筑前国の宝満宮② ~竈神 その1~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

『カマド神』といえば、
火難除けとして
台所に祀られる神さまです。

地域によって
さまざまな名まえや
祀り方があるようです。

しかし、これだけ広く

知られている神さまながら


起源については
よくわからないといいます。



一説には、

「火」を神聖なものとして
祀ったのがはじまりといわれ、

世界中にある
「火炎崇拝(かえんすうはい)」

のひとつともされるようですメラメラ

 



日本の竈神は、

神道では

オキツヒコ(奧津日子神)
オキツヒメ(奧津比賣命)

カグツチ(迦具土神・火神)


を祀っているようです。


これは、神仏習合で

三宝荒神(さんぽうこうじん)

となったようですね。

 



古事記によると、
オキツヒコ・オキツヒメは

素戔嗚尊(すさのお)の子・
大年神(おおとし)が産んだ
兄妹とされるようです。

また、原文には

『此者諸人以拜竈神者也』
(この方は諸人が拝む竈神です)

とあることから


オキツヒコ・オキツヒメは
『竈神(かまどかみ)』

とされたようです。

 



古事記が編さんされた
飛鳥~奈良時代にはすでに

竈神の信仰は
ひろまっていたようですね。

しかし、なぜ
オキツヒコ・オキツヒメが
竈神となったのかは、

古事記・日本書紀にも
描かれていないようです。

 



古事・日本書紀の

もとになったといわれる
ホツマツタヱによると、


オキツヒコ・オキツヒメは
妹背(いせ)の道をひろめた
夫婦だといいます。

女という意味の
「妹(ゐも)」

男という意味の
「背(をせ)」をあわせて

妹背(ゐもをせ・いせ)
といい、

ホツマツタヱでは
「男女」「夫婦」という
意味のようです。

 

夫婦の道をひろめたという

おふたりですが、

ことのはじまりは
夫婦喧嘩だったといいます。




おきつひこ はらあしことに
つまあれて みさほたたぬと
ちぎりさる


オキツヒコの悪口に
妻が傷ついたのか、

オキツヒコの腹がおさまらない
「悪しきこと」があって
妻が荒れたのか、

ふたりの関係は極まって
離縁にまでいったようです。

 



オキツヒコの父・
ウホトシ(大年神)はこれを

朝廷で嘆いたところ、

男神・天照大神の后である
瀬織津姫(せおりつひめ)

オキツヒコ・オキツヒメを
マフツの鏡に映したといいます。

 

この鏡は、かつて

ハタレ(反乱軍)の鎮圧にも

つかわれた鏡であり、

「人の心の姿を写す鏡」
といわれています。

 

この、マフツの鏡に

おふたりを写したところ




をせはけがるる
にすてかま めはかくさるる
つくまなべ


夫・オキツヒコのほうは
「汚れたニステ竈

妻・オキツヒメのほうは
「隠れたツクマ鍋

が写ったといいます。


「ニステ」
「煮捨て」であり

煮炊きした汚れがこびりついて
捨てるほかない竈のことで、


「ツクマ」
「付く隈」であり

焦げ付いてしまい
人目につかないように
しまわれた鍋のこと

だといいます。

 



これをみた妻・オキツヒメは、

すっかり恥じてしまったといいます。

しかし、夫・オキツヒコは
 

「竈が汚れたのは、妻の
鍋の使い方が良くないから」
 

と考えたのか、反省することもなく
妻を許さなかったそうです。

妻・オキツヒメは

「こうなってはもう罷るほかない」

と思いつめたといいます。

そこで、父・ウホトシ(大年神)が
子・オキツヒコを叱ったというのです。

 




わがこのみ にすてのつらお
みがかせと



わが子(オキツヒコ)のほうが
ニステ竈の表を磨くのです


これは、

 


鍋が汚れたのは
竈が荒れているせいだ

 

ということかもしれません。

もっというならば、

 

オキツヒコは夫であるのだから、妻・

オキツヒメの悪しき部分もすべて

受け入れなさい

 

ということでも

あるのでしょうか。

 


父の言葉にさとされた
オキツヒコは心を入れかえて

オキツヒメと復縁したようです。

そうして、ふたりは

妹背の道を守りながら
諸国をめぐり



よおをぶる はしめおわりの
つつまやか



世を背負う 初め終わりの 慎まやか


という道(思想)を
教えひろめたそうです。

これも、さまざまな

意味が込められているようですが


妻(つま)の隈(くま)まで
背負う(をぶる)ことで
一生一緒にいられますよ


ということかもしれません。

 




