大和国の佐保めぐり⑮ ~佐保姫神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

東大寺(とうだいじ)
転害門(てんがいもん)前を
奈良街道にそって北へすすみ

佐保川(さほがわ)の手前から
狭い路地にはいってゆくと

佐保姫(さほひめ)神社
があります。

 



春の女神とうたわれ
春の季語にもなっている

佐保姫(さほひめ)
を祀る神社だそうです。

いまでは、このように
ちいさな祠で祀られるばかり
というのも驚きです。

このかたもまた、
忘れさられようとしている
女神さまなのかもしれません。

 

 

奈良盆地の北にたたずむ
平城山(ならやま)丘陵の
東側一帯はかつて

佐保(さほ)といわれ
佐保山(さほやま)という
総称でもよばれていたようです。

いまでは、
宅地開発によって拓かれ

学校や公園や旧奈良刑務所が
ならんでいるようですが、この

佐保山に祀られていたのが
佐保姫だそうです。

 



西暦500年ごろに伝来したという
五行思想(ごぎょうしそう)では

東西南北の方位に
春夏秋冬の季節が
対応するとされていたらしく

平城京の東にあることから
東=春として
春の女神とされたようです。



ほかにも、
平城京の西にあることから
西=秋からとして

龍田山(たつたやま)
竜田姫(たつたひめ)
秋の女神とされたようです。

また、

夏の女神は
筒姫(つつひめ)

冬の女神は
宇津多姫(うつたひめ)

というそうです。

俳句の季語にもなり
いまでもおおくの人々に
歌われているといいますが、

不思議なのは、この
女神さまの伝承や逸話が
まったくないということでしょうか。

筒姫や宇津田姫は
信仰されていた土地さえ
よくわからないようです。

夏=南ですから、
佐保川下流の筒井(つつい)
かもしれませんし、

冬=北ですから
京田辺の打田(うつた)
かもしれませんね。



佐保姫は、

奈良盆地をおおう
春霞のように

白く柔らかな衣をまとう
若々しい女神とされたようですね。

また、柔らかな衣のイメージから
機織りの神ともされたようです。

佐保姫神社は、別名を
天柵織姫(あめのたなばたひめ)神社
というのも、

機織りという神格から
きているのでしょうか?

また、
秋の女神である竜田姫は
紅葉で山を染めたことから
染色の神ともいわれたようですが、

佐保姫もまた、
染色の神とされたといいます。

春の桜が佐保山を染めた
ということでしょうか?

『春日大社』
春日(かすが)」も

春日(はるひ)」から
きているといいますから

この地は、
春や東の代名詞
だったのかもしれませんね。

 



佐保川といえば、いまでも
桜の名所として知られるようです。

佐保姫神社のとなりには
桜七所明神が祀られるようですが

これは佐保川流域の社や祠が
統合されたものでしょうか?

また、そのとなりには
佐保川地蔵がならんでいますが

こちらは佐保川流域の
上下水道工事のさいに出土した
石仏群だそうです。

歴史の深い土地ですから
掘れば必ずなにかが出てくる
ともいうようですね。



佐保姫神社はもともと
現在の若草中学校のあたりに
祀られていたといいます。

戦国時代の末、その地に
多聞山城(たもんやまじょう)が
築かれたさい遷座したそうです。

はじめは、いまの
佐保川天満宮の地に
祀られたといいますが

のちに、
佐保姫だけが現在地に
遷ったようですね。



佐保姫を祀る社はほかに
狭岡(さおか)神社や

常陸(ひだち)神社が
あるといいます。

また、佐保姫神社から
手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)
の境内社に遷座したともいうようですが

手向山八幡宮のほうでは
認知はしていないようです。

いずれにしても、
近隣のほこらでひっそりと
祀られるばかりのようですね。



ところで、
狭岡神社は第11代・
垂仁(すいにん)天皇の妃・

狭穂姫(さほひめ)
伝承地でもあるそうです。

兄・狭穂彦(さほひこ)の
謀反とのあいだに揺れうごき

兄ともどもに
焼き討ちにあったといいますが


佐保山はその

候補地でもあるようです。
 

 


