、

自分自身を許す時がきた人です。

 

私を避けようとする人は、

自分を見失ってる人です。

 

人は鏡。

 

 

 

昨日のブログでは、

 

 

「死に限らず、

この世に悪があると思っている人は、

自分のどこかが許せていない人。」

 

 

とも書きました。

 

 

自分を許していくと、

周りには心地よい人ばかりになっていく。

 

自分を許していないと、

許せない人が現れる。

 

 

 

そう、先日の私みたいに。

 

 

実は私もつい先日、

「なんだコイツ!!めっちゃムカつく〜」ってことありました。

 

 

はっきり言って自分の鏡だなんて思いたくない。

でもやっぱり自分の内側の投影なんですよ。

そして、そんな自分を手放すために現れてくれていた。

 

 

その話をするね。

 

 

 

中三の次女がいつもより早く学校に行った日、

帰宅すると、眉を八の字にして、悲しそうに言う。

 

「今日、学校で受験対策として面接の練習を校長先生がしてくれたんだけど、なんか上手くできなくって凹んだ。」

 

 

なので、その様子を聞いてみると、

こんな会話だったらしい。

 

 

校長:部活動で頑張ったことはなんですか?

 

次女:部長として部員の話をよく聞き、観察し、学年を超えて楽しくできるよう尽力しました。

 

校長:それ、あなたの主観ですよね?

 

次女:・・・・・・・。

 

校長:高校では何部に入るか考えていますか?

 

次女:写真部に入りたいと思っています。

 

校長:なぜですか?

 

次女:私は人が作ったものを美しいと思うので、それを写真の中に収めたいと思います。

 

校長:ビルなど建物は撮らないのですか?

 

次女:・・・・・(次女心:建物も人工物じゃね?)

 

校長:もっとギリギリを責めていかないと○%&?×△

 

 

そして次女はフリーズ・・・・・

 

 

自身をなくして笑顔をなくし、姿勢が悪くなっていたのは次女も自覚していたようですが、そのことについても、指摘され・・・

 

 

そのことを私に話しながら泣き出してしまいました。

しかも早朝にその面接練習はあったらしく、

1日中次女は落ち込んでいたと言うのです!!

 

 

 

ムキームキームキームキームキームキームキー

 

もう大爆発ですよムキー

はあ〜〜?

うちの娘に何してくれてんのよー!!!!

 

次女は何も間違ったこと言っていないし、そもそも、頑張りって主観じゃね?ひろゆきの真似か?客観的評価は内申にあるだろが!ビルもアートだし、人の話聞いてんの?これじゃ練習でもアドバイスでもなく、脅しじゃん!ギリギリって何?

 

おまえのような校長がいる学校なんて、こっちから願い下げだわ!!

 

 

ふ〜

怒りを爆発させた私の

あまりの怒りっぷりに、

次女は隣で涙を拭き拭き笑っています。

 

 

学校に苦情を言ってやろうとしましたが、

なにせ相手は校長先生だし、

そんな面接をする変な人なので

何するかわからないから、

内申書が出るまでは大人しくしていることに。

 

 

それにしても、なんて意味不明な校長なんだろう。

何がしたいんだろう。

これで自校の生徒が面接を不安に思って、

受験で失敗したらどうしてくれるんだよ。

担任の先生たちは頑張っているのに・・・・

赴任して一年目で、学校壊しにきたのかしら?

 

 

次女の場合は私に相談できて、

「心配しなくてもあなたはママの自慢の娘なんだから、自信持って自分を表現しておいで。あなたを面接で落とすような学校なんか、行かないほうがいい」

と言ってハグをしたら、元気に復活していましたが。

 

 

 

 

 

さて、気を取り直して・・・・

これを題材に「人は鏡」を考察してみましょう。

 

 

一体この校長、何がしたかったのでしょうか。

校長が何を考えていたかなど、一生わかりません。

 


でも、人は想像をします。

こんなことかんがえていたんじゃないか。って。

それは自分に経験があるからわかること。

要するに自分なのです。

 

 

経験していないことは、想像すらできませんからね。

 

 

もちろん、私はこの校長みたいに、

意地悪な面接なんかしません。

 

 

でもね、次女の話を聞きながら、

過去の頑張り屋だった頃の自分の姿が、

チラチラと脳裏に浮かんでいたんです。

 


そして実際に冷静になった時に、

私がこの校長先生の内側を想像した時に思ったのは、

 

 

きっと校長先生は、

意地悪な面接されたことがあるんだろうな。

だから練習だと言って、同じことをしてるんだな。

 

きっと

厳しいことを乗り越えてきた自分を正当化したいんだな。

頑張り屋さんだったのだろうな。

 

