仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

未来のドリル コロナが見せた日本の弱点

2021年10月04日 | 現代の病理

『未来のドリル コロナが見せた日本の弱点』 (講談社現代新書・2021.6.20・河合雅司著)、図書館の新入庫紹介にあった本です。本から連載します。

 

そもそも、コロナ禍をきっかけに目の前に現れた変化のほとんどは、新たに起きたことではない。「コロナ前」から日本の弱点であった。コロナ禍はそこを突き、「積年の宿題」をあぶり出したのである。それを放置すれば日本が行き着く「由々しき近未来」を予告編のように見せ、一気に時間を進めたと理解すべきなのである。

 

コロナ禍が残した最大の爪痕は、少子高齢化とそれに伴う人口減少の悪化であった。いわずと知れた、わが国一番の国難だ。コロナ禍がこれにあたえた影響は、“一過性の変化”とはいかない。深刻さの度合いが違い過ぎる。

 それはまた、婚姻件数の激減という形で始った。厚生労働省の人口動態統計月報(概数)で2020年1~12月を見ると、前年同期比で12.3‰減った。婚姻件数の落ち込みは、出生数の減少に直結する。すなわち人口減少だ。出生数減少の流れは2021年に入っても続いている。人口動態統計速報で1~3月を「コロナ前」であった2020年のI~3月と比べてみると、驚くことに9.2%下落しかのだ。

 こんなペースが続いていけば、2021年の年間出生数の大暴落に続き、2022年は、少子化が従来の想定より四半世紀も前倒しされる可能性が出てくる。そんなことが現実になったら、日本社会は取り返しのつかないダメージを陂ることになる。

 

「同調圧力」が強まっていく

 少予高齢化がもたらす最大の恐ろしさや弊害とは何だろうか?

 それは、総人口に占める若者の割合が小さくなることに伴って、知らず知らずのうちに社会全体の思考や発想、行動が「守り」に入るようになることである。「守り」に入れば、やがて社会全体の活力が損なわれ、国家は衰退の道を歩むこととなる。

 コロナ禍は図らずも、そんな「社会の老化」の実態を浮き彫りにした。

 本書の「はじめに」でも指摘したが、コロナ禍において過剰な自粛と萎縮が国民に広がったこと自体が、日本社会の「老化」を示す証拠である。

 科学的根拠に乏しく、合理的な説明がないまま中止や自制を求められても、「仕方ないよね」と従ってしまう。

 予定通り開催して感染者を出そうものなら、世間の批判の的になる。そんな危険を冒すよりも、最初から中止にしてしまったほうが無難である、といったネガティブな思考パターンに陥っているのだ。

他人の行動がまわりの人々と違うことに口出しをする「同調圧力」も、「社会の老化」が進行ほど強まっていく。

 思考が「老化」した人々にとって、旧来の価値観が”絶対”のモノサシとなりがちであり、それを遵守しない人たちへの攻撃性が増すのである。“自粛警察”やあらゆる地方の飲食店街で見られた、「県外の方は入店をお断りします」「当面は常連さんのみの営業といたします」といった店先の貼り紙は不寛容さの象徴だ。市役所が作成し、飲食店に配付していたところまであった。もはや合理的判断のかけらもなく、「社会の老化」以外に説明のしようがない。

 国民の平均年齢が「若い国」であれば、「実現し得る方策」を探そうと努力する。ところが、日本のように「老いた国」では“無難にやり過ごす”ことを重視する。もちろん、時には無難にやり過ごすことも”大人の知恵”となる場合がある。しかしながら、度を越せば社会にとっての害悪でしかない。(以上)

 現在の日本には、生産年齢人口が増加していた1990年代前半までのような子不ルギーが感じ取れない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大乗仏教の誕生 「さとり」と... | トップ | 一秒あれば »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

現代の病理」カテゴリの最新記事