須賀神社・交通神社 | 縁結びと交通安全の神様。由緒と歴史

須賀神社・交通神社 扁額

須賀神社(すがじんじゃ)と交通神社は、もともとは1つの神社。

社殿は新しいですが、平安時代には「西天王」と称された由緒ある神社です。

昭和時代以降は、かつて京で流行した「懸想文(けそうぶみ)売り」を復活させたり、御祭神を分祀して「交通神社」を建立するなどの新しい試みも実践されています。

御祭神の由緒や歴史、懸想文売りについてまとめました。御朱印もご紹介します。

基本情報

須賀神社・交通神社
所在地 京都市左京区聖護院円頓美町1
TEL.075-771-1178
境内自由
授与所 9:00~17:00

【1】須賀神社とは

平安時代の創祀当時はスサノオノミコト(=牛頭天王)を祭神とする祇園信仰の神社で、東天王社(現在の岡崎神社)に対して西天王社と呼ばれていました。

近年は厄除けと縁結びの御利益で信仰されています。

祇園信仰
牛頭天王(ごずてんのう)に対する信仰で,天王信仰の一つ。牛頭天王は,仏教上では八部衆の一つ天部の神で,武塔天神あるいはスサノオノミコト(素戔嗚尊)とされることもあり,疫病をはらう威力をもつと信じられた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より抄録

・名前の由来

須賀神社という社名は、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治してクシナダヒメを妻とした後、出雲国の須賀の地で「吾此地に来て、我が御心すがすがし」と、そこに宮を作ったという日本神話のエピソードが由来です。

明治元年の神仏分離政策によって、「牛頭天王社」などと称していた多くの社は「須賀神社」に改称されました。「すが」は「須我」「清」「酒賀」「素鵞」などとも表記されます。

須賀神社・交通神社 鳥居
▲須賀神社 石鳥居

・由緒と歴史

  1. 貞観11年(869年)播磨の国・広峰神社より牛頭天王(=スサノオノミコト)をお迎えし創建されました。当時の社地は平安神宮蒼竜楼の東北にある西天王塚。
  2. 康治元年(1142年)鳥羽天皇の皇后・美福門院が建立した歓喜光院の鎮守とされました。
  3. 南北朝時代、 後醍醐天皇の命により戦乱を避けて吉田神楽岡に遷座、聖護院の里の鎮守として信仰されました。
  4. 明治元年(1868年)の神仏分離令により「須賀神社」と改称し、大正13年(1924年)かつての御旅所であった現在地に遷座。
  5. 昭和39年(1964年)久那斗神、八街比古神、八街比売神の三座を須賀神社より分祀し、新たに交通神社の社殿を建立。
  6. 平成17年(2005年)社殿を焼失。その後、再建され現在に至ります。
須賀神社・交通神社 本殿
▲本殿
須賀神社・交通神社 本殿
▲左が交通神社、右が須賀神社

・厄除け、縁結びの神様

縁結びの信仰は、スサノオノミコトがクシイナダヒメを救う為、八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を見事に退治し、姫と結ばれたという日本神話に由来します。

須賀神社 御祭神

  • 健速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)
  • 櫛稲荷田比賣命(クシイナダヒメノミコト)

スサノオ×クシナダヒメの霊験

  1. スサノオノミコトは、伊奘諾尊(イザナギノミコト)・伊奘冉尊(イザナミノミコト)の子。天照大神の弟でもあり、勇猛な性質で多くの乱暴を行ったため高天原(たかあまはら)から追放されました。
  2. 出雲国簸川(ひのかわ)のほとりに降り、怪物 八岐大蛇からクシイナダヒメを救い結婚。出雲の祖神となりました。
  3. 須賀に宮を建てて住み、三女五男の八柱御子神をもうけました。国津神の主宰神とされる大国主命(オオクニヌシノミコト)らの祖先です。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)
記紀神話にみえる大蛇。頭と尾がそれぞれ八つあり,目はホオズキのように赤く,背には杉,檜,苔がおい茂り,毎年,越の国からきて,出雲国簸川(ひのかわ)上流にすむ足名椎(あしなづち)・手名椎の子を食った,という。スサノオノミコトが退治,娘のクシナダヒメを救って結婚し,大蛇の尾を裂いて天叢雲(あめのむらくも)剣(草薙(くさなぎ)剣)を得たという。