春の女神・
佐保姫(さほひめ)と

垂仁天皇妃・
狭穂姫(さほひめ)は

別人(神)である
とされるだようですが、

佐保姫には伝承がなく
狭穂姫には伝承があり

どちらの伝承地もこの
佐保の地であることから、

同一視したくなるのも
人情な気がします。

 

また、

天皇妃は天皇の衣を織るという

機織りの仕事もあったようですから

 

そうした性格が

いまにも伝わるのかもしれません。





さらに、
狭穂彦・沙穂姫は

第9代・
開化(かいか)天皇の孫
にあたるといいます。

開化天皇陵も
垂仁天皇陵もあるこの地に、

開化天皇陵や
垂仁天皇陵を築いたとされる

土師氏の末裔である
菅原道真ゆかりの

佐保川天満宮に
祀られたというのも
縁のあることなのでしょう。



もしかすると、
佐保の地に暮らしたことから

狭穂彦・沙穂姫といった
のかもしれませんね。

この地にはそうした
佐保の一族が暮らしていた
ともいうようです。

古代の
主要交通網のひとつ
木津川(きづがわ)と

奈良盆地をむすぶ
「関」のような地でもあった?
のではないでしょうか。



ところで、
奈良盆地を潤している
佐保川の源流は

佐保山ではなく
春日奥山なのだといいます。

神の山・霊山とされる
春日山は、

花山(はなやま)
ともいわれ

そのほとんどが
入山禁止エリアのようですね。

 



若草山ドライブウェイや
柳生街道を通れば

春日奥山の原生林を
味わえるのだといいますが、

その道中にある

鶯の滝(うぐいすのたき)は

 

佐保川の源流に

ほど近いといいます。



落差10メートルほどの
ちいさな滝ではありますが

昼でも日のあたらない
鬱蒼とした森のなかにあり
とても神秘的です。



鶯というのは、
滝の音が鶯の声に似ているからとか

神功皇后(じんぐうこうごう)が鳥の声をきいて

「うぐいす」と命名したから
などとつたえられるようですね。

 



うぐいすは、
春告げ鳥ともいうように
やはり春と相性がよいのでしょう。

また、若草山の頂上には
巨大な前方後円墳があるのですが

そちらも
鶯塚(うぐいすづか)古墳

鶯陵(うぐいすのみささぎ)

ともいうようですね。

埋葬者はわからないといいますが、
ぼくとしては
沙穂姫を比定したいところです。



さいごに、
佐保や佐保姫を詠んだ
歌を載せておきたいとおもいます。



《大伴坂上郎女》
我が背子が見らむ佐保路の青柳を
手折りてだにも見むよしもがも

《大伴家持》
佐保山にたなびく霞見るごとに
妹を思ひ出で泣かぬ日はなし 

千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を
馬打ち渡し いつか通はむ

《作者不明》
佐保山の清き川原に鳴く千鳥
かはづと二つ忘れかねつも

《大江匡房》
佐保姫のうちたれ髪の玉柳
たゞ春風のけづるなりけり

《平兼盛》
佐保姫の糸染め掛くる青柳を
吹きな乱りそ春の山風

《後鳥羽天皇》
佐保姫の霞の衣ぬきをうすみ
花の錦をたちやかさねむ

《藤原家隆》
さほ姫の霞の袖もたれゆへに
おぼろにやどる春の月かげ

《小林一茶》
サホ姫のばりやこぼしてさく菫

《正岡子規》
佐保姫の別れかなしも来ん春に
ふたたび逢はんわれならなくに

佐保姫を思へば千島蝦夷が島
佐保姫を恋に都のそめ物屋
佐保姫のもてなしあつし独りたひ

《尾崎紅葉》
佐保姫も襷かけゝん草の餅

 



もちろん、
ほかにもたくさんあるようです。

また、
歌人・与謝野晶子は
詩集のタイトルに
「佐保姫」とつけており

娘の名まえにも
「佐保子」とつけたようですね。

いまいちど、そんな
佐保姫に思いをはせてみたいところです。

 

 

大和国の佐保めぐり ~終~

 

 

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