小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

ゆずり葉 ~死ぬってなんだろう?

2022年09月11日 | 大切にしていること
■エリザベス女王が亡くなり、ゴルバチョフ元大統領が亡くなり、
そして自分の身近な人が亡くなり、ふと死について、
なんだかだいぶ自分自身の感覚が変わってきているのを感じて、
大切な友人に話を聞いてもらいました。

そうしたら、とても素敵な言葉と詩を贈ってくれました。
僕が知らなかった詩、
知っていたけど日常で忘れかけていた言葉、
大好きな物語の世界を思い出させてくれました。

悲惨だ、
悲しいと思っていた死が、
厳かで、
誰にも平等にやってくる死というものを、
理屈ではなく、
感覚で少し捉えるようになってきた、そんな気がしています。

せっかくなので教えてもらった素敵な詩を紹介したいと思います。

ゆずり葉】

子供たちよ。
これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は
新しい葉が出来ると
入り代わって古い葉が落ちてしまうのです。

こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉が出来ると無造作に落ちる
新しい葉にいのちをゆずって――。

子供たちよ
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです
太陽のめぐるかぎり
ゆずられるものは絶えません。

かがやける大都会も
そっくりお前たちがゆずり受けるのです。
読みきれないほどの書物も
幸福なる子供たちよ
お前たちの手はまだ小さいけれど――。

世のお父さん、お母さんたちは
何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちにゆずってゆくために
いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
一生懸命に造っています。

今、お前たちは気が付かないけれど
ひとりでにいのちは延びる。
鳥のようにうたい、花のように笑っている間に
気が付いてきます。

そしたら子供たちよ。
もう一度ゆずり葉の木の下に立って
ゆずり葉を見るときが来るでしょう。


作者の河井醉茗(かわいすいめい)さんは、
1874年(明治7年)生まれ、 1965年(昭和40年)1月17日に亡くなっている日本の詩人です。

母島の石門に僕が好きな「ユズリハワダン」という固有植物があります。
これといって、あまり個性的な特徴が見えにくい植物です。
なぜこの植物に僕が惹かれたのか自分でも分からなかったのですが、
今回のこの詩を読んで分かった気がしました。

僕たちは意図していても、意図していなくても、
次の世代に譲って生きている。

ステキな詩を教えてくれて本当に感謝です♪


■僕自身、両親を亡くしていますし、
僕が中1の頃に亡くなった父親は、
母とは離婚していて一人暮らしだったので、
真夏に亡くなってから発見されるまで時間がかなり経過していて、
本当に多くの人に助けてもらったと思います。

その恩返しとも思っていますが、
僕自身も生きていて、亡くなった人に関わる仕事や発見した経験も幾つかあって、
最初は人の死って、
もっとなんか恐ろしくて、怖いものなイメージでした。

だけど今は違ってきた気がします。
悲しみや恐ろしさや、怖さが薄れてきていて、
ああ、逢えないんだという寂しさが残る、そんな感じです。

孤独死だったり、発見が遅れてしまったり、
病気やケガで亡くなっても、
何だか以前に比べて死に対する感覚が変わってきているのを感じます。

自分自身が人生の折り返し支店でもある40歳を過ぎたからでしょうか?



■過去に書いたかもしれませんが、
良く知った人が亡くなっていて、第1発見者になったことがあります。

すごく気持ちが落ち込んで、気が重い時間を過ごしていたのですが、
海でSUPをしていて、1羽のカモが死んで海面にプカプカと浮かんでいるのを見つけました。

普段、よくサップをしていても、そんな光景を見つけるってあまりありません。
何故か、ご遺体を発見した翌日の昼に、そんな光景に出くわしました。

その時にストンと心に落ちたものがありました。
「ああ、これが自然なんだ」と。

亡くなった方は一人暮らしで、
いわゆる孤独死と言えるとおもうのですが、
思いっきり好きなように生きているような人で、
カッコいいなと思っていました。

どんな死に方であれ、
好きなように生きて死ぬのって、最高で自然なのではないかと今は思えるのです。


■そして今日は9.11。
アメリカの世界貿易センタービルやペンタゴンにハイジャックされた飛行機が突っ込んだ日です。
その後2つのビルは倒壊し、沢山の人が亡くなりました。
当時僕は友人とTVを見ていて、陳腐なB級映画と思ったら、現実でビックリしたのを覚えています。

