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二礼二拍手一礼は本当に正しいのか?

現代では、神社に参拝するとき、ほぼすべての人が同じ作法をしています。

 

お賽銭を入れて
鈴を(あれば)ならす。

 

お辞儀を二回。
柏手を二回。
人によっては祈願し、
最後にお辞儀を一回。

 

これを『二礼二拍手一礼』、または、二拝二拍手一拝といいます。
(拝も礼も一般的には同じ意味で使われる。
二拝ではなく再拝と言う場合もあるがこれも意味は同じ。)

 

 

これが正しい作法であると、すっかり定着しています。

 

 

多くの神社に、その参拝の作法が置いてあります。
神社に行かれる方ならばよく見るのではないでしょうか?

 

 

しかし、これは長年つづいた伝統的な作法ではありません!
比較的最近作られた作法なのです。

 

 

では、いつごろから広まったのか?
ネットであれこれ調べたことをまとめると、

 

昭和末期か平成に入った頃(1989年)、1980年代後半ぐらいから二礼二拍手一礼する人が急速に増えていったようです。

 

quote
昭和末期の1985年には国会で「一般市民は、いま参拝するときにはお賽銭を投げて一礼をする、あるいは形式的に二礼二拍手一礼をやっているかもしれません」という発言があった。これにより当時は神社参拝で一礼するのが普通であり、二礼二拍手一礼は「やっているかもしれない」といわれる程度の普及度であったことが分かる。
引用元(装飾ブログ主):二礼二拍手一礼 - Wikipedia

 

quote
少し年齢が上の世代になれば、自分が若い頃は、そんな参拝の仕方はしていなかったと、昔を思い出している人たちもいるのではないだろうか。実際、二礼二拍手一礼という参拝の作法が広まったのは、それほど昔からのことではない。いつから広まったのかについては、はっきりしたことは分からないが、浸透したのは平成の時代になってからで、昭和の時代には、まだそれほど広まってはいなかったのではないだろうか
引用元(装飾ブログ主):「神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由 「二礼二拍手一礼」はウソだった

 

 

二礼二拍手一礼が定着する前は、
一礼のみ、二拍手一礼、合掌のみなどと、みなが思い思いのやり方をして、これといった作法はなかったのです。

 

 

 

 

誰が作法を広めたのか?

では誰が二礼二拍手一礼を普及させたのか?

 

 

私がやったという人や、決定的な証拠は、
なんと・・・存在しません!!

 

 

とは言え、多くの神社に参拝の作法が置かれているのだから、神社公認なのです。

 

 

となれば、日本の9割以上の神社を統括している神社本庁が勧めたであろう事は間違いありません。

 

 

 

神社本庁のHPを見てみると、以下の様に書いてあり、手水の作法、拝礼の作法、玉串拝礼の作法とつづいています。

 

quote
神社に参拝する場合、どうしても形にとらわれてしまい、終始形式的になりがちです。参拝作法は、永い間の変遷を経て現在、「再拝二拍手一拝」の作法がその基本形となっています。

そこに、どう心を込めるか、また込めたほうがよいのかは、参拝される皆さんの心の持ち様ではないでしょうか。
引用:参拝方法 | 神社本庁

 

 

なんだか、もって回った言い方ですが、
「再拝二拍手一拝」(二礼二拍手一礼)が作法の基本だからやってくださいという感じでしょうか。

 

 

じゃあ、そもそも神社本庁ってなに?

 

 

 

 

神社本庁とは何か?

 

神社本庁とは全国約8万の神社の運営をする組織であり、つまりコンビニの本部のようなものです。日本のほとんどの神社が加盟しています。
(伏見や、出雲など主張が違うところは設立時から入っていない。

後日も神社本庁とめて抜けた富岡八幡宮、金刀比羅宮なども存在する。)

 


代々木にある神社本庁の建物。
画像:神社本庁 | 公式サイト

 

実際の神社本庁は、東京・代々木、明治神宮の隣りにある。
ここではスーツ姿の職員約60人が働く。
そして、全国の神社の運営方針を決めたり、神主の資格の管理、人事などを調整している。

