人生の残り時間が少なくなってきたので改めて人生を考えてみた

人生を考えるのが人生なのかも知れない

人生って何なのだろうかと若い頃は考えもしたが、社会に出るとそんなことは一切考えなくなった。考えようが、考えまえが、日々の忙しい生活は待ったなしにやって来るからだ。

ところが、還暦を過ぎて人生の残り時間が少なくなるとどうしても人生を考えてしまう。もちろん、答えなど出るものではない。動物や虫などは当然そんなことなど考えない。人間にのみが考える特権が与えられているものだ。

さて、改めて人生とは何だろうか。若いころ考えたことなど忘れてしまったし、そもそも若い頃の考えなど取るに足らないものだっただろう。

人生とは人が生まれてから死ぬまでの活動と定義付けることができるが、人生を考えるとはいったい何を意味するかから考えていかなくてはならない。そう考えると、もっと具体的になる。

つまり、人生を考えるとは、どうすれば良い人生を送れるか、良い人生とは何かということを考えることに他ならない。

どういった人生が良い人生なのか。それは自身が良い人生と思えた人生が良い人生であることに他ならない。他人がとやかく言えるものではない。人それぞれ。

それでは、蚤野の場合はどうかというと。それは、苦しまない人生、楽しい人生。幸せな人生が良い人生と思う。

でも、こうした定義は危険だ。良い人生でなければ生きている意味がなくなると短短絡的に結論付けられる可能性があるからだ。

どんな人にも生きる人生があり、どんな人生であっても価値があるものだ。そう思いたい。ならば、人生自体を考えることすらナンセンスなことなのかも知れない。

きっと、人生を考えることが人生なのだろう。