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いつまで続く?この自粛

2020-09-17 | 日記

中軽井沢から見る浅間山 2017年9月


今年はなぜか長い連休が多いように思う。(理由はあるはずだけど、わざわざ考えるのが面倒)。

でも、百年に一度のパンデミック、せっかくの連休も心から楽しめない。

今年前半から、私の身の周りで中止になったものを思いつくままに上げてみる。

3月 孫の幼稚園の卒園式の父兄参加。近所の人との食事会(六月まで)。プロ野球がないので夫がっくり。

4月 孫の小学校入学式の父兄参加。県人会のハイキング。習いごと二つ(五月まで)。息子がマンション買って引っ越し。引き渡しまで、病気にならないよう緊張した。引っ越し祝いも延び延びに。

本屋、公民館、図書館も閉鎖で、本はアマゾンで買うだけ。

5月 連休は家でおとなしく。近場の山で山菜、夫実家の山でタケノコ採って家計の足しに。

毎年恒例、香川と愛知の友達の同窓会旅行。

三男の帰省。三男は連休明けから自宅で仕事。今に続いているらしい。

学校が長期休暇で孫たちとも会えず、パズル、ゲーム、本など三回くらい送った。

孫の運動会。

6月 県人会の日帰り旅行。(香川県のうどん店巡り) とうかさんのお祭り。

7月から個人的には国内旅行を再開したけど、毎年、私一人で参加していた海外旅行はいつ行けるやら。でももう行かなくてもいいかな。そのお金で国内へ。

地元の花火大会。

8月 テレビで見るだけだけど、平和祈念式も大幅に規模縮小。三男の帰省とお盆の我が家の集まり。

9月 三年に一度の高校同学年の同窓会。従妹との誕生日旅行。従妹は介護施設で働くので県外へ出ないようにとのきついお達し。東京、神奈川の娘一家も帰省せず。

10月 地区のお祭り。県人会総会。県人会主催のうどん教室など、行事はすべて中止。

このほかに、夫の仕事関係の夜の会合が一切なくなり、ずっと夕食作るのは辛い。最近やっと復活。

と、思いつくままに書いてもこんな感じ。

夫の仕事も影響大で、売り上げは大幅減。同業者の中には持続化給付金を申請した人もいると聞いた。

いつまで続くかと考えたらしばらくは続くとしか考えられない。今までの暮らしを振り返り、無駄なことは省くのはいいことかもしれない。けど、世の中全体の経済活動が縮小していくのが長い期間、ボディブローのように日本人全体の暮らしに悪い影響が続くのを心配しています。


100年前のパンデミックでは、私の祖父の最初の連れ合いがなくなったとか。20代だったと思う。子供二人はまだ幼く、下の子は子供のない大阪の親戚の養子になった。

再婚した相手との間に生まれたのが私の父。伯父は結婚しても同居していたけれど、やがて嫁姑の間がこじれて分家し、戦前のことなので父が跡取りということになった。

父が亡くなった後、初めて戸籍見て三男から長男になっているのでびっくりした。生まれた順番は変えようもないはずなのに、家単位で考えるとそうですよね。分家した時、スペイン風邪で亡くなった人の位牌も持って出たそうで、お墓も分家した伯父が新たに作ったと、それも10年くらい前に知った。

今回、私の周りでは幸運にも今のところ死んだ事例はないけれど、100年前には人の運命も激変。私の祖母は昔では超遅い28歳で嫁いだのは、戦争から帰った弟に母親代わりに嫁を取ってから嫁に来たと本人が話していた。その母親は病気で早くに亡くなったそうです。

祖母は30歳くらいから男4人、女5人と子供を産み続け、最後の叔母は50過ぎてから。もう孫の年ですよね。それでも母乳でちゃんと育てたらしい。それでその叔母と私は8歳しか年が変わらない。

日本で最高齢の出産記録は何歳なんでしょうか?今ならギネスに申請してもいいかもしれないけど、祖母は高齢出産に触れるとちょっと恥ずかしい風でもありました。

今ググったら日本での最高齢は53歳、50代で分娩はわずか8例とありましたが、戦前の我が祖母は多分厚労省の統計には入ってないのでは。

戦争、パンデミック、人は昔も今も多く亡くなっていたけれど、スペイン風邪で我が実家で一人しか犠牲が出なかったのは幸運でした。後添えの祖母が多産で我が家は親戚が多く、いつも賑やかに人が出入りしていたのは、子供のころ、楽しかったし、大人の話を聞きながら大人になる準備していたと、今になったら思う。

大阪に養子に行った伯父の長男は、母親が病死して母の実家の養子になり、小学校では同級生だった。全然付き合いはなかったのに、相手は何となく私と親戚と知っていたようで、大学生の時、下宿させていた京都の叔母が本当のこと、聞かせたらしい。

この人はわが一族で一番頭がよくて、某旧帝大の理学部の教授だったけど、もう退官したはず。昭和20年代に亡くなったお母さんが生きていたらどんなにか嬉しかったことでしょう。

生きているのは辛いことも色々あるけれど、たまに嬉しいこと、楽しいこともある。それに気づかせてくれたのもコロナ禍でした。今あることに感謝し、真面目になろうと誓う私。(長続きしたためしがないけど)



2 コメント

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Unknown (kaminaribiko2)
2020-09-17 06:28:17
今日の記事、興味深く読ませていただきました。事実をそのまま書くだけでも佐藤愛子さんの『血脈』のような小説になるのではと思いました。
kaminaribiko2様へ (frozenrose)
2020-09-17 11:40:25
おはようございます。
なくなった人については書けますが、生きている人はまだあまりに近くて書けません。
身内を書くジャンルの小説もありますが、藤村などはそれで恨まれ没交渉になったとか。
小説家も業の多い仕事ですね。
おすすめの作品、機会があれば読みたいと思います。

総じて言えることは、同じ親から生まれても、9人全員が違うと言うこと、子供が多くても親にとっては一人ずつかけがえのない子供だと言うこと。

おじおばにもいろいろ、祖母の嘆きをも色々でした。
そのことはまた機会を見て。