筑前国の姪浜めぐり② ~住吉神社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

姪浜(めいのはま)駅から
500メートルほど北にゆくと

住吉(すみよし)神社
があります。



北九州の小倉から

福岡の博多をへて

佐賀の唐津へいたり

長崎の平戸までつづく街道を

 

唐津街道(からつかいどう)
というのですが

 

住吉神社は、そんな

唐津街道ぞいにあるようです。

 



かつては、

姪浜(めいのはま)宿という

宿場町だったらしく


商船で栄えた商人町

漁業で栄えた漁師町

などもあり

 

「姪浜千軒」といわれるほど
にぎわっていたようですね。



姪浜の住吉神社の創建は

奈良時代だといいます。

 

743年9月29日の夜半に
住吉明神があらわれたそうです。

さらに、翌・744年にも
異国船来襲の調伏祈願のさいに
住吉明神があらわれたといいます。

そこで、

社を築いて祀ったのが
 

姪浜の住吉神社の

はじまりだそうです。



住吉神社といえば、

海辺の守り神ですから

当初は、もうすこし北の

沿岸にあったといいます。

漁師町のひとつ
西綱屋町に創建されたらしく

 

旧鎮座地には

住吉古宮があるといいますが、

場所はよくわかりませんでした。

いまでいう
姪浜3丁目のどこかには

あったようですね。



「異国船来襲」とあるように
諸外国が迫りくる地

でもあったようですね。

鎌倉時代には
元寇(げんこう)にそなえて
防塁が築かれたといいますが、

名柄川(ながらがわ)の

河口ちかくには

元寇防塁跡もあるようです。

 



住吉明神とは、大阪の

住吉大社に祀られる

表筒男命(うわつつお)
中筒男命(なかつつお)
底筒男命(そこつつお)


をあわせた
住吉三神(すみよしさんじん)
として知られています。

また、住吉大社では

住吉大社を創建したとされる


神功(じんぐう)皇后

 

も祀られるようですね。

 

神功皇后には、つねに

住吉大神が守護していた

ともいわれるようです。

 


姪浜の住吉神社でも、

住吉三神
神功皇后

が祀られています。
また、ほかに

志賀三神(しがさんじん)
武内宿祢(たけうちのすくね)


も祀られているようです。



志賀三神は
綿津見(わたつみ・海神)三神ともいわれ

表津綿津見神(うはつわたつみ)
仲津綿津見神(なかつわたつみ)
底津綿津見神(そこつわたつみ)

のことだといいます。

博多湾をはさんだ対岸の
志賀島(しかのしま)で
祀られる神さまですね。

武内宿祢は、
神功皇后につかえた
重臣だそうです。



当初、西綱屋町にあった
姪浜住吉神社は

室町時代に、
牛頭(ごず)社の地に
遷座したといいます。

それが、いまの鎮座地であり
住吉神社の境内には

 

旧・牛頭社である
須賀(すが)神社が

祀られるようです。

 



神仏習合の神である
牛頭天王(ごずてんのう)
ソサノヲ(素戔嗚尊)と同一視されて

明治時代の神仏分離後は、

ソサノヲを祀る

須賀神社となったようですね。

 


さて、おもしろいのは
姪浜の住吉神社では

河童(かっぱ)
神使とされるようです。



古事記・日本書紀によれば

天照大神の父である

イサナギ(伊弉諾尊)は、

 

この世をさった妻・

イサナミ(伊弉冉尊)のいる

黄泉(よみ)から帰ってくると、

 

『筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原』

で禊をしたといいます。

 

この地の伝承によれば

『小戸』というのが、姪浜にある

「小戸(おど)」なのだそうです。

 

 

さらに、姪浜の

住吉神社の伝承では

 

イサナギが小戸で禊をしたさいに

道案内としてあらわれたのが

河童(かっぱ)だというのです。

 

ですから、ここは
河童を祀るという

とても珍しい神社のようです。

 

 

河童の伝承にあやかって

6月には河童祭がおこなわれたり

河童面も配られるといいます。

 