 

 

 

 

神社本庁

戦前は、伊勢神宮をトップに大手神社は国の管理下にありました。
いわゆる国家神道です。

 

 

第二次世界大戦後、GHQは日本の強さには国家神道が原因の一つであるとし、

国家と宗教を分離するように通達します。
 

それによって1946年2月3日に結成された民間の宗教団体が神社本庁なのです。

(省庁みたいな名前で間際らしいですが、一宗教法人なのです)
この神社本庁の下に日本のほとんどの神社が(コンビニのように)参加しているのです。

 

 

宗教ジャーナリスト小川寛大氏によれば、神社界全体として、自分達は突然放り出されてしまった恨みの情念が渦巻いているそうです。
それが反米思想、戦前回帰へと繋がっていると言います。

 

そして1980年に神社本庁憲章を発表します。
それについて小川寛大氏は以下の様に述べています。

 

quote
『神社本庁憲章の解説』の中には、「ひたすら大御代の弥栄を祈念申し上げることこそ、神社祭祀の本義でなくてはならぬ」といった文章も出てくる。そうした主張を前提としてまとめると、神社本庁はつまり「天皇の統治する時代、また皇室の繁栄」を祈ることこそが、神社の活動の第一目的だとしているわけなのだ。
一般の参拝者が願う〝ご利益〟は二の次、もっと言えば、それはあくまで「天皇の統治する時代、また皇室の繁栄」があった上でかなえられるものなのだ、としているのである。
引用:【小川寛大】神社本庁とは何か「安倍政権の黒幕」と呼ばれて

 

 

今の神社本庁というものは、戦前回帰、天皇中心主義の復活を願い、それによって神道が国家に一体となることを夢見ているわけです。

 

その為に、神社本庁は積極的に政治に関与し、憲法改正を訴えて安倍晋三を担いでいたわけです。

 

 

 

 

二礼二拍手一礼の普及の目的

1980年に発表された神社本庁憲章で、ハッキリと戦前回帰をうたった神社本庁。
となれば、1980年代後期から広がった二礼二拍手一礼の普及というのも、その流れで行われたと考えるが自然です。

 

戦前の国家神道とは、皇室を頂点とし、天皇の祖先である天照大神を祀る伊勢神宮を神社の頂点に置く体制であり、それは国家の為の宗教でした。

 

それは昔から日本の伝統としてある多神教で緩やかな自然信仰とはまったく違う、明治以降に作られた人工的で国家の為の宗教なのです。

 

 

 

 

何が問題なのか?

二礼二拍手一礼に話を戻します。

 

二礼二拍手一礼の何が問題かというと、戦前回帰を望む人達が、密かに流行らせているやり方であるということです。

 

そして、実は戦前ですら、参拝には明確なやり方はなく、参拝者は、思い思いのやり方で参拝していたのです。

 

合掌のみ、一礼のみ、二礼二拍手、統一された作法はなく思い思いのやり方だったのです。

 

 

神さまは人間がどのようなやり方をしようと気にしない。
というのは基本ですが、

 

わざわざ戦前回帰を望むやり方の人達が提案している作法で参拝をするということは、神さまへの参拝に、一段余計な物を入れていることになるのです。

 

 

もしもあなたが、作法だからとなにも考えずに二礼二拍手一礼をしているのなら、一度、参拝の作法を見直してみることをお勧めしたます。より深く神さまと交流ができるということなのです。

 

 

 

 

最初、調べた分だけ書いていたらかなりの量になったので、今回は要点のみにしました。
気が向いたらもう少し書くかも知れません。

六つのバルドの根本詩句を心掛ける

六つのバルドについて解説した詩句が六つのバルドの根本詩句です。

修行者は、これを暗記し、生涯繰り返し唱えるようにとチベット死者の書には書かれています。

 

 

 

大黒天様:

と言うわけで、根本詩句をよく読んで心掛けてみてどうだった?

