Monday 2 January 2023

小説 i(アイ)

西 加奈子(2019年 ポプラ文庫)

虚数 複素解析 リーマン球面 留数定理 解析接続

2017年本屋大賞第7位の作品です.米国人と日本人の夫婦の養子として育ったシリア出身のアイが,恵まれた環境で育つことに疑問を持ち,自分という存在に悩みながら成長していくという話です.

物語の冒頭に,アイが日本の高校入学後最初の数学の授業で,教師が虚数単位 $i$ ($i × i = -1$となる数)について紹介している場面があります.

「この世界にアイは存在しません。」
「二乗してマイナス1になる,そのような数はこの世界に存在しないんです。」

この言葉のために,まるでアイという名の自分が存在してはいけないような感覚をずっとひきずったまま,時が過ぎていきます.物語後半,数学科の大学院生になって,婚約者ユウとの会話の中で $i$ の存在を確信していたアイからこの話を聞いた教授はこう言います.

「そんなことを言う数学教師はばかだ。」
「アイは存在する。」

ここでようやくアイは自分自身を「いなくてはいけない存在なのだと」確信します.

この高校教員や大学教授は虚数単位 $i$ のつもりで言っていますが,著者はこれをアイと表現することで,主人公アイの存在について同時に考えさせる狙いがあるのでしょう.実際はこんな間違ったことを言う高校教師はいないと信じたいですが,この最初のセリフが呪文のように後半まで何回も登場するので,ちゃんと修正されるのか読んでいて心配でした.

アイもいつしか彼らと同じように欲望を滅し,勉強に没頭した.リーマン球面の概念に心を震わせ,留数定理の強さに惹かれ,解析接続の難解さにうなった.

いずれも複素解析(複素関数論 or 関数論ともいわれる数学の分野),すなわち複素数から複素数への関数について論じるための用語です.

https://en.wikipedia.org/wiki/File:Riemann_sphere1.jpg
リーマン球面
アイが「心を震わせる」リーマン球面は,複素数平面に無限遠点∞を加えたもので,これは球面と1対1対応させることができます(右図参照).ここでは∞を数のように扱うので,zを0でない複素数とするとき,z/0=∞とか,z/∞=0などの計算ができます.

留数定理
アイが「強さに惹かれ」る留数定理は,数式でいうと$$\displaystyle \oint_{C}f(z)dx = 2\pi i  \sum  Res(a_i) $$という定理ですが,どう強いのでしょうか.英語版WikiPediaには,「閉曲線上の解析関数の線積分を求めるのに強力な道具である」と書かれています.つまりこの定理によって複素積分が簡単にできることを「強い」と表現しています.

解析接続
アイが「難解さにうなった」解析接続は,一言でいうと定義域の拡張です.簡単な例として,初項1、公比$x$の無限等比級数を考えます.$$1+x+x^2+ \cdot \cdot \cdot \cdot =\frac{1}{1-x}$$高校数学では, $-1<x<1$のときだけこの等式が成りたちますが,解析接続するとこれ以外の範囲でも成りたち,次の有名な等式を導くことができます.(理由は検索するといっぱい出てきます)$$1+2+3+ \cdot \cdot \cdot \cdot =-\frac{1}{12}$$

[Reference]

Residue theorem
https://en.wikipedia.org/wiki/Residue_theorem

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