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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

旧統一教会対応 僧侶・宗教学者釈徹宗さんに聞く

2022年12月04日 | 現代の病理

3日の法話会の折、世話人が12月2日の『朝日新聞』の記事をコピーして届けてくれました。以下転載です。

 

「旧統一教会対応 僧侶・宗教学者釈徹宗さんに聞く」

 

信仰か搾取か不当性の区別を

 

 

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)へ「質間権」が行使され、悪質な寄付勧誘を防ぐ被害者救済新法が国会で審議される。こうした動きは、信仰に生きる識者にはどう映っているのか。浄土真宗僧侶で宗教学者の釈徹宗さんに聞いた。

 

 -―旧統一教会の問題をどう捉えていますか。

 旧統一教会は宗教教団だが、政治・商業カルトでもあり、今回の問題は特殊ケースといえる。被害者や全国霊感商法対策弁護士連絡会の人たちの気持ちを考えれば、一刻も早く救済したい。

 ただ、権力介入のプロセスをいかに透明化するかが重要だ。この機に段階を整理したほうがいい。一般的な場合、質問権を行使した後、その宗教法人を監視対象に指定して様子を見てはどうか。改善が見られなかったら最終的には解散命令請求をする。権力による恣意的な運用がないように、そのような段階の設定をオープンに議論すべきだ。

 

--宗教にとって寄付、献金はどんな意味がありますか。

 利他行為であり、宗教にとって欠くことのできない重要な行為といえる。寄進や喜捨、布施などとも言う。布施の「布」も「施」もほどこすという意味になる。仏教の布施とは、自分の修行。自分の握っている手を放すトレーニングで、執着から離れるための修行だ。道元は「放てば手にみてり」と言った。手放すから手に入るものがある。

 

-利他とは、どういうことでしょうか。

 他者の利のために行動することで、わかちあうこと→自分以外の存在に目を向け、苦しみや悲しみに共感し、ともに歩む。それが利他行為だ。

 救済新法では、家族が返還請求できるようにする。ただ、家族とはいえ、本人が信仰のために出したものを否定することになり、信教の自由を侵すことになる。だから献金させる不当性の要件を、はっきりとさせなければならない。旧統一教会の献金は搾取といえる。そのような反社会的な行為については返還請求できることを明確化したほうがいい。

 

-宗教2世も問題になっています。

 この問題が話題になったのは、1985年に川崎市で起こった輸血拒否事件だろう。10歳の男の子が親の信仰のために輸血されずに亡くなった。自分自身が輸血を拒否して死ぬという信仰があっても、子どもにまで適用していいのか議論された。5年ほど前からは当事者がSNSで声を上げた。

 宗教2世という表現が適切なのか。どの文化圏のどの民族も大半の人は親や地域の宗教風土に影響を受け、同じ信仰を持つ人が家族を築いている。問題はカルト宗教教団であり、「カルト2世」の表現を定着させたほうがいい。

 カルトは宗教だけではなく、反社会的な手法を使う政治カルトや商業カルトもある。カルト2世は外への扉が閉じられている。組織の偏った思想や理念で縛りつけ、離れると生きていけないように囲い込むのが特徴だ。

 

―宗教と社会のあるべき関係は。

 宗教の時間はゆっくりと流れ、薄紙一枚一枚が積み重なっていくような領域なので、社会に土着するには時間がかかる。一方、宗教独自の社会問題へのアプローチがある。たとえば生命操作技術はと問う。社会はそれを受け、命について考える。宗教もまた社会の要請に向き合い、教義教学を鍛錬する。宗教と社会が互いに刺激しあい、よりよいものをめざす。この関係がカルト教団にはない。

 

-これまで、なぜ宗教の議論が少なかったのか。

 誤解している人も多いが、政教分離とは国が特定の宗教に肩入れしないことだ。各教団が特定の政治家、政党を応援するのは認められている。

 宗教法人法の改正に慎重なのは、各教団の反発があるからだ。創価学会を支持母体とする公明党が与党であることも影響しているかもしれない。教団票の形で、特定の教団から支持を受けていれば、政治家も宗教のことは語りにくいだろう。ただ、今回の問題で、政治家の宗教リテラシーの低さが露呈した。

 

―宗教教育の必要性も問われています。

 宗教教育が大切なのは三つの背景がある。一つはグローバル化。海外から多くの人が訪れ、なじみの薄い宗教が身近になる。二つめは、カルト問題に対して宗教の知識が必要になる。三つめは、宗教は人類の知恵の結晶だからだ。

 海外をみると、フランスは教育から宗教を追い出し、カルト問題に苦しんでいる。イギリスやドイツは多文化共生の社会をめざし、宗教を理解しようと取り組んでいる。日本は戦後、宗教を排除するだけだった。

 公教育で何を教えたらいいか。一つ一つの思想に深入りするのは難しく、宗教の基礎知識から始めるべきだろう。今後は、海外から来た人たちと社会を運営していかなければならず、本腰を入れて宗教教育を考える必要がある。

        (聞き手・岡田匠)

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