 

 

フミ:

まず翻訳の文章をもっとしっかり選んだ方がいいかなと。

 

 

大黒天様:

んー、元々のチベット語だしな。

それを翻訳している時点で音の性質は失われている。

 

言葉よりも

意味がわかっていて、実践できているか

 

それがなによりも大切だ。

だから言葉はそこまで気にしなくてよい。

 

 

生のバルド

今、生のバルドが目の前にあらわれる。

 

この生に怠ける時間はないのだから、

学び、思考し、瞑想する道に入ろう。

 

知覚の経験と心の性質を道とし、

悟りの三身を得なければならない。

 

今、貴重な人間の生を得たのだから、

気を抜いて道を歩む余裕はない。

 

フミ:

生のバルド(現世)。

ここでは一生懸命生きるということですよね?

これはもっと頑張らないといけないかな😟

 

 

大黒天様:

そこは別にいいだろう。

 

 

 

 

夢のバルド

今、夢のバルドが目の前にあらわれる。

 

迷妄で死体のように眠っているのをあらため、

動揺することなく、悟りの境地へと入らねばならない。

 

内なる輝きの経験をつちかい、

夢の認識、放射、変容を通して、

 

獣のように眠り込むことなく、

眠りと悟りを一つにする修行に励もう。

 

フミ:チベット仏教では、夢を見ているときは、死後の世界とよく似た夢のバルドに行っているとします。

ですから、そこでも修行。

寝てても修行しろってわけですね。

 

 

さて、私はここ数ヶ月夢ノートを付けています。

 

それで、昨晩は、この宣言を寝る前に強く意識することで、

倍ぐらい夢を覚えられました。

 

 

大黒天様:

うーん、夢が倍覚えられるぐらいでは、目標とするところの1%ぐらいだ。

夢でしっかり意識は目覚めて(肉体だけは寝て)、

さらに夢の世界で修行をすることが肝心だ。

それぐらいにはならないと。

 

 

フミ:

なるほど😄

わかりました👍

さっそくやります❗❗

 

 

…って、そう簡単にはできないですよ😅

夢ですよ?

 

 

 

大黒天様:

いやいや、夢を見るのは意識の使い方に過ぎないのだから、

コツさえわかればそう大したことではない。

 

 

フミ:

コツ、、、

どうすれば?

 

 

大黒天様:

観察するしかないだろう。

寝る前の1時間ぐらい前から瞑想して、

自分が夢を見る、つまり夢のバルドへ入るのを観察すればいい。

 

 

フミ:

できますかねぇ??

 

 

大黒天様:

できるまでやれば、できるだろう。

 

 

 

 

瞑想のバルド

今、瞑想のバルドが目の前にあらわれる。

 

混乱と雑念を捨て去り、

二元性から解放された無執着の状態に入らなければならない。

 

創造と完成の階梯での安定を得なければならない。

 

悩みを捨て、

この瞬間の瞑想に集中し、

煩悩の誘惑に屈してはならない!

 

フミ:

夢と瞑想、セットという感じですかね。

こちらの心得も大切になってくる。

 

ちょっとこの文章はわかりにくい。

瞑想に集中しろとただ言っているわけではなくて、執着を捨てろと言っていますね。

瞑想を妨げる物は執着なのでしょうか?

 

 

大黒天様:

そこはそんなに勘ぐらなくてもよい。

ただ雑念を抑えて集中して瞑想しなさいと言っている。

 

今日のところはこんなところかな。

多少、夢見で変化が出たら、後半の死後のバルドについて語ろうじゃないか。

 

 

 

 

 

フミ:
夢見で進展がないと、これ以上先に進みそうにないですね😅

 

寝付きが悪かったり、色々睡眠は関係は苦手なのですが。。。

 

数日後につづく…はず

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六つのバルドの根本詩句

 

大黒天さま

ガイドは大黒天様です。

なぜ、大黒天なのか私もよくわかりません。

本当に何故なんでしょうか?🤔

 

大黒天は、日本では七福神として知られていますが、インド・チベットではマハーカーラと呼ばれ、シヴァ神が、破壊神となったときの異名です。

これが仏教に取り入れられると、仏教を守る神となります。

チベット密教における憤怒相の大黒天(マハーカーラ)

 

神田明神の大黒天像

2枚とも出典:大黒天 - Wikipedia

 