出典:平凡社百科事典マイペディアより抄録

・摂社

本殿の左手前に鎮座されています。

稲荷大明神・白龍大明神

商売繁盛、金運向上など、その人にとって本当に必要なものを授けて下さる神様として信仰されています。

須賀神社・交通神社 摂社
▲白龍大明神・稲荷大明神
ミィコ

社殿は新しいですが、平安時代からの由緒ある神社です。

【2】交通神社とは

交通神社は日本で唯一の神社です^^ 
厄除け+交通安全の御利益で信仰されています。愛車をお祓いしていただくことも可能です。

・由緒と歴史

  1. 平安時代より、西天王社(現在の須賀神社)に合祀されていました。
  2. 昭和39年(1964年)久那斗神、八街比古神、八街比売神の三座を須賀神社より分祀し、新たに交通神社の社殿を建立。
  3. 平成17年(2005年)社殿を焼失。その後、再建され現在に至ります。

・厄除け、交通安全の神様

須賀神社より分祀された御祭神の三柱は、厄除け+旅人を守護する道祖神とされます。

八衢比古命と八衢比売命は夫婦神で、道路の四辻や分岐点を護る交通安全・悪霊除けの神様。古事記や日本書紀に名前はありませんが、古い民間信仰の神と考えられています。

そして、久那斗之神は日本書紀に登場する、道の分岐点で旅人の道中の安全をはかる神様です。

交通神社 御祭神

  • 八衢比古命(ヤチマヒノミコト)
  • 八衢比売命(ヤチマヒメノミコト)
  • 久那斗之神(クナトノカミ)

道祖神(どうそじん)
村境、峠などの路傍にあって外来の疫病や悪霊を防ぐ神。のちには縁結びの神、旅行安全の神、子どもと親しい神とされる。

出典:精選版 日本国語大辞典より抄録
須賀神社・交通神社 車両お祓い所
▲交通神社 車両お祓い所
ミィコ

御祭神を霊験のジャンルで分けて独立させるとは、ナイス・アイデアですね。

【3】節分限定|懸想文売り

節分の日とその前日、須賀神社では白い布で顔を隠した烏帽子(えぼし)・水干(すいかん)姿の「懸想文売り」が登場し、縁結びのお守り「懸想文」を売り歩きます。

江戸時代、懸想文売りは京都の正月の風俗行事の一つとして街を賑わしましたが、明治維新以後は廃れ、第二次大戦後に須賀神社が節分の二日間限定で復活させました。

・縁結びのお札

懸想文とは、恋文・ラブレターの事ですが、懸想文売りが売るのは、恋文に似せて縁起を祝う文が書いてある「お札」です。

これを買って、人に知られないように鏡台やタンスの引き出しに隠しておくと、容姿が一層よくなり、着物も増え、縁談や商売繁盛などの願いがかなうとされます。

※懸想文売りは貧乏な公家の代筆アルバイトだったため、身元がバレないように顔を隠していたそうです。

懸想文売り
懸想文は思う人にやる文のこと。昔京都で正月初めに,頭を白布でおおい,文を結びつけた梅の小枝を手に持って売り歩き,未婚の女などがこれを買い良縁を占った。のちには畳紙(たとうがみ)に米2,3粒を包んで渡し,望むままに夫婦や商売の祝言(ほがいごと)をのべた。17世紀後半ごろまであった。

出典:平凡社百科事典マイペディア
須賀神社・交通神社 絵馬
▲懸想文売りのイラスト入り絵馬
ミィコ

貧乏だから内緒で副業している公家さん。親近感がわきました^^

【4】御朱印

須賀神社の御朱印は、創建当時の名称「西天王」です。

須賀神社・交通神社 御朱印
▲左:交通神社、右:須賀神社 御朱印
ミィコ

御朱印の初穂料は、須賀神社・交通神社、各300円。左上に可愛い折り紙の飾りをつけてくださいました^^

【5】須賀神社・交通神社 アクセス

最寄り駅・バス停留所

  • 京阪電車鴨東線(おうとうせん)「神宮丸太町駅」
    5番出口から東へ徒歩約12分。
  • 市バス「熊野神社前」
    徒歩約5分。

[地図]
A地点:京阪電車「神宮丸太町駅」
B地点:須賀神社・交通神社
C地点:バス停「熊野神社前」

・京都駅から

★京都駅前バスターミナルのりば案内
[D2のりば] 市バス206 北大路バスターミナル行「熊野神社前」まで約29分。下車徒歩約5分。

・三条京阪から

京阪電車鴨東線  出町柳行に乗車「神宮丸太町」まで約2分。 5番出口から東へ徒歩約12分。

ミィコ

熊野神社、聖護院門跡、金戒光明寺もすぐ近くです。

関連記事です!

熊野神社 [京都三熊野/新宮] | 聖護院の鎮守社。修験道と熊野信仰

※この記事の史実に関する記載は、須賀神社駒札、説明書、Wikipedia、コトバンク等を参考に作成しました。