久しぶりに実践編の更新です。

 

ヒマワリ

本当に自分を好きになるためには

自分の未熟さを

理解し受け入れていくことが大切です。

未熟さを否定したままでは

自分を好きになることは出来ません。

 

どんなに熱心に心を尽くしても

どうしても人は未熟な存在なんだ

 

ということを理解することは

自分への救いになります。

 

自分の未熟さを許せないと

人生の『時』が止まってしまいます。

 

同じ過ちを繰り返さないように・・

ということに熱心になりすぎて

行動を起こすことに

ためらいが生まれてしまいます。

 

そのようにならないために

自分や他の人についての

未熟さというものについて理解することは

生きづらさを解消する上でとても役に立ちます。

 

自分を好きになる方法 実践編 9 

 

星自分の中の未熟さと向き合う星

 

私は長い間自分の未熟さと向き合うことが苦手でした。

 

自分のことが大嫌いだった頃の私は、

世の中には正しい行いというものがあるって

信じていましたから、それに向かって邁進していました。

 

間違ってしまわないように・・・と、

いつも細心の注意を払っていました。

 

でもそれは、今思えば

『当時の自分にとっての正解』

を目指していたに過ぎず、

あれから何十年という時間を経て分かることは、

当時正しいと信じていたことは必ずしも正しくは無かった。

今思えば間違いだらけだった・・ということです。

 

ある時そのことに気付いたことは、

大きな苦しみを生みました。

 

「あんなに一生懸命がんばってきたのに

 間違っていたなんて・・」

当時も間違えていたと気付いて

反省したことがたくさんあったのに、

あの時正しいと信じていたことさえも

間違いだらけだったなんて・・。

 

がんばった日々までが今の私を責めてくる。

足を引っ張る・・そんな気持ちになりました。

 

『どんなに一生懸命にがんばっても間違ってしまう』

 

そのことが私の苦しみを更に大きくしました。

 

やはり行動しないほうがいい。

行動すると何かしら間違ってしまう。

きっとまた間違ってしまう。

誰かを傷つけてしまう。

何気ない言葉や態度で

悪意も無いままに無邪気に人を傷つけてしまう。

 

だから私は

何もしないほうがいい。

自分から積極的に人に関わらないほうがいい。

 

そうすれば誰のことも

傷つけずに済む。

不快な気持ちにさせないで済む。

これ以上の後悔を抱えずに済む。

 

そんな気持ちでした。

 

過去の自分の過ちを数え上げて

苦しくなっていたことも多かったです。

 

あの時何故あんなことをしてしまったんだろう。

本当に申し訳ないことをした。

今なら絶対にしないのに。

そんな風によく考えていました。

 

きっとあの人は今頃そのことによって

私のことを嫌っているだろう。

それで済めばまだ良いけれど、

私のせいで心深く傷ついて、

今でもそのことによって苦しんでいたらどうしよう・・

 

そんな風に

罪悪感にさいなまれることが

よくありました。

 

それはどんなに自分を

責めてみても、慰めてみても

ぬぐえる気持ちではありませんでした。

たとえ今どんなに目の前の人に心を尽くしても

過去に間違えてしまったことは、

もう2度と取り返しがつかない。

そう思うといたたまれない気持ちでした。

 

そのことがますます自分を好きになることの

足かせになりました。

 

自分を好きになろうとして

自分の良さに目を向けようとすると

湧いてきてしまうんです。

傷つけてしまった人の顔が浮かぶんです。

 

あの時あんなひどいことをしくせに。

どの面下げて自分の良さとか言っちゃってるの?

 

自分を責める気持ちが

どうしても湧いてきてしまいました。

それが本当に苦しかったです。

 

今なら分かります。

私は自分の『未熟さ』と向き合うことが出来ずに

苦しんでいたんです。

 

けれどながーーーーい葛藤の末

未熟さへの理解が深まった今

やっと自分の未熟さを受け入れることが

できるようになりました。

 

後悔の気持ちを、

『 これからの深い愛情に結び付けていく努力の

 原動力にしていく 』

という自分なりの着地点を見つけることが出来たからです。

 

自分の未熟さを受け入れて許せるようになった分

他の人の未熟さも理解できるようになって、

以前よりもぐっと許せることが増えて

寛容な気持ちでいられるようになりました。

どんどん生き易くなっているのを感じています。

 

今日はそのことについて

お伝えしたいと思います。

 