 

 

大黒天様との対話

フミ:

あるとき突然出てきたのです。

たまに神社で拝んだりするぐらいの関係ですが。

 

 

大黒天様:

仏教を勉強するとは良い心がけだ。

 

 

フミ:

しかし、日本の大黒天さまの姿とインド・チベットの姿はだいぶ違いますね。

 

 

大黒天様:

その時代時代で、人々が良いと思った表現で描写しているだけだ。

実際に私がこういった姿で固定されているわけではない。

 

 

フミ:

ではこういう感じでもかまわないということでしょうかね。

 

 

ChatGPT4(DALL3)によるイケメン大黒天。

 

 

大黒天様:

それで信心が生まれるならね。

さぁ、六つのバルドの根本詩句だ。

 

これを読み、暗記し、心に刻むことこそが、正しく、そして適切な修行となるのだ。

 

 

 

 

 

バルドとは

その前に、バルドについて説明します。

 

 

バルドは、チベット語で、

狭義の意味では、死後の世界を指します。

日本語だと中有(ちゅうう)、中陰(ちゅういん)と訳されます。

 

 

 

バルドの本来の意味は、中間状態です。

チベット仏教では、死後の世界も生前の世界も、連続しているととらえられてます。

 

その為、バルド(中間状態)は6つに分けられます。

 

 

1,生のバルド(現世で生きているとき)

 2,夢のバルド(夢を見ているとき)

 3,瞑想のバルド(瞑想中のとき)

4,死の瞬間のバルド(肉体から意識が離れる瞬間)

5,心の本性のバルド(死後の世界)

6,再生のバルド(死後の世界で新しい転生先を見つけるとき)

 

 

 

 

六つのバルドの根本詩句

その六つのバルドについて解説した詩句が六つのバルドの根本詩句です。

修行者は、これを暗記し、生涯繰り返し唱えるようにとチベット死者の書には書かれています

 

 

 

 

 

本文

生のバルド

今、生のバルドが目の前にあらわれる。

 

この生に怠ける時間はないのだから、

学び、思考し、瞑想する道に入ろう。

 

知覚の経験と心の性質を道とし、

悟りの三身を得なければならない。

 

今、貴重な人間の生を得たのだから、

気を抜いて道を歩む余裕はない。

 

 

 

夢のバルド

今、夢のバルドが目の前にあらわれる。

 

迷妄で死体のような眠っているのをあらため、

動揺することなく、悟りの境地へと入らねばならない。

 

内なる輝きの経験を培い、

夢の認識、放射、変容を通して、

 

獣のように眠り込むことなく、

眠りと悟りを一つにする修行に励もう。

 

 

 

瞑想のバルド

今、瞑想のバルドが目の前にあらわれる。

 

混乱と雑念を捨て去り、

二元性から解放された無執着の状態に入らなければならない。

 

創造と完成の階梯での安定を得なければならない。

 

悩みを捨て、

この瞬間の瞑想に集中し、

煩悩の誘惑に屈してはならない!

 

 

 

死のバルド

今、死のバルドが目の前にあらわれる。

 

あらゆるものへの執着、渇望、主観的な認識を放棄し、

教えが説く純粋な体験の道へ入らなければならない。

 

意識が生まれていない無限の空間に進んでいこう。

 

血と肉でできたこの体から離れるとき、

この身体はつかのまの幻影だったと悟るだろう。

 

 

 

心の本性のバルド

ああ、今、心の本性のバルドが目の前にあらわれる。

 

畏れや恐怖を捨て去り、

客体として認識されるものすべてが、自分の心の反映なのだと悟る境地に入らねばならない。

 

それこそがバルドの幻影のあらわれだと知れば、

 

この瞬間、カルマが止まる重要な地点に達し、

自分の心が映し出す、寂静尊と憤怒尊の集まりを恐れてはならない!

 

 

 

再生のバルド

今、再生のバルドが目の前にあらわれる。

 

心を一点に集中させよう。

善行のカルマの力をしっかりと増やすようにする。

 

子宮への入口をふさぎ、そこから引き返す方法を思い出す。

 

この時こそ、忍耐と純粋な知覚が必要だ。

 

嫉妬をすべて捨て去り、

グルと配偶尊を観想する!

