TVや新聞で定期的に“日本の国債残高○兆円を突破、国民一人当たりの借金額は○万円に!”というニュースが報じられるたびに、増税緊縮派の連中が元気よく、『国債=国民の借金=ムダな財政支出は次世代へのツケ廻し』という妄想を撒き散らす光景をこれまで何度も目にしてきました。

最近では、この手のネットニュースに対して、
「自国の通貨は借金が返せなくなれば自国の通貨を刷ればいいのは間違い無い事実」
「これが他の国から借りているとか別国通貨立てとなれなれば話は別なのだが自国の札でしかも日銀が政府と協力している構図は他の国からみれば何の問題も無い」
「誰かの借金は誰かの預金。政府が国債を発行すると自動的に国民の預金が増える」
といったコ反論メントが溢れることも多く、ネット界隈では国債にまつわる“タチの悪い怪談話”を批判する意見も多いのですが、相変わらずリアル社会では、増税緊縮派の与太話を鵜呑みにして日本は借金大国だと信じて将来を悲観する者が多数を占めています。

増税緊縮派の連中は、そうした一般人の恐怖心につけ込んで、
「日本を借金漬けにしてよいのか?」
「子々孫々にツケ廻しをして恥ずかしくないのか?」
「日本人の甘えの構造を断ち切り、増税を甘受すべきだ!」
「高齢者層の過度な保護が日本をダメにするのだから、年金カットや医療費負担増を受け容れるべき!」
と分断を煽り、国民に更なる負担を押し付けようとします。

「国債は国民の借金ではなく政府の負債」
「政府には通貨発行権という無敵の財源がある以上、円建て国債の償還リスクは永遠のゼロであり、国債発行残高の多寡に不安を感じる必要など一mmもない」
という簡単な理屈さえ理解できれば、国債残高にまつわるレベルの低いニュースに一喜一憂することはありません。

ですが、現実に日本人の(おそらく)99%近くが低レベルなニュースに煽られるのは、国債の役割やその償還方法、自国通貨の発行実態といった基本知識がないからだと思います。

その点に関して、私は次のように考えています。

「国債は、それを引き受ける民間経済にとっての資金運用や資産形成に役立つ金融商品に過ぎない」
「国債は、政府が一定の利子を付与することで民間経済の資金運用をポートする程度の意味合いしかなく、歳出財源を捻出するための苦肉の策として政府が民間経済からカネをコジるためのものではない」
「“政府の負債は民間の資産”であり、国債を減らす必要などなく、永遠にロールオーバーし増やし続けていくべきもの」
「国債の償還財源は、一義的には一国の経済力が生み出す付加価値創造力で、広義においては自国通貨発行権で担保されるものであり、税の徴収によるものではない」
「本来なら、政府が政策実行に当たり必要な財源は通貨発行により捻出すべきものであり、国債発行に頼る必要はない。しかし、最強の金融商品として市場に浸透してきた国債の経緯を鑑みて、それを敢えて強制的に廃止する必要はない」
「歳出財源は基本的に通貨発行を主体に捻出し、民間経済を委縮させる効果しかない納税や社会保険料の類いは可能な限り排除すべき」

まぁ、こんな意見を実社会で開陳しようものなら、頭のおかしな珍獣みたいな扱いを受けて白眼視されるのは目に見えていますが、巷の増税緊縮派の幼稚な妄想に従い“失われた30年”の経済的大惨敗を喫した事実がある以上、少なくとも過去に実践された“増税・緊縮・構造改悪路線”より遥かにマシな結果を残せるだろうという強い自信は些かも揺るぎません。