きっと

過去の自分を思い出して、イラついているんだな。

弱い頃の自分を思い出すのって辛いもんね。

 

きっと、

そんな体験をうちの子にさせたくないと思ってのことかもしれないな・・・・

愛なのかもしれないな・・・・

 

 

なぜこんなふうに想像するかって言うと、

それは私にも似た経験があるからです。

 

 

意地悪な質問に答えられなかったこと。

難しい困難を乗り越えてきたこと。

過去の自分に嫌気がさしたこと。

その時の自分の気持ちも覚えている。

 

 

でも、そんな経験を大切な子供たちにさせたくなくて、

 

私は自分の経験から学んだことを、教え込もうとしていた。

 

特に長女には。

 

そしてそれは意地悪なつもりなど一ミリもなく、

愛のつもりだった。

 

私と同じ目に合わないように、

失敗した恥ずかしさをあたえないように、

守っているつもりだった。

 

でも本当の愛は、

失敗してもいいんだよって言ってあげることで、

私が編み出した失敗しない方法を教えることじゃなかった。

 

 

そんなことが全部わかっている今だからこそ、

この校長先生がムカつくのです。

私の過去と同じことをやっているようで。

 

 

そんなことしたら、娘が死んじゃうよ!って。怒ってる。

 

今回気付かされたのはこの↑ポイントなのです。

 

 

要するに、次女の体験を通して、

私は長女の死が、私の間違った育て方の影響だと、

未だに自分自身を責め続けている自分がいたのです!

 

 

たしかに影響したでしょう。

でも魂はそれすら計算済みです。

 

 

反省して改善したのなら、

いつまでも自責しない。

これはとても大事なこと。

周りを不幸にしないためにね。

 

 

自責しちゃうなら、

癖なのか、

反省と改善をしていないだけ。

 

 

私の場合は癖。それは今回明らか。

もう改善してることが証明できたからね。

 

 

次女が試験課題になってくれたのですね。

ちゃんと改善されているか、

チェックされたのだと思う。

 

 

 

もしも長女が生きていた頃の私なら、

 

「嫌だったね。そんなの気にしなくていいよ。」

といいつつも、

 

「きっと校長先生は、

意地悪な面接されたことがあって、

厳しいことを乗り越えてきた自分を正当化したくて、

過去の自分を思い出して、イラついて、

あなたに同じ体験をさせたくないんじゃない?」

 

 

なんて言ったのでしょう。

 

たしかに自分を許すために、この考えはあっていい。

だけれども、それでは自分を正当化して終わりです。

 

なによりそれでは、次女が救われません。

過去の私に足りなかったことです。

 

 

自己否定して自分を完全だと思えてなかった私は、

自分を正当化しなければ生きていけなかったのです。

多くの人がその沼にハマっていますよね。

自分を守ることに精一杯。

 

今回私は過去の自分を正当化するのでなく、

とにかく愛するものを攻撃された怒りを爆発させた。

自分にも同じことは絶対に許さない。

 

 

自分を正当化するために本心を誤魔化さない。

愛するものを救う本心を全うできたなら、

もう自分を責めなくてもいいのです。

 

 

もう同じ失敗はしないのだから、

自責する必要はないのだと、

人には言っていても自分ではまだまだ気づけないw

 

 

だから今回こんなことが起こったのでしょう。

 

 

そう、

そしてそんな全体像が見えてくると、

校長先生は圧倒的に嫌いなままだけれどw

校長先生がやらかしてくれたことは、

私たち親子にとって、愛だったなって思えます。

 

 

次女にとっては、

私が100%味方でいることを確認できて、

面接にも何も心配なく望めるし、

大人だからって絶対じゃないってことも知る良い機会になった。

 

私は、自分をまた解放してあげられたから万々歳。

 

 

 

ほらね〜愛しかないんだよね。

悪役さんにはほんと感謝しかないぜ。

 

 

こんなふうに生きていると、

悪いことってないのです。

全部が自分を幸せにするために起きているとわかるから。

 

 

 

 

ってことで、長くなってしまったけれど、

いかがでしたでしょうか?

 

人の心って複雑で、奥が深くて、

自分のことすらよくわからないもの。

 

だから現実世界に投影して見せてくれている。

あなたこんな価値観もってますよ〜って。

いらないなら捨てていいよ〜って。

 

 

 

そして捨ててしまえば、もうなくなる。

私の世界にもう同じ校長先生は登場しない。

 

私の中から

「ある一人の自責をする私」がいなくなったから。

 

 

自分を許せば許すほど、

外側の世界が変わっていくよ。

 

 

嫌な人は、そのきっかけをくれる恩人だよ。

 

「そうかもしれない。」

そう思える人の未来は明るい。

 

 

 

 

 

 

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