 

 

 

結び

偉大な成就者の言葉がある。

 

「おお、心が惑わされ、死は来ないと思う者よ。

俗世での無益な営みに夢中になり、

そのままなに成果をあげずに戻ったのならば、

あなたの人生の目的を誤ったことになる。

真に必要なことを知りなさい。

それは解脱への聖なる教えです!

なぜ、今この瞬間から修行に取り組まないのか!」

 

 

また、次のようにも述べている。

 

「もしグルの口伝を心に留めないならば、

自分自身を欺いていることになるのではないか?」

 

 

ここに、六つのバルドの根本詩句が完成します。

 

 

 

 

読んでみて

フミ:

修行の心掛けの祈りと言ったところでしょうか🙂

 

 

 

大黒天様:

しかし、とっても良いことが書いてある。

では、早速実践しようじゃないか。

 

 

 

フミ:

えっ😲?

 

 

大黒天様:

知識だけ溜め込んでも、なんの意味もない。

実践してはじめて意味があるんだよ!

 

 

フミ:

ええ、マジかーガーン

 

 

つづく…

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【チベット死者の書】14 閻魔大王10 変化に掛かる年数

ChatGPT(DALL3)による猫とマニ車。

 

 

閻魔大王:さて、今日でこの対話も一休みとなる。

今日はお前が過去生についておこなった行いについて話せ。

 

 

 

 

過去生から現世までの一連の流れ

フミ:

自分がこの勉強を通じてわかったことはいくつかあります。

今まで、今の自分がいて、過去生があって、ある過去生の一部が現在の自分の考え方に影響していると考えていました。

ですが、過去生から現世までを一連の流れとしては捕らえていなかったのです。

 

 

それがバルド(死後の世界)を含めてみると、

過去から現在までが一連の流れとして精神的な影響が続いている

 

これがわかりました。

 

 

 

つまり、昔司祭だったから、キリスト教への思いがあると、清貧主義が残っている。

こんな風に考えていたのですが。

 

 

ではその司祭がいつ死んで、死後の世界ではどうだったのか?

次の生をなぜ選んで、その生ではどういう影響があって、

その過去生でも死んで次の生では・・・

 

このように連続性があるとわかりました。

 

 

 

フミ:

前回、閻魔大王様は、前世の精神が継承されるのは2割程度だと仰いました。

ですが、この2割が大きいわけです。

現世での経験から来ていることは、どうしてそう思うようになったのか自分でわかっています。

 

 

例えば、現世で騙されたから、疑り深くなるとか(笑)

すると次あると、「本当かな?」と思うようになる。

それは騙されたりした経験から、自分がそのように思うようになったとわかっているわけです。

 

 

ところが、前世からの思いだと、それこそ数百年前に思ったことだとすると。

現世でも生まれた時、あるいはある程度成長してから自然と湧き上がってくる思いですから、

自分では絶対的だったり、当たり前になっている。

だって、そのように思うより前の記憶が(瞑想したり、潜在意識を深く見ない限り)わからないわけですから。

 

 

これは本当にやっかいなものです🤔

 

 

 

閻魔大王:

お前はやっかいだと言うが、それは現世的な問題が解決されているから、そう思うのであって、

現世の問題を解消していない人には、現世で生まれた思いを解消、中和するのが最優先であるぞ。

 

 

 

フミ:

なるほど。

確かに、優先度としてはそうなりますね。

 

 

 

 

過去生の問題は認めにくい

フミ:

現世的な問題は、当人も(プライドなどが邪魔しなければ)認めやすいのですが、過去生での問題は、どうにもダメですね。

 

「あなたは過去生で悪人だった」とか、

「過去生のカルマからこうなっている」と言っても、なかなか納得されない(笑)

 

「過去生で悪いことをしたから、今生は善いことをしましょう」

これがまったく同意してもらえない。

これは現世的な問題を解消していないからでしょうか?