ををんかみ ほめてたまはる
かまとかみ


天照大神は、

ふたりの功績を褒め称えて

「竈神(竈守)」

という名を賜ったといいます。

 

つまり、夫婦喧嘩にはじまる

ニステ竈とツクマ鍋の教訓が

竈神の由来だというのです。




てなべおさくる
きたなきも みがけはひかる
かみとなる


「手鍋を提げる」
いまでも使われる慣用句で、

自分で炊事するような
貧しい生活をおくること

好きな男との生活ならば
苦労もいとわないこと

という意味があるようです。

もしかすると、
オキツヒメの身分が低かった
のかもしれませんね。

 

もとは、オキツヒコの

給仕や乳母だったのかもしれません。

しかし、夫婦むつまじく
努力を重ねることで

「カミ」の称え名をたまわるほど
功績を残すことができた

ということでしょうか。

 



くにもりたみの
さとしにも つくまなさせる
いせのみち


国守や民を諭すときには
オキツヒコ・オキツヒメの話をして

「ツクマをなす」ことが
「妹背(男女)の道」だと
伝えたといいます。

「ツクマ」は、ここでは
「付く離れる」という意味でもあり

「ツクマなす」
「焦げ付き(クマ)を落とす」こと
でもあるようですね。

また、これは
「ツクバ(筑波)」にも通じていて

天照大神の両親である
イサナギ・イサナミにも
例えてあるようです。

イサナギ・イサナミは
筑波で宮をひらいたのが
はじまりだといわれ

イサナギ・イサナミも
「付く離る」の関係を繰り返して
睦まじくなっていたといいます。



滋賀県にある
筑摩(つくま)神社では

鍋をかぶるという
奇祭が残るといいます。

もとは、女性が
関係をもった男性の数だけ
鍋をかぶっていたそうです。

とすると、
オキツヒコの不満とは

オキツヒメの不義や
婚前の不貞だったの

かもしれません。



これは、
ぼくの持論である


イサナミは
カグツチと不義をして
ソサノヲを産んだ


という話にも通じそうです。



ホツマツタヱでは
イサナミの「クマ」がおりて
ソサノヲが荒れたとされていて

イサナミが命をかけて守った地を
「クマノ(熊野)」といい

イサナミのことを
「クマノ神」と称えています。

この「クマ」を、ぼくは
不義や不倫と考えていて

オキツヒメの「ツクマ鍋」

「ツマ」「クマ」「付いた」

ということではないでしょうか?



また、

カグツチは火の神といわれ
イサナミの死のきっかけとなった

とされるようですが

 

そんな、カグツチもまた

「竈神」として祀られていることも

意味があるのでしょう。

さらに、もし

イサナミとカグツチの子が

ソサノヲであるとすれば、

 

ソサノヲの孫である

オキツヒコが

 

妻のクマを受け入れて

火難をふせぐ竈神になった

というのも

 

意味があるのではないでしょうか?

 



オキツヒコ・オキツヒメは
諸国をめぐったといいますが

そのなかで、福岡の
竈門山(宝満山)にきた
のかもしれません。

もしくは、竈門山(宝満山)が
オキツヒコ・オキツヒメの
眠る地なのかもしれませんね。



それにしても、おどろくのは

ホツマツタエにのこる竈神と

 

人気漫画「鬼滅の刃」の

共通点の多さでしょうか?

古事記では、

オキツヒコ・オキツヒメは
兄妹(きょうだい)

とされているので、

「鬼滅の刃」でも、主人公の
竈門炭治郎(かまどたんじろう)と

妹の
竈門禰豆子(かまどねづこ)は

いつも一緒にいます。

このふたりは、おどろくほど

仲がよくて絆のようなもので

結ばれているというのは、

 

ホツマツタヱの

オキツヒコ・オキツヒメのようです。

 

 

また、妹・禰豆子に
「鬼」が憑いていることは

 

オキツヒメに

「クマ」が付いていることと

同じことかもしれません。



さらに、


よおをぶる はしめおわりの
つつまやか


とあるように

妹・禰豆子をおぶって(背負って)
旅をしていること

妹・禰豆子は「筒(つつ)」を
くわえていることなども

偶然とは思えませんよね爆  笑キラキラ



竈神については、まだまだ
「ヒミツ」が隠れていますので
もうすこし続けます!

 

 

↓よければクリック

↓お願いします。


神社・お寺巡りランキング

 

 

筑前国の宝満宮③ へ つづく

 

 

 

☆宝満宮全記事リスト☆

筑前国の宝満宮① ~竈門神社~

筑前国の宝満宮② ~竈神 その1~

筑前国の宝満宮③ ~竈神 その2~