筑前国の宝満宮③ ~竈神 その2~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

「竈神 その1」では
オキツヒコ・オキツヒメ
 

『竈神(かまどかみ)』

になったお話しました。

しかし、
「竈神」という言葉は

オキツヒコ・オキツヒメが
たまわる以前から
すでにあったようです。



古事記・日本書紀の
もとになったといわれる
ホツマツタヱ


第22章(アヤ)のタイトルは
『オキツヒコ ヒミツの祓い』
といい、

竈神となったオキツヒコによる
祭祀の場面が描かれています。


かまとの かみのひみつ
みつのねは にばりのみやの
わたましに あめのみまごの
みことのり もりおたまわる
おきつひこ



御竈の神による
《火(ひ)水(み)土(つ)》の祓いの
3(みつ)の根(ね・はじまり)は、

新治(にばり)の宮に
転居されることとなった

天照大神の御孫・
ニニキネさまの詔によって

オキツヒコが竈守として
宮中祭祀を担ったことに

はじまります。





かしきのゆふの
みてぐらに やをよろかみの
かんつとえ たかまのはらの
かんつかさ あまてらします
をおんかみ ほぎたてまつる



オキツヒコは、

赤白黄(かしき・火水土)
結(ゆう・絹布)を
幣(みてぐら・捧げもの)として

八百万の神を
宮にお迎えすると、

高天原(天上界)
うつしたとされるこの
朝廷を治めてきた

天照大神、ならびにご子息を
言祝ぎたてまつりました。


『かしき』「炊き」でもあり
「御食(みけ・捧げる食事)」のこと
でもあるようです。

この、言祝ぎのなかに
『みかまのほぎ(御竈の祝)』

があり

竈神のはじまりについて
語られたようです。

 



それはまだ
この国の治世がはじまったころ

原初の神の代とされる
クニトコタチ(国常立尊)世代に

太陽のめぐりから
『キ・ツ・ヲ・サ・ネ』という
「ヰクラ(5座)の神」
生まれたころまでさかのぼるようです。


あまつこと まつるとほかみ
ゑひための やもとのかみの
まもらせき



国家を動かす朝廷の政治
ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ
8人の皇子が執ることとして



くにつまつり
きつをさね むろそひかみ
まもらせき



朝廷の政治とひとびとを結び
ひとびとの暮らしを守るのは

キ・ツ・ヲ・サ・ネ(方位神)
ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ(暦神)をあわせた
11神(そひかみ)に行わせました。



このゆえひびの
みかまとの ゑともりかみ
たたえますなり 



このことから、11神を
《日々の御竈のヱト守り神》
と称えることとなりました。


『ヱト』というのは
「ト」ホカミ「ヱ」ヒタメの
8皇子のことですから、

(日・朝廷)の政治を
(人)に伝えて
日々の暮らしを守る神として
称えたようです。

「日」のめぐりは
「火」のめぐりとなり
 

ひとびとの

食とつながるといいます。

くわしくは、
キツヲサネ動画をご覧ください。


そして、この
日と火のめぐりから
暦を数えるようになり、

暦を数えて日々を紡ぐことを
「編み養う(あみやしなう)」

ということから
 

ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウの神が
生まれたようですね。

 



『キツヲサネ』と
『アミヤシナウ』と
『ヱト』

の組み合わせで

「キアヱ」「キアト」
「ツミヱ」「ツミト」
「ヲヤヱ」「ヲヤト」
「サシヱ」「サシト」、、、

など60通りが生まれ

60日でひとめぐりする
暦の呼び名が生まれたようです。

 



ですから、

天の運行である
「日のめぐり」

各戸単位で伝えるための
「火のめぐり」
竈神だったのでしょう。

となると、

「竈(かまど)」というのは
「日門(かまど・かかど)」であって

日(ひ)のめぐりを伝える
窓口(まどぐち・門)のこと

でもあるのでしょう。

もっといえば、これは
『高天原(タカマ)』の思いを伝える
『門(マド・カド)』であり

「タカマのカド」「タカマのマド」
「タカマカド」「タカママド」
『カマド』
 

となったのでしょう。

福岡の竈門神社も、かつては
竈門(かまかと)といっていたようです。



さて、ここにつづく一節が
とても難解です。


ひさかたの あまてるかみの
はつみよに ひよみのとりの
かおつぐる きつをかなねの 
とつぎして としのりかみ
あれませる そのそひかみお
ゑともりと あみやしなうて
やみこなる


ざっくり訳せば


天照大神の世に

キツヲサネアミヤシナウの
11神から

8人の御子(跡継ぎ)が
生まれた(任命された)


となります。

気になるのは
『トシノリカミ(歳徳神)』です。

「トシノリカミ」というのは
「キツヲサネアミヤシナウ」の
11神の別名でもあるのですが

ここでは、
『トシノリノタマメカミ(歳徳玉女神)』
のことでもあって

11神を産んだ存在、もしくは
11神の思想をひとつにした存在のこと
でもあるようです。

いうなれば、
【竈神の母】なのだそうです。

 



おそらく、福岡の

竈門神社で祀られている

玉依姫命(たまよりひめ)

というのは、
竈神の母とされる

歳徳玉女神(としのりたまめかみ)

のことなのでしょう。

宝満山(竈門山)は

歳徳玉女神(としのりたまめかみ)の
墓所なのかもしれません。

 



さらに、深読みするならば
『きつをかなねのとつぎ』とは
「東西を金根の戸接ぎ」と読めば
「閂(かんぬき)」のこととなり

門を閉ざした天照大神の
岩戸隠れのことかもしれません。

天照大神のおかくれによって
乱れてしまった暦をただすため

 

歳徳玉女神(としのりたまめかみ)
があらわれて


ひとびとの生活をより強く守る
8人の御子が定められたのかもしれません。

この、11神の後継者を
『ヤマサカミ(八将神)』といい

イサナギ・イサナミ
かれらをそれぞれ

1:ウツロヰ
2:シナトベ
3:カグツチ(火)
4:ミツハメ(水)
5:ハニヤス(土)
6:ヲヲトシ
7:スベヤマズミ
8:タツタヒメ


と命名したといいます。

 



1~5は、
5母音の要素にもなる

ア(空)
イ(風)
ウ(火)
エ(水)
オ(土)


のことですね。

6のヲヲトシは
実りを守る豊穣の神

7のスベヤマズミは
水源を守る治水の神

8のタツタヒメは
火事・津波などの
災害から守る神

だといいます。

ひとびとの日々の暮らしを
直接的に守る神というようです。

おそらく、これらは
各災害にあたる大臣の

役職名でもあり、

各災害からひとびとを守りたいという
願いそのものを神格化した呼び名

でもあるのでしょう。

 



なかでも、
火の神・カグツチは

竈そのものの穢れを祓う力
あったようです。
 

さらに、
「火」という特性から

「目に見えないもの(空・風)」
「目に見えるもの(水・土)」
つなぐものでもあり

朝廷(天・空)の思いを
人々(地・土)に伝えるという
窓口(門)の役割だったようです。

こうした思想体系によって
朝廷の意思と各戸(家庭)を
つよく結んだようですね。



焚く火も清らかに
飲み水も清らかに
竈の土も清らかに

保つことで、ひとびとは
日のめぐり、天の運行をそのまま
身体に通すことで健康でいられる、

これが
『火水土(ひみつ)の祓い』
のようですね。

またこれは、
「火(ひ・陽)」「水(みつ・陰)」
のことでもあり


「陰陽・天地・男女」

すべてを清らかに保つ

という意味もあるようです。




ひみつのみつの
たからおの すさみなけれは
いさきよく にあぐるみけの
ひもろげお ささぐるすえも
きよらかに むすぶひみつの
きよはらひ

 


ヒミツの祓いがゆきとおったなら
 

田からの収穫物(たから・お)も
よく研がれた
宝斧(たからおの・包丁)で
調理して煮あげれば

食事や御饌も清らかになり
心身共にすこやかになります

これがヒミツの清祓いです。



そしてどうやら、
『みつの』『たからお』『すさみなけれ』
「三」「宝」「荒」となり

竈神の神仏習合名である
三宝荒神(さんぽうこうじん)
となったようです。

 

さらに、

『きよく』『きよらかに』『きよはらい』から

清荒神(きよしこうじん)

ともいわれるのでしょう。

 



また、もしかすると

『ヤマサカミ(八将神)』のうち

6:オオトシ
オキツヒコの父・
ウホトシクラムスビが担い

7:スベヤマズミ
オキツヒコが担い

8:タツタヒメ
オキツヒメが担った
のかもしれませんね。

オオトシとウホトシは
名まえがほぼ同じですし

オキツヒコは、古代に
同名の海人族・オキツヒコがいて
福岡の志賀島あたりにいたようです。

タツタヒメは、

『タツナミしずむ』といいますが

オキツヒメがクマを鎮めたこと
でもあるのかもしれません。

竈神については、どこか

隠された神さまといった感があり

まだまだ『ヒミツ』が

隠れているのかもしれませんね。

 

トホカミヱヒタメの

「ヒ」の尊とも関係があるのでしょうか?

 

とてもとても気になっていますメラメラ

 

 

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筑前国の宝満宮 ~終~

 

 

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