 

 

 

閻魔大王:

お前のクライアントで言えば、全員、現世的な問題に見えるが、過去生の問題から来ている。

しかし、それは数百年間影響を放っている課題なのだから、1年、2年で解消できるものではない。

むしろ、来世でそれが解消できるような縁を作る作業をさせるぐらいの気持ちで接するべき事だ。

 

 

 

フミ:

ええ、、、そうなんですか?

 

 

 

閻魔大王:

カルマがあるから、それを直ちに解消すればよいというものではなかろう。

家を建てるにも、土地を買い、基礎を作り・・・と手続きがあって事のこと。

カルマも、そのように準備や余裕を作ることからはじめないといけない。

 

 

 

 

 

劇的な変化は千に一つ

閻魔大王:

あと、お前も、現代人も含めて、

マンガや創作物の影響で、劇的な変化を望んでいるが、それはあまり良いことではない。

 

 

例えば死に瀕して誓いを立てるとか、

特別な啓示を得て新しい人生を歩むとか、

なにか衝撃的な出来事から、転機が訪れるとか。

 

 

こういったことで、実際に変わる人間はものすごく少ない。

ほとんどの変化は、数十年間による蓄積によって行われる。

 

千に一つの劇的な事例を過剰に取り上げるのはよくない。

 

ほとんどの変化は、蓄積の結果なのだ。

 

 

 

フミ:

突然の臨死体験で人生が変わった。

超能力を得た。

ある教えによって人生が変わった。

 

こういう変化はまずないというのですか?

 

 

 

 

閻魔大王:

そう言っただろう。

劇的、急激な変化もあるにはあるが、それは千に一つのあるぐらいのものだ。

つまり他の999の変化は、数十年掛けて行われる蓄積の結果による

 

 

 

だから、なにかを変えようとするならば、数十年

つまり人生の大半を通じて成さなければならない。

過去生からの影響を払拭するにも、それぐらいの年数が掛かると言うわけだ。

だから今生、その課題に取り組む余裕がないことも多い。

そうであるならば、来世でその問題に取り組めるように準備するというのが、一番自然なやり方となる。

 

 

 

フミ:

今のスピの流行だと、

目覚めよ!

一気に覚醒する!

全カルマ解消!

こういったことが流行っています。

 

私もそういった文句にはワクワクしてしまうのですが😅

 

 

 

閻魔大王:

そういったことも、百でも、千でも、万に一つでも、あることはあるぞ。

しかし、ほとんどのことは長い努力によって達成されるのだ。

というか、ずっと努力し続ければいつか到達するだろうというのが、当たり前であって、

わずかな努力で到達する!と言っても、結局は到達しないのならば、

到達するまでずっと努力を続けるものだろう?

 

過去生を含めてみれば、だいたい数十年から数百年掛けることで、

明確になにかを達成するというのが、ありふれたパターンなのだよ。

 

 

 

フミ:

なんとも、夢がなく、欲望が刺激されない話ですね😅

 

 

 

閻魔大王:

例えばマニ車(中にお経が書いてあって、回す度にお経を唱えただけの功徳があるとされている)を回して、

本当にそのような効果があるならば、多くの人間が悟っているだろう。

 

他のこれは他の数十倍、数百倍の効果がある!

こう言った売り文句は遥か古代からあるものだ。

今の流行というが、それ自体が古代から続いているカルマだ。

 

 

だから、その人や、まつわるカルマそのものを見ていけば、

その人や、一連の流れのどの当たりにあたっているのかがわかるようになる。

 

その流れがわかれば、これからどのようになっていくかもおのずとわかるというものだ。

 

 

 

 

と、閻魔大王との話はここまでのようです。

次は、バルドの根本詩句について書きます。

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【チベット死者の書】13 閻魔大王8 前世からの影響

ChatGPT作成。

 

 

閻魔大王:

お前もすこしばかりは死後の世界のことがわかってきたようだな。

 

 

フミ:

1ヶ月ぐらいあれこれ影響を考えたり、自分なりのワークをしてきましたからね。

 

 

 

これは読んだときにびっくりしたことですが、とても参考になりました。

 