『安倍元首相の発言「日銀は政府の子会社」の何が正しく、何が誤解なのか』
(小黒一正/法政大学教授,鹿島平和研究所理事,新時代戦略研究所(INES)理事)
https://agora-web.jp/archives/2056447.html
「5月上旬の会合(大分市)において、自民党の安倍晋三元首相が放った発言が波紋を広げている。筆者は録音テープをもっておらず、詳細は分からないが、いくつかの報道機関からの情報によれば、①「(政府の)1000兆円の借金の半分は日銀が(国債として)買っている」とした上で、②「日銀は政府の子会社」なので、③「60年で(返済の)満期が来たら、返さないで借り換えて構わない。心配する必要はない」と語ったと言われている。(略)
 まず、①の発言は正しい。財務省「国債等の保有者別内訳」(2021年12月末(速報))によると、1074兆円の国債残高のうち、約48%の約516兆円を日銀が保有しており、これは事実を述べただけである。
では、「日銀は政府の子会社」という、②の発言はどうか。これは、子会社の定義が不明であることが問題と思われる。すなわち、この子会社の意味が会社法上の子会社として発言したのか、あるいは、別の意味で発言したのか、報道では定かでなく、日銀の金融政策や業務運営の自主性は極めて重要だが、神学論争に陥るだけに思われる。
むしろ、問題なのは、③の発言だ。このうち、「60年で」という部分は意味が理解できないが(60年償還ルールの事かも…)、最も重要な部分は③の「心配する必要はない」という発言であり、この部分は大きな誤解がある。なぜなら、日銀が国債を市場から購入しても、政府と日銀を一体とする統合政府でみれば、その統合政府の債務は全く減少しないためである。(略)すなわち、異次元緩和の結果、いま準備(日銀当座預金)は500兆円超に膨らんでおり、統合政府でみれば、1000兆円の借金は、500兆円の通常の国債と、残り500兆円の準備(日銀当座預金=スーパー短期の国債)に変換されているが、いずれ金利が上昇すれば、政府債務(1000兆円)のコストが顕在化することは避けられない。この意味で、「(日銀が国債を保有していれば)心配する必要はない」という安倍元首相の発言部分は明らかな誤解なのである。」

最近、増税緊縮派のキレ味が鈍っていますよね。
一昔前の小黒氏だったら、①(国債の半分は日銀が保有している)はともかく②(日銀は政府の子会社だ)には、「日銀の独立性が~」と叫んで猛反発していたと思いますよ。

ところが小黒氏は、
「この子会社の意味が会社法上の子会社として発言したのか、あるいは、別の意味で発言したのか、報道では定かでなく、日銀の金融政策や業務運営の自主性は極めて重要だが、神学論争に陥るだけに思われる」
と正面切っての反論を避けて逃げを打つ始末です。

日銀は事実上、統合政府の一機関であり、その金融政策は政府の経済政策との一体性が求められるのは異論を待たない事実ですから、政府の子会社あるという事実以外の答えは存在しません。

そもそも、日銀と政府との関係性が一切ないとしたら、資本金がたった1億円しかない貧相な通貨発行機関が印刷する紙幣を有難がったり欲しがったりするのはおかしいですよね?

彼が“日銀は政府の子会社発言”に対して猛反発できないという一点を見るだけで、増税緊縮派の理論を支える支柱があちこちでボキボキ折れ曲がり修復不能になっているのが判ります。

さて、小黒氏は③(国債は満期到来時もロールオーバーでOK)に対しては、
「日銀が国債を市場から購入しても、政府と日銀を一体とする統合政府でみれば、その統合政府の債務は全く減少しない」
「いずれ金利が上昇すれば、政府債務(1000兆円)のコストが顕在化することは避けられない」
と批判しています。

普通の経済常識を持っていれば、政府の子会社である日銀が保有する国債の分だけ政府の債務額は実質的に消失するという事実を理解できるはずですから、彼の言い分は単なる屁理屈の類いでしかありません。
彼は会計の基礎を学ぶ必要がありそうですね。

また、金利上昇による国債金利コストについても同様で、そもそも金利コストが実質的に生じるのは既発債ではなく、今後発行する新発債に限った話であり、それらも日銀が買い取ってしまえばコストは消失しますし、それほど国債金利の上昇が嫌なら、国債に変わる財源として政府紙幣発行を提言すべきでしょう。

国債金利云々というゲスな理由を盾に歳出を絞り、経済のダイナミズムを阻害しようとするのは万死に値する大罪です。

通貨発行権がある以上、年額8-9兆円に過ぎない利払い費に怯える必要はありません。
なにせ、国債発行残高がいまの1/7~1/3くらいでしかなかった昭和60年から平成12年辺りの利払い額は10兆円を超えていたのですから、そこから20-30年もの歳月が経過した現代において、利払い費が20-30兆円レベルになっていても何の不思議もありません。

要は、利払い費が問題化せぬようきちんと経済規模を拡大させていればよいだけの話です。
ただの下策でしかない増税緊縮政策を採って経済成長を阻害しておきながら、「国債金利コストが~」と叫ぶマッチポンプ野郎の戯言に耳を貸す必要はありません。

この手の「国債=経済の足枷論」で大騒ぎする輩が跋扈することが、国債発行の最大のリスクと言えるでしょう。
私としては、こういった害虫を防除するためにも、国債だけでなく政府紙幣(=貨幣)を歳出財源捻出の財源としてもっとクローズアップする努力を続けていきたいと考えています。