そして、今もロシアとウクライナの戦争は続いているし、
チベットやウイグル、各紛争の地などでも毎日沢山の命が奪われ、苦しんでいます。

冒頭に書いた死はいわば自然死だと思います。
だけど戦争や侵略で失われる命は、怒りや悲しみが残って、あまりに違う死な気がします。

東日本大震災や台風、
天災でも沢山の命が奪われて悲しい、辛い事は事実ですが、
権力者の利権やプライド、資源や宗教の為に人殺しをする戦争とは、
まったく違うものと思います。

私たちは戦争というもの、侵略というものをなくしていこうとしなければと思うのです。
その為には、自分のお金の使い方、選挙の選び方、暮らし方、
そしてごく身近な家族との平和を維持することをやっていかなければと思います。


■Mement Moriメメント・モリ。
今回、友人が贈ってくれたこの言葉、
僕も最初にこの言葉に出会ってから、久しく忘れていました。

ラテン語で、
「自分が必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」「死を想え」という意味と言われています。

友人もそうでしたが、
俺もはこの言葉をポジティヴに捉えてて、
まさに全ての人に平等に訪れる死を受け止めて、
だからこそ今を生きるって捉えています。

この言葉を最初に意識したのは藤原新也さんの写真集を見た時だったと思います。
インドの魂の抜けた人の体が燃やされ、丸焦げになり、犬に喰われ、カラスが見つめているのを描写していて、
「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」とコメントが添えてあり、
とても印象深い写真集でした。

その後、Mr.ChildrenやBUCK-TICKも曲のタイトルにしていたりしていて、
一時期、この言葉をいつも意識している時期がありました。

久しくこの言葉を忘れていたのですが、
友人が再び思い出させてくれました♪
どうもありがとう!


■最後に僕のバイブルの一つである「リトル・トリー」(フォレストカーター著)の世界がその真髄な気がします。
僕自身がこの本を紹介した友人が、
今回、このリトルトリーのいのちの話をしてくれて、
僕自身がまた再確認することができました☆

インディアン達が
「今日は死ぬのにもってこいの日だ。次もきっといいだろう」って言って、
身体の心(ボディマインド)が抜けていって、
霊の心(スピリットマインド)だけになっていく…

そしていつまでも霊の心は生き続けていて、
生まれ変わっていく。

リトルトリーのおばあちゃんが彼に教えてくれた、
霊の心を鍛え、愛と理解を教えるシーンが僕はとても大好きです♡

中学校の頃に学校の図書館で気になった本が、
今もこうして僕の中で生きています。

先住民の言葉を歌にして有名な「千の風になって」。

「私のお墓の前で泣かないでください」の歌い出しで知られるこの曲は、
アメリカ発祥の詩『Do not stand at my grave and weep』に、
小説家の新井満が日本語での訳詩を付け自ら作曲した歌です。

人の死について考えて、
自分の死についても考えた時、
自分がどう捉えて、どう受け入れていきたいか。

僕も妻も娘たちもいつかは死ぬのです。
次の代にすべてをゆずりながら、千の風になっていく…

あまりに儚い命のセミたちが、
今、母島の北部で大合唱をしています。

何年も幼虫で土の中で過ごした後、
ほんのわずかな時間、成虫として過ごして、
次の世代の卵を産み、土に還っていく…

自然界を見ていてもハッとさせられるし、
人の営みも結局はやはり自然なのだと思い知らされました。
そしてそれらすべてが、有難いと思えます。

そんな母島の夏の終盤、9.11でした。

全ての命にご冥福を祈ります。


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