仏教では、個人の経験と連続性は、主に記憶力に基づいて形成され、それは今世の瞑想修行を通じてさらに発展できるとされています。

 

また、長期間の病によって身体的、精神的能力を衰耗させた後に亡くなった人は、来世への特性や記憶などの持ち越されにくいとされています。

 

一方で、急死した人は、死亡時の心身の関係性が粗大なレベルで強固であるので、その生で獲得した特性や記憶を来世で維持する可能性が高いとされています。

 

 

前世から引き継がれた特性は、通常、生まれた直後に最も強くあらわれます。

その後、前世からの特性は、現世の親から受け継いだ特性にすぐに圧倒されると考えられます。

 

 

この点、個人の前世を思い出す能力が大きく関係しており、この前世を思い出す能力は、今世で獲得し深化した記憶力訓練に依るでしょう。


引用:The Tibetan Book of the Dead: First Complete Translation、ダライ・ラマ14世による導入解説より。

 

人間の意識は、本当に、文字通り連続している。死であっても必ずしも断絶していない。

 

死ぬときに、垂迹していけば来世に持ち越されにくい。

一方、急死した場合は、来世でも維持される可能性が高い。

とダライ・ラマ14世は語っています。

確かにその可能性は高いわけです。

 

もっとも、現世の親から受け継いだ特性にすぐに圧倒されるとも述べているわけですが。。。

 

 

 

閻魔大王:

圧倒されるのは意識の表面であり、深い部分では影響を保持しているのは間違いない。

人は生まれ変わって、確かに環境は出来事は変化するが、精神そのものはかなり引き継ぐ。

これは、転生先とは関係ないことなのだ。

 

 

 

 

シリアの少年

フミ:

これは有名な、自分を殺した犯人を特定したシリアの少年の話を思い出させます。

少年は生まれつきの赤いあざと前世の記憶を持っており、前の村を訪れ、前世では斧で殺されたと主張。

成人の骨格が発見され、犯人も告白したという話です。

自分の前世の殺人者を特定した3歳のドゥルーズ少年の奇妙な物語!

 

 

本当の話なのかの証拠はないようですが、若くして殺されたわけですから、記憶としては鮮明に残っていることでしょう。

一方、これがボケ老人になって死んだ場合、生まれ変わっても記憶が思い出される可能性は低くなるわけです。

 

 

 

閻魔大王:

ただ結局は本人の思いが強力であるかどうかなので、外部から簡単に判断できることではない。

何気ない人生だったとしても、本人が強く執着しているのならば、それは来世でも色濃く反映されるであろう

 

 

 

 

前世からの影響

フミ:自分も、また、周りを見ても、

私が思っていた以上に前世からそのまま続いているのがわかりました。

前はもっと影響が薄いと思っていたのですが。。。

 

時々、前世は関係ない!今にすべてがあるのだから!という人がいますが、

それはただ単純に、よくわかっていないだけなんじゃないかなーと思うようになりました😅

 

 

「今がすべて」と言っても、じゃあ学歴は?生まれた両親は?

日本に生まれたけど、日本人かどうか気にしない?

今まで学習したことをなかったこととして生きているか?

 

そういうことはないですよね。

 

物質的なものは、当然リセットされますが、

精神的なものはどれぐらい継承されているかなぁ。

 

 

閻魔大王:2割ぐらいではないかね。

 

 

フミ:

思ったよりも少ないですね。

 

 

閻魔大王:

そんなことはないだろう。

人間の精神構造で2割はそのまま引き継いでいる。

つまりあなたの決断、嗜好、習慣の2割は、

現世ではなくて、前世からの継続性をもっている。

これはとても大きいことだ。

それらの2割は、現世の記憶しかない場合は、

「なんとなく選んでしまう」、あるいは自分がなにか嗜好しているのすら気がつかないわけだから、かなり強力に作用する。

 

人生で経験したことで身についたことは、自分でそれを獲得した意識があるが、前世から続いていることには、ほとんどの人間は無自覚になる。

 

 

 

つづく

 


ワークや、他の人の過去生を見ていて更新が止まっていました。
また再開します。

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