奈良紀行の1日目がまだ書き終わらない…orz
ふふ奈良の「滴翠」で昼食の後は、奈良観光の目玉のひとつ春日大社へ。
1300年の歴史を誇り、世界遺産にも登録されている知らない人はいない有名な神社。
久しぶりに…ン十年ぶりに行ってみました。
飛火野の大楠。
ここから参道を進み、鳥居まで15分ぐらいかかります。
参道には、樹齢の高い木が沢山あり、鬱蒼とした雰囲気です。
二之鳥居から、いよいよ境内に
浮見堂の近くの「滴翠」でランチを頂いて、そのまま北上したので、一之鳥居をくぐってないのが惜しまれます…
やはり、物事は順序建ててやりたいのに…orz
二之鳥居
鳥居をくぐってまっすぐ進むと、南門です。
南門
南門の前にある出現石
太古の昔、神様が降臨されたという神聖な石(磐座)。
小さい!
春日大社の出現石…神の依代にしては小さすぎないか?(縦30センチぐらい)
門の中に入る前に…春日大社の御由緒
社伝では、神護景雲2年(768年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって春日社の創祀としている。
鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が白鹿に乗ってここに来られた、との説もあります。
それで、神の使い 神鹿を大切にしているんですね♪
で、不勉強で初めて知ったのですが…鹿島神宮の方が歴史ある神社なんですね~
そう言えば、この前博多に行った時に訪問した櫛田神社の飾り山笠。
神武東征の様子を人形で表してありました。
神代の時代のことは、全くピンとこないのですが…鹿島神宮の創建は紀元前660年。
日本の紀元前!!! 想像もつかないです。
…というわけで、春日大社は藤原氏の守護神・武甕槌命が祀られており、神紋も下り藤、境内には樹齢800年の砂ずりの藤が植わっています。
「砂ずり」とは、花の季節になると、花房が地面(砂)に着きそうなほど長く伸びるところからこの名前がついているようです。
藤の季節に来てみたいけど、相当な密状態になりそうです^^;
藤原氏だけでなく、徳川家からも篤い信仰
奈良時代から平安にかけて藤原氏の隆盛とともに栄え、江戸時代には将軍・徳川綱吉の母桂昌院からも寄進など受けていて、時の権力者たちに護られてきたんですね。
1699年に、桂昌殿という祈祷殿が創建されていますし、桂昌院が奉納した灯籠もあり、歴史が垣間見えるのが楽しいですね。
1250年という長い歴史の中で、式年造替が行われ、今でも年間2200あまりの祭祀が日々行われているとの事です。
余談ですが…綱吉の実母・桂昌院は、八百屋の娘から将軍の母に上り詰めた女性。
最強玉の輿伝説の持ち主なんですが…桂昌院の元の名前は、お玉。
玉の輿の「玉」とは、お玉の玉だったんですね…
南門をくぐっていよいよ!
正面にあるのが、参拝所。
ここは、幣殿と舞殿(舞殿)です。
幣殿(へいでん)
お供え物や献上物の受け渡しをする建物。
幣殿の横の、参拝受付所で拝観料500円を払って…、いよいよ本殿へ。
中門
手前の砂利敷きのスペースは、祭典の際、舞楽や神楽が舞われる庭で、林檎の庭、と呼ばれています。
本社大杉
樹齢1000年とも言われている大杉。
その高さ、23メートル、幹の周囲は7.94メートル。
回廊と吊り灯篭
本殿の周囲には、回廊がめぐらされています。
吊り灯篭が並んでいて、吊り灯篭は、その数3000基。
日本一を誇るそうです。
「節分万燈籠」の日には、これらの灯籠に火が灯され、幻想的な風景になるようです。
若宮御仮殿
春日大社大宮の御子神様の若宮様は、20年に一度の御造替のため内侍殿(仮殿)にお遷りになられているそうです。
本殿も768年の創建以来、1200年に亘って、20年に1度の式年造替が行われているんですね。
1200年、連綿と受け継がれていることが素晴らしいです。
最近ですと、2015年から造替が始まり2016年11月に本殿にお遷りになられたとか。
次は…2035年からですね…
お参りに行けるかしら…^^;
西の回廊にある3つの門
西回廊と西回廊にある3つの門が重要文化財に指定されています。
南から、慶賀門、清浄門、内侍門。
慶賀門は藤原氏一族が使用する門(天井は格天井となっています)。
清浄門は、かつては僧正門と呼ばれていた門で、僧侶が使う門。
内侍門は、斎女や内侍など女性が通る門。
慶賀門から戻ります。
日が傾いてきました。
御朱印
書き置きのみ、300円。
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