最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

 

 

かつての未熟だった自分の行いに今も苦しんで

自分を好きになれないでいるあなたへ

 

未熟でない人はいない。

人間である以上完璧はありえない。

 

いくらそんな風に思おうとしても

自分を許せない気もちが心の奥から

湧き上がってきてしまいますね。

 

だからこそ苦しんでいるんですよね。

その気持ち、本当に良く分かります。

 

私もずっと同じ気持ちでした。

 

どんなにかつての自分の過ちを

仕方がなかったこと・・と丸め込もうとしても

やはり仕方がないでは済まされないだろう・・という

想いが湧いてきて・・。

 

でもそれは

 

あなたのその後悔の大きさは

 

言い換えるならば

相手を思いやる気持ちの大きさ

だとも言えるんです。

 

それはあなたの優しさ

だとも言えるんです。

 

自分のしたことへの後悔の大きさは

それだけ今のあなたの『愛』の深さだと

言い換えることも出来るんです。

 

かつてのあなたは確かに未熟でした。

そのことは間違いなくあなたの中に存在する

厳然たる事実でしょう。

だからこそあなたは今も自分を責めているんです。

 

でもここからが大切です。

 

あなたの後悔は何処にありますか?

 

自分のしたことで自分が嫌われたことでしょうか?

それとも

相手の心を傷つけてしまったことでしょうか?

 

その後悔の中身はどっちでしょうか?

 

自分が良く思われたい。

自分の心を守りたい。

という自分の心に矢印の向いた後悔でしょうか?

 

それとも

あんなことをしてしまって申し訳なかった。

許してもらえなくてもかまわないから謝りたい・・など

相手の心を思いやって、

相手のほうを向いた矢印の後悔でしょうか。

 

もしもその矢印が

相手のほうに向かっているのだとしたら

それはあなたの心の中の

相手を思う気持ちの大きさだということなんです。

 

あなたは今でもその人のことを思っているんです。

 

その人の幸せを願っているんです。

願い続けているんです。

 

ヒマワリ

ここで『未熟さ』について

基本的なことからお伝えしていきます。

(しばらく一般論が続きます。

 必要なかったら次↓のヒマワリマークに飛んでください)

 

ここまで行ったら完成という

人間の形はありません。

何処まで行ってもある地点、

ある分野、ある事柄について

人間は未熟だといえます。

あえて言うなら

自分というのが自分の完成形であるわけです。

どこまでいっても

あなたがなることができるのは

あなた自身です。

 

あなたの中の心の

深さ、高さ、幅広さなどを、

無限に広げていくことはできます。

 

様々な経験を重ねていくことで

かつての自分には見えていなかった世界が

見えるようになったり、

以前よりも深く人の気持ちを思いやれるようになったりと、

自分の心の中を広げていくことはできます。

 

けれどそれらはすべて

自分の中を基準にするのであって

他者との比較することはできません。

 

過去の自分よりも

思いやりが深くなった。

自分というものが分かるようになった。

これができるようになった。

あれができるようになった・・など

あくまでも自分の中で

過去と今の自分を比較して対話し、

未熟さを克服していくことしかできません。

 

そしてはっきりと言える事は、

誰もが最後まで未熟だということです。

何か到達するゴールにたどり着くことはない。

ということを明確に分かっておく必要があります。

 

何処まで行っても自分の中を広げるだけなんです。

 

それを一度でも他者に目をやって

他者と比較してしまったら、

いつまででも何処までも伸びしろがある

という風に考えることもできますし、

考えなければならなくなってしまいます。

 

それでは未熟さは永遠です。

無限です。

 

いつまでも自分は何かにおいて、

どこかしらが足りない存在。

という風に考えることができます。

 

ですからあくまでも

未熟さというものについて考えるときに、

視点を外側に向けてしまってはいけないんです。

自分の心の中と対話することが大切です。

 

そのことがまず基本的なことだといえます。

 

そしてそのことを知った上で

自分の過去の行いを振り返ってみたときに、

いくらでも自分の未熟さは目に付きます。

 

今もよりも知らなかったのです。

今知っていることを

かつてのあなたは知らなかったんです。

 

そして未来のあなたが知っていることを

今のあなたは知りえないんです。

 

それはあなただけではありません。

誰にとっても同じことが言えます。

 

人はある時点のことしか理解できないんです。

 

先ほどとは逆に一度

他の人の方に目を向けてみましょう。

 

ある人が一定の時点において知っていることを

別の人が知らないということが起きてしまうのは

当然のことです。

 

それを知っている人から見ると

知らない人のことが未熟に見えます。

それを分かっている人から見ると

分かっていない人のことが未熟だと取れる・・

ということなんです。

 

無限に続くことなんです。

 

そのように考えていったときに

未熟でない人はいません。

 

誰もが皆、

何かしらにおいて、どこかの分野・地点において

未熟であると言えるんです。

ですから互いに認め合い、

許しあう必要が出てくるんです。

 

自分が知ってることを他人が知らないこともある。

またその逆もあるという理解が大切です。

 

 

どんなにどんなにがんばっても

絵が下手な人が画家のように

立派な絵を描く事は出来ません。

どんなにどんなに心を込めても

音痴の人に歌手のような歌唱力を

期待しても無理なことです。

 

どうしても無理。

どうしても出来ない。

どうしても理想に届かない。

ということは誰にでもあることなんです。

 

それを他人に、

未熟だと責められたらどうですか?

 

心がこもっていないと責められたらどうですか。

愛が無いからだと決め付けられたらどうですか。

本当に心がこもっているのなら、

そんなに下手な絵が描けるわけが無い。

本当に私のことを愛しているのなら、

もっと上手に歌えるはずだ・・と

本来絵の上手な人や歌の上手な人に

責められたらどうですか。

 

仕方が無いことなんです。

未熟さは誰にでもあることなんです。

ある一定の段階において、

ある一定の分野において

未熟さは仕方が無いことなんです。

 

ですから

未熟である自分を責め続け、

愛してはいけないと決めている以上

いつまでたっても自分を愛することはできません。

どんなに望んでも歌が下手な人が、

歌手のようにうまくなることはありえないんです。

そしてそんなことを望むと苦しくなってしまうんです。

 

どこかの時点で

自分の未熟さを許す必要があります。

他人の未熟さを許せる人になっていくことで

自分が生きることが楽になっていくんです。

 

メモ

でもあからさまに

これは絶対にやってはいけないだろうという

基準があると思いますよね。

だれがどう考えても

これはしてはいけないと簡単に分かりそうなことについての

他人の過ちについてはどう考えたらいいでしょう?

 

未熟さを理解することと

そのことを

許さなくてはならないということは、また別の問題です。

理解が進んだあとに

それを許すかどうかは自分の判断です。

相手は未熟だったのだということを理解し、

仕方がなかったのだと思えるなら思えば良いし、

だからといって許すことはできないと思えば

許さなくても良いのです。

許しについてはまた別の機会に。

 

ヒマワリ

どんなに心を込めても
人は間違ってしまいます。
自分にとっての正解を選ぶことしかできません。
それが他の人にとっても正解だとは限りません。
そしてその時選んだ正解が
未来の自分が振り返った時に、
その時と同じように

正しかったと思えるとも限りません。

それでも選び続けていくしかありません。
人として、生きていく以上

選択し続けていくしかないんです。

残念なことでしょうか?悲しいことでしょうか?
 

それは人間に「自由」が許されている証です。
どんな時でも心の中は自由に選択していけることの証です。

そしてあなたは、これからの人生において
自由な選択が許されたこの世界の中で
「愛」を選ぶ
という決断をすることができるんです。

もちろんそれを

選ばなくてはならないということではありません。
けれど「愛を選ぶこと」を決めることによって、
たくさんの「未熟さを選んでしまうこと」の苦しみから
心を解放していくことができます。

どんなに心を込めて生きて行っても
未熟さは否めません。
未熟さはつきものです。
未熟でない人はいません。

あなたが自分の中の未熟さを許せずに生きていると
他人の中の未熟さも決して許すことができません。
自分の中の未熟さを弾劾して、
否定すべきものとして否定し続けている以上、
他人の中に同じような未熟さを見つけた時に
許せない気持ちになるでしょう。
『正しく生きなければならない』という呪縛が
これからもあなたを苦しめ続けることでしょう。

けれどあなたが愛を選ぶとどうなるでしょう。

これからの人生における決断において
「愛を選ぼう」と決めることによって
あなたは自分の心の中に愛という柱を立てることができます。

それは、あなたの心を支える
キラキラゆるぎのない軸キラキラになります。

 

 

けれど最初はその柱は細く未熟です。
その、かぼそさ故に
自分にとっての精いっぱいの愛情を選択してとしても
あなたはやっぱり間違ってしまうでしょう。

でも、もしも後になって

そのことへの後悔が生まれてしまったとしても
その時の自分にできる精いっぱいの
愛の方向を選んだのなら、
「これ以上できることはなかった。
自分にとっての愛だと信じるものを選ぶ以外なかった」
というところに、
自分の心の中の着地点を見つけることができます。

他人がどんな言葉で

あなたにあなたのした行いを責めてきたとしても
自分の中に立った軸・・
愛だと信じて選んだ決断なんだと

思うことができれば、
「仕方がなかったことなんだ。
あの時の自分にはそれが精いっぱいだったから・・」
という風に自分の中で納得し、収めることができるんです。

そしてその後悔の気持ちや

許してくれた人たちへの感謝の思いを

これからのさらなる深い愛情へと変えていこう

という決意に変えて行くことで、

あなたの愛の柱をさらにもっと太いものへと

育てていけるんです。

やがてまた次に

あなたが何かの選択を迫られた時に
以前よりも太くなった愛の柱によって
あなたは物事への決断を下していくことができます。
 

あなたの中に内包されたたくさんの経験は
決してあなたからなくなることはありません。

そして気が付いた時には
あなたは以前よりずっと愛の柱のずっと太い人となって
生きていくことができるんです。

そんなあなたの前にはやがて

いつかの自分がしていたことと同じような過ちを

している人が現れることでしょう。

けれどその時のあなたは
かつて同じような経験をしたことのある者として、
その人を自然に温かい目で

見つめることができる自分に気がつくはずです。
意図的に許そうなどという視点を持たずとも、
自然に、かつての自分を見るような温かいまなざしで
見つめることが出来るようになっている自分に・・。

 

けれど、そうやって

どんどん愛の柱を太く育てて行った

未来のあなたの選択でさえ、

そのもっと先の未来のあなたから見れば

やっぱり未熟です。

未来のあなただったら選ばないはずの行動を、
きっとこれからもあなたは選んでしまうでしょう。

でもそれで良いんです。


みんなそうやって
自分の中の愛の柱・・

自分という木の幹を太くして生きていく。
そういう存在だからです。

そのことに一生懸命になることは、
他者の感情の揺らぎへ敏感さから

自分を解放することにつながっていきます。
 

常に自分の心と対話し、

自分にとっての愛を、

幹を太くしていく行動を選び続けていく。
という視点を持つことによって、
他人の心の揺らぎにいちいち敏感になって、
他人が喜んでくれたから成功。正解。
悲しんだから、怒ったら失敗。間違い。
という他人軸の後悔をしないで済むようになるからです。


かつてのあなたは今思えば、
確かにたくさんの間違いをしてしまいました。
けれど、仕方がなかったんです。
愛の幹が今よりも細かったんです。
短かったんです。
経験が足りなかったんです。
だから間違ってしまった。
“そのことを経たあなたから見ると”

それは間違いだったと思う・・ということなんです。
その時のあなたが
それを先に間違いだと知ることはできなかったんです。

そして今、あなたから見て
間違いに思える行動をしている人たちにとっても、
それがその時にできるその人にとっての

精いっぱいの行動なんです。
太くなった幹を持つあなたから見ると
細い幹で生きている人のことを、
愛情が足りない行動をしているように見える人達のことが
浅はかに見えたり未熟に見えたりしてしまうんです。

それはお互い様なんです。

あなたよりも太い幹の人から見たら
あなたも未熟なんです。

どんなに幹が細いことを責めたところで、
それはどうしようもないことなんです。
 

がんばって太くなろうとしている

最中だからです。

途中だからです。
みんなそうだからです。

そして最後までその

完成形というものはないんです。
人生が終わるときに出来上がった形が
その人にとっての完成形だということにすぎません。

最後に大木になる人もいれば、
今世は小さな木のまま終わる人もいます。
 

みんな

それぞれの太さで、

自分の幹を太らせよう、
育てようと

がんばって生きている。

 

私たちってそんな存在なんです。

 

 

ヒマワリ

自分の未熟さへの後悔は

あなたの幹が太くなった証です。

 

全部内包して今のあなたが出来ているんです。

何一つ無駄になんかなっていません。

 

あの出来事があったから

あの時の後悔があったから

あの頃よりも優しいあなたが今ここにいるんです虹

 

 

 

 

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