最近は、


YouTubeのエトワールのサブチャネル
エトワールの占いの部屋の方で




視聴者の方から頂戴する

リクエストの数が急増しております。




そのリクエストについて、

今回霊感タロットリーディングいたしますのは、

1985年8月12日18時56分に発生しました、

「日航ジャンボ機123便墜落事故の真相」についてなのですが……。




実はこの件に関しまして エトワールは、
かつて当ブログに「あの日にみた予知夢」の
エピソードとして、書いていたのです。 





とは言え……。




あの日にみた夢の内容と言うのが、
あまりに凄惨な場面の連続であり、 


かつまた、公衆に公開することを
憚られる内容も含んでいたことから、


書き記すのにも、見たまま書くのは
気持ちが憚られると言う理由から、


かなり、ワンクッション置いた表現にして
書いていたのです、しかし……。
 



今回のリクエスト動画を
撮影するにあたり、


当時の報道のやり方とか、事故のその後に
ついての日時などを調べるために、


元記者の方とか、警察関係者の方の手記を
一通り目を通しまして、そして。


事故現場の、
生々しい惨状を記した文面を
目の当たりにいたしまして、


あの1985年8月12日の夜にみた
ニュース番組のことを、今度は、
以前にも増して鮮明に思い出した次第です。


「日航123便が行方不明になった」、と……。


そして更に。


以前の記事で表現していなかった、
「予知夢」の、更に詳細な部分までもが、
沸々と思い出されてしまったのです。



では、
その詳細な部分とは……。



白亜に赤い筋の入った鶴が、
惨たらしくも八つ裂きとなりながら
急降下で空から落ちてきて、



鶴の懐に 抱かれていたと思しき
男性も女性も、幼い子供たちも、 


そして、
老齢の人々に至るまで滑り落とされ、

次々と地面に叩きつけられ、


木の枝に突き刺さって

息絶える人もあれば、


その衝撃で体が引き裂け、
臓物が飛び散ってしまう人も多数いた――


まさに、最近になって読んだ数々の
記者などによる遺体の目撃談による話と、

夢でみた、地獄絵図の有り様が、
背筋が冷たくなるほどに一致していたのです。



そしてその背後には、黒い数人の人影が
立っているのが 見えておりましたが、


しかしもうひとつ、漠然としていて、
定かには 判別出来ませんでした。



そして私は、夢の中で黒い人影をみた瞬間に、
「巨大な力を持った組織団体」だと

直感していたのですが、しかし――。


しかし、それを占うような機会もないままに、
今日まで至ったという次第でございます。


ところで……。



日航ジャンボ機123便墜落は、
実は事故ではなく、事件なのだと
断言している人さえいらっしゃいます。


実を申しますと私も、
漠然とそう感じてはいたのです。 


でも、以前の記事にそれを示唆するのは
些か気が引けてしまい、あんな形でしか
書くことが出来ませんでした。 



しかし――


無惨にもお亡くなりになられた520名の
尊いお命を思うにつけ、お気の毒に思い、
涙してしまうのと、


また、当事故の背後にひそむ、
「真の事情」の気配を感受するにつけ、
言い知れぬ義憤に

駆られてしまうのも事実なのです。



そこで今回は、
当時の有りのままの現状を
カードに写し出すことで、

皆様にお伝えする時に、


必ずや、犠牲者の方々にも
お伝え出来ると思いますし、また。


事件を風化させない手段として、
多少なりとも役立つことが出来ればと、
強く思っている次第ございます。


それと、もうひとつ。
奇しくも、あの頃の私は……。



大阪で1985年8月に離婚をし、
長引いていた 悶着の末に、


二人の子供の親権を勝ち取り、
上の娘を引き取りに行ったのが
9月の上旬でした。


おまけに。


その日に予約した飛行機が
JAL便であり、


搭乗して着席するや、いきなり、
「ハイジャック予告が入ったため、
離陸を見合わせます」とのアナウンスが流れてきて、


不安に戦きつつも、
機内に約1時間30分も閉じ込められたのを、
今もって 忘れることが出来ません。




そんな経験からも、あの事故が頭を離れず、
しかし年ばかりを重ねてしまいましたが、


それが昨今になり、
件の事故の霊感タロットリーディングをリクエスト頂き、そのことにもまた、深い縁(えにし)を感じております。




精一杯、占わせて頂く所存でごさいます。


日航123便で無念にも
お亡くなりになられました皆様には、
心からご冥福をお祈りいたします。