「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

日本人にジャズは理解できているんだろうか

2021年09月19日 | 音楽談義

村上春樹さんの随筆集を読んでいたら「日本人にジャズは理解できているんだろうか」との項目立てがあった。

我が拙い音楽体験からすると、日本の音楽ファンのうちおよそ「ジャズオンリー」が5割、「ジャズとクラシックの両方」が3割、そして、残りの2割が「クラシックとその他」ではないかと思料している。

つまり、この日本でジャズの占める位置付けは人数的にも業界的にも大きいといえるので、この問題提起は傾聴に値すると思う。

村上さんが言わんとする根拠は「ブランフォード・マルサリス」の次の言葉にある。

「日本人というのはどうしてかはわからないけど歴史とか伝承的なものとかに目がないんだ。他の多くの国の人とは違って、彼らはジャズというものをアメリか体験の一つとして捉えている。

でも理解しているかというと、ほとんどの人は理解しちゃいないね。とにかく僕のコンサートにくる客について言えばそうだ。みんな、こいつらいったい何やっているんだ?という顔でぽかんと僕らのことを見てるだけだ。

それでもみんなわざわざ聴きに来るんだよ。クラシック音楽と同じことさ。誰かにこれはいい音楽で聴く必要があるからって言われて聴きに来るんだ。以下略」

以上、随分な言い様だが(笑)、ジャズはまったくの門外漢なのでまずもってクラシック音楽について個人的な意見を言わせてもらおう。

つまり「日本人にクラシックは理解できているんだろうか」というわけだが、結論から言うと「大半の日本人は理解できていない」と思っている。

なぜならクラシックは「神の声」を福音とする「教会音楽」から発展したものであり「神に帰依する心」を持たないと本質的に理解できない音楽だと思っているし、そもそも我ら仏教徒には縁がないものだから。

そこでの話になるが、日本人がクラシックを好きになる理由といえば、せいぜい「聴いてて気持ちが清々しくなるし、何となく癒されるから」が関の山だろう。

そこで、話は戻ってタイトルに対する村上さんのご意見だが、珍しく歯切れが悪くて2種類のご意見が用意されてある(笑)。

 「俺たち黒人が歴史的になめてきた苦しみがお前らに分かるものか。そしてそのような苦しみや痛みの分からない人種にジャズという音楽の真髄がわかるものか。

お前らは金を積んで俺らを雇ってレコードを作ったり、日本に呼んで目の前で演奏させたりしているだけじゃないか。俺たちはしょうがないからやっているんだけど、みんな陰で笑っているんだぞ」

と、マルサリスから面と向かって言われたら、たぶん「それはたしかにそのとおりです」と答えるしかないような気がする。

そういう観点から見れば日本人はジャズを本当に理解していないと言われても仕方ない部分はたしかにある。以下、略。

 しかし「いや、それは違うよ、マルサリスさん。そういう言い方はフェアじゃない。ジャズという音楽はすでに世界の音楽の中で確固とした市民権を得たものだし、それは言うなれば世界市民の財産として機能しているんだ。日本には日本のジャズがあり、ロシアにはロシアのジャズがあり、イタリアにはイタリアのジャズがある。

たしかに黒人ミュージシャンはその中心的な推進者として大いに敬意を払われるべきだし、その歴史は決して見過ごされるべきではない。しかし彼らがその音楽の唯一の正統的理解者であり、表現者であり、他の人種にはそこに入り込む余地がないと言うのであれば、それはあまりにも傲慢な論理であり世界観ではないか。

そのような一級市民と二級市民との分別は、まさにアパルトヘイトの精神そのものじゃないか」と反論することもまた可能である。そういう文脈においては、日本人はかなり熱心に誠実に「世界市民的に」ジャズを理解していると言っても差し支えないだろう。

どちらの言い分が正しいのかというのは、言うまでもないことだが、どちらの立場に立ってものを見るかによって変わってくる。僕個人の意見を言わせていただくならどちらの見方もそれなりに正しい。

以上のようなご意見だった。

最後に村上さんはこう結んでいる。

「こういった問題についてもっと人々が正直に腹を割って本音を話し合うのは有益なことだと思う。いい機会だからどうすればお互いをよりよく理解しあえるかについて、どこまでも論議すればいい。

もしそこに音楽を愛するという共通項が存在するのなら、いつかは必ず一つの妥協点、合意点が成立するはずだ。あるいは大袈裟なものの言い方になるかもしれないけれど、こういう小さななんでもなさそうな文化的摩擦を腰を据えて感情的にではなく、ひとつひとつ細かく検証していくことから先の方にあるもっと大きな摩擦の正体がわりに明確に見えてくるのではないか。

そしてそれと同時に日本という国家の中にあるアメリカとはまた違った差別構造の実体のようなものもひょっとして浮かび上がってくるのではないか。

以上、村上さんのご意見が大半を占めてしまったが、このブログの閉めにあたって思うことは「クラシックとジャズの大きな違いは神の存在の有無」にあるのではないかということで、つまりジャズに「黒人のうめき声」はあっても「神の存在」は感じられない。

したがって、日本人にとってクラシックもジャズも同じ土俵上の似たようなもので、たまたま好きな音楽がどちらかであったに過ぎない。

その意味では、より人間臭いジャズのほうに人気があるのもわかるような気がする。

皆様はいかがお考えですか?



この内容に共感された方は積極的にクリック →    


 

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「喋る能力」と「書く能力」... | トップ | 妙案が浮かぶタイミング »
最新の画像もっと見る

音楽談義」カテゴリの最新記事