また、河童面のお守りも

あつかっているようですね。

 

 

ちなみに、イサナギが禊をした

『筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原』の

阿波岐原(あはぎはら)」は、

 

博多駅にほどちかい

筑前国一ノ宮・住吉神社ともいわれ

住吉明神誕生の地ともいわれるようです。

 

住吉明神誕生の地は、

現人神社もあわせてまたいずれ

記事にしようと思っています。

 

 

ホツマツタエには

 

つくしあわきの
みそきには なかかわにうむ
そこつつを つきなかつつを
うわつつを これかなさきに
まつらしむ

 

とあり、

 

イサナギが

筑紫のアワキでおこなった

禊では、

 

ナカガワ(那珂川)で

底筒男・中筒男・表筒男

を任命して、

 

カナサキ翁

とりしきることとした

 

といいます。

 

 

「ツツ(筒)」というのは、

ツツガ(災禍)を治(た)すことで

荒れた地の平定を意味する

ともいうようです。

 

「ガ」を「タ」すことで

タガ(多賀)」の神といわれた

イサナギにも通じているようですね。

 

ナカガワ周辺や

筑紫の統治をまかさた

3将軍ということでしょうか?

 

その総大将として

カナサキ翁がいたのでしょうか?

 

また、「ツツ」は

「津々浦々」の「津津」でもあり

 

「港」と「港」をむすぶ

航路の確保という意味でも

あったのかもしれませんね。

 


ほかにも、

おおくの末社でにぎわう
すてきな神社さんですね。

 

 

もうひとつ、気になるのは

こちらの像です。

 

兎の像だといいますが

風化のせいか

あまりよくわかりませんね。

 


鎌倉時代の臨済宗の僧・

大応国師(だいおうこくし)こと

南浦紹明(なんぽしょうみょう)は、

 

宋からの帰国のさい

海が荒れて沈みかけた

といいます。

 

そのとき、

大応国師が宋で助けた兎が

海へ飛び込んだそうです。

すると兎は金色の光をはなち
海上を駆けたといいます。

兎のとおったあとだけは
海がおだやかになり、

大応国師たちは

兎を追うように舵をとったことで

無事に浜までつくことができたそうです。


それが、ここ

姪浜の地であり

船がたどり着くと、
兎は天高く舞い上がり
龍となって天に消えたといいます。

 

姪浜駅前のモニュメントも

大応国師の伝承によるようですね。

 

 

舟がたどり着いた地は、

いまでも唐津街道ぞいに

龍王館として残るといいます。

 

聞いた話によると

博多湾は、岩礁もおおく

大型船などが乗り入れるさいは

 

この土地のものが、かわりに

操船するといいます。

 

これを、

『水先案内人(みずさきあんないにん)』

というのだそうです。

 

もしかすると、

河童も兎もそうした

水先案内人のことを

いっているのかもしれませんね。

 


また、姪浜の住吉神社は
キラキラミリオネア神社キラキラ

ともいわれるようですびっくり

テレビ番組の
「クイズミリオネア」に

姪浜住吉神社の
宮司さんが出演し

賞金1000万円を
手に入れたといいます。

ときは、くしくも
福岡県西方沖地震の

1か月後であり、

被災した
大鳥居や神門などの
修復にあてたのだそうです。



そうした、御利益にあやかって
訪れるかたもいらっしゃるようですね。

 

 

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☆姪浜めぐり全記事リスト☆
筑前国の姪浜めぐり① ~衵ノ浜~
筑前国の姪浜めぐり② ~住吉神社~
筑前国の姪浜めぐり③ ~小戸大神宮~
筑前国の姪浜めぐり④ ~小戸妙見神社~
筑前国の姪浜めぐり⑤ ~能古島・白髭神社~
筑前国の姪浜めぐり⑥ ~能古島・龍の宮~
筑前国の姪浜めぐり⑦ ~能古島・早田古墳~
筑前国の姪浜めぐり⑧ ~能古島・山頂と磐座~
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