体温計を脇に挟み込みリクライニングに戻る
デジタル表示は37.2。
発熱と呼ぶレベルなのかはわからない。
ただ、夏真っ盛りのこの時期でも、私の平熱はそれより1度余り下だ。
私にとっては発熱、なのだろう。
そういうことなら、とっとともう寝よう。
強い西日の差し込む寝室のカーテンをパチンと閉め、温室のように火照った部屋を冷まそうと空調のスイッチを入れた。
さあ、全く効かないと噂の備蓄薬タイレノールの出番だ。
期待薄だが服用したという精神的安堵は得られるかもしれない。
まぁ、呑気なことを言ってられるのも緩めの発熱37.2度のせいだろう。
タイレノールを備蓄薬に選んだのは、アセトアミノフェンが300ミリ含有だったから。
アセトアミノフェンは身体に優しい、副作用が少ないと言われる(あくまでも持病のない人にとって)。
副作用がない=効かない、副作用が強い=効く、ということなのだろうと勝手に思っている。
効果を期待するなら、その副作用・副反応については同時に受け入れざるをえないのだろう。
幼き頃、あの抗生物質、この抗生物質と投与を受けていた身にすり込まれてしまった私故の体験からくる意識なのかもしれない。
ベッドにもぐり込む。
うろ覚えの記憶が「思い出しついでに」浮かび上がる。大学病院に何回目かの入院をしていた頃のことだと思うが時期は不明確。
入院期間が短期であれ長期であれ、似たような年代の子供同士、すぐに顔見知りとなる。
院内だからといって閉ざされた特異な世界と感じたことはない。
そこには子ども達の日常が、それなりに、ある。容体の悪化さえなければ、「院外」の子供達と一見何も変わらない。
看護師さん達とふざけあったり、院内を、叱られない程度に、探検したりと、いったい何故「ここ」にいるのか、といった毎日を過ごす。少なくとも表面上は。
専用の調味料からくる味気ない食事、日々定期的に行われる様々な検査、
等を除けば「それなりの」日々がそこにはあった。
それでも幼心におやっと首を傾げることが起きる。
気がつくと、誰かがいなくなる。
あそこのベッドにいたA君が、今日はいない。昨日はいたのに。
時として、誰かが個室に移動していたりする。
B君の顔を今日は見ないな、と気がつくといつの間にか個室に移動していたりする。
そういったことが前触れもなく、起こる。
その日、B君の様子を確かめようと、彼が移った個室のドアの隙間から中をのぞいた。
誰かが寝ているベッド、そこにB君がいるのか、こちら側からはわからない。
部屋に溢れかえるピー、ピーという甲高い電子音、
それが僅かに開けたドアから一斉に廊下に漏れる。
枕元の方に見慣れぬ機械が見える、
耳障りな電子音の犯人はそいつのようだ。
音に合わせるかのようにピカッ、ピカッと何かが点滅している。
ここに入っちゃいけないんだ。
そう察し、相部屋に戻ったのを覚えている。
翌日だったろうか、あの部屋に行き、そぉっとドアを開け再び中をのぞいた。
あのうるさい機械も、そしてB君も、あれが幻であったかのように、
部屋はからっぽだった。
明日の出社はない。
そこを利用して旅券事務所へ、と考えていた。
が、こうなると予定変更やむなしか? 日曜日はワクチン接種した足で、旅券用の写真も撮り準備万端整えたのに・・・。
私のパスポートは更新することなく昨年失効している。
向こう1〜2年、使う機会はないのだろうし、正直なところコロナ収束(かなうことなら終息)以前に、人柱となって海外に突撃する気は全くなかった。
それがなぜ今になって、今、取得する気になったのか。
渡航する気になったのか?
とんでもない。
では、なぜ?
今は、なんとなく、という表現が適当なのかもしれない。
ただただ、「必要な時」にいつでも傍にある状態にしておきたかったから。
仕事のためでも、観光のためでもない。
切羽詰まった時、素が表に出てくる。
人であれ、仕組みであれ、組織であれ、覆っていたオブラートが剥がれ、ありのままの一部が時々に万人の目にするところとなる。
ピンチはチャンスだ。
不謹慎ではあれ、それを契機に転換を図る、起死回生を図る、その大きなきっかけになり得る、
・・・のだろうが。
どうやら、そうならないケース、禍転じて、とならないケースも、残念ながら、やっぱり、好むと好まざるとに関わらず、一つの可能性として、より真剣に、心に留め置く、というのもありなのだろう。
そう思っている・・・。
久しぶりに延々と熟睡し、早朝に目が覚めた。
節々の違和感は昨日ほどではない。
それでも何か、こう、全て「動くのが面倒くさい」「気だるい」、変な気分に全身が囚われている。
体温は平熱に戻っていた。熟睡が功を奏したのかもしれない。タイレノールが効いた、とは思えない。
けだるさはあるが、では明日、明後日でいいや、と折り合いを付けるわけにもいかない。
結局、思い切って、かねてからの予定通り旅券事務所に来た、というわけ。
各自治体でワクチンパスポート交付の受付が始まるこの日、その影響もあるかと心配していたが、
旅券事務所はがらがらだった。
人っ子一人いない、がらんとしたフロア。
受付窓口まで進むと、待ってましたとばかりに事務の方が対応。
持参した申請書を提出、2、3基本的なやり取り。
数分で終了、1週間後受け取りに来るよう促され、事務所をあとにする。
10年有効な旅券、手数料1万6千円也。
これは高いのか、年あたり1600円なら妥当なのか、よくわからない。
その分の印紙はここで買ってね、と、事務所正面にあるショップの店員さんたちが一斉に声をかけてくる。
観光地と化した名刹など、山道脇に立ち並ぶ土産物屋の店先に売り子さん達が立ち並び、ここで土産を買ってよと、一斉に声をかけてくる・・・あれだ。
10分ほど前は、そう、エレベータを降りた途端、証明写真はここで撮ってね、と一斉に声をかけられた。
そして今、今度は印紙をここで買え、と。
この時間帯、旅券事務所に出入りしたのは私だけ。標的は私、ただ一人、というこの状況。売り子さん達全員にロックオンされ身動きとりずらいことこの上無い・・・。
1週間後、旅券受け取りに来た時、また同じような目に遭うのだろうか、
いや、案外注意深く観察され「こいつはただ受け取りに来ただけ」と端から声などかけられない、のだろうか。
パスポートを手にしたら直ぐ、ワクチン証明書を取得するつもり。
旅券に証明印でも押してもらう方が使い勝手は良いが、
コロナ禍、自治体も忙しい、ので、郵送申請後「紙」の証明書が送られてくるという。
とりあえずまず「紙」で、ということらしい。
が、ワクチン云々に限らず、デジタル証明書などいつになってもできてこない、そんな可能性も否定できない。
接種履歴含む電子カルテ、保険証、マイナンバーが、リンクしていない、リンクできない、そのままに、場当たり的に対応したところで事が複雑化するだけかもしれない。
デジタル化と呼ぶに相応しい未来は、どこに向かうともわからぬ真っ暗なトンネルを抜けた後のずぅっと先だ。
だからといって、「ずぅっと先」のことばかりをただ不安がるだけでは意味がない。
それよりも今日の一歩だ。
まずは一歩。歩を進めておくことだ。
明日個室に入るのは私かもしれないし、そうでないかもしれない。
できることなら、先送りせず今日しておきたい。
なんとなくそう思っている。