摂津国の岩園天神社 | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

兵庫県芦屋(あしや)市にある
岩園天(いわぞのてん)神社

です。



かつては、このあたりを
「岩ヶ平(いわがひら)」
といったらしく

岩ヶ平(いわがひら)神社

ともいうようです。

岩園地区の氏神として

崇敬されているようですね。



「岩」園や
「岩」ヶ平というように

「岩」にゆかりのある

神社さんだといいます。

 



六甲山(ろっこうさん)周辺は
巨石文化圏といっていいほど

磐座(いわくら)信仰
さかんな地だったようです。

六甲比命(ろっこうひめ)神社
越木岩(こしきいわ)神社をはじめ

六甲山の周辺には、たくさんの
巨岩・奇岩がのこされています。


 

六甲山は、太古の

火山活動でうまれた山で

 

良質の花崗岩の産地

でもあったようです。

 

 

また、

ホツマツタヱによれば

六甲山周辺は

 

天照大神の正后・

瀬織津姫(せおりつひめ)

晩年を過ごした地とされていて、

 

天照大神の姉・

ワカヒメ(ヒルコ)とともに

ひとびとの女性性を守るという

 

女神信仰の地

でもあったようです。

 


 

ご祭神は、

 

菅原道真(すがわらみちざね)公

秋葉(あきは)大神

金比羅(こんぴら)大神

 

だといいます。

 

 

これは、どうやら

岩園「天神社」という名から

 

天神=菅原道真として

祀られているようですね。

 

しかしながら、

『天神』という言葉は

 

菅原道真公を祀ることになった

京都・北野(きたの)天満宮の地に

 

「天神地祇(てんじんちぎ)」が

祀られていたことに由来する

といいます。

 

ですから、日本各地でも

「天神地祇」の祀られていた

『天神社(てんじんじゃ)』

 

「菅原道真公」を祀る

『天満宮(てんまんぐう)』になった

ということが多いようですね。

 

 

では、岩園天神社の

主祭神はというと

 

天照皇大神

(あまてらしますすめおおみかみ)

 

だといいます。

 

伊勢(いせ)神宮に祀られる

皇祖・天照大神のことですね。

 

 

瀬織津姫さまが眠るとされる

六甲比命神社の磐座と

 

伊勢の

伊雑宮(いざわのみや)

結ぶラインが

岩園天神社を通るようですