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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

宮沢賢治の仏教思想②

2024年05月02日 | 仏教とは?
『宮沢賢治の仏教思想』(単行本・2023/12/8・牧野靜著)からの転載です。

本書総括

 本では、賢治が実生活で強い思い入れを持った人々と向き合おうとしてきた過程を追ってきた。
その相手は、まずは父・政次郎や妹・トシという家族だった。家族と向き合おうとする際、賢治が思の枠組みとして用いているのが、彼が自認する仏教の信仰、すなわち法華信仰である。そうして、その枠組みを用いて向き合おうとする相手は、やがて「すべてのいきもの」「みんな」へと拡張されていく。
 第一章では、父・政次郎と対峙するために、賢治は自身も会員であった国柱会主宰の田中智学による真宗判を持ち出し、それを創作に反映させるも、その試みに挫折していく過程を追った。
 政次郎は真宗大谷派の門徒であり、暁鳥敏や近角常という、当時著名だった僧侶を、岩手に招くほどであった。賢治に対しても、政次郎自身に病が感染するのも厭わず、泊りかけでつきっきりの看病を行うほどの愛を注いでいる。それゆえか、賢治が宮沢家の家業である質屋を継ぐことに反発したり、上の学校への進学を望み、親子間に対立が生じたときも、賢治は政次郎を直接批判することができない。
 信仰の篤い家長に対抗するには、それに対抗しうる別の信仰を持ち出す必要がある。そうして賢治が持ち出しだのが、智学の主張であった。智学の提示する枠組みを援用して真宗批判を行うという賢治の試みは、最終的にはあまり上手にいっておらず、賢治自身もそれに自覚的である。それでも、賢治は信仰という土俵で、政次郎と対峙しようとしたのである。
 第一章では、妹・トシを取り上げた。トシは従来語られてきたより、はるかに意志の強い女性であった。トシは恋愛事件を起こしたことをきっかけに、東京の日本女子大学校に進学することとなる。
父・政次郎からは近角の求道会館に通うよう諭され、それに従うも、トシは真宗の信仰を確信するには至らない、進学先の日本女子大学校の学長である成瀬仁蔵からは、「信仰とはなんぞや」という課題を与えられ、影響を受ける。そうしてトシは苦悩し、思索し、宮沢家の信仰を離れ、法華信仰の道を選んだ。その際、当時の真宗僧侶の言説の中では、立身出世を果たしながら宗教的に救済される女性のロールモデルが示されていなかったことが、改宗の理由であることを明らかにした。トシの改宗には、信仰と進路選択とジェンダーの問題が、密接にかかわっていたのである。
 トシはその意思の強さや強烈な自我という点て、兄・賢治と似たところを持っていた。また、進路選択と信仰の点で、賢治が共感しうるような悩みを抱いてもいた。トシもまた、信仰について葛藤することで、家族と向き合おうとしていたのである。
 第三章では、賢治がトシの追善をどのように行ったかを確認した。賢治は国柱会会員としての強いアでデンティティを保持しているかゆえに、やや奇橋な仕方で、トシを弔おうとする。しかしそのような追善を行っても、『日蓮聖人御遺文』を用いて患いを馳せても、賢治はトシの死後の行方を確信することができない。やがて賢治は追善としての「教者」として、通称〔手紙四〕とされる童話を近隣に配り歩いた。それは、蛙に転生した妹を兄が打ち殺すというショッキングな筋書きの物語であった。そのような賢沢の行動について、トシが畜生に転生する可能性に思いを巡らせた結果、「すべての生きもののほんとうの幸」という課題を創作上で希求しようと決意したためであることを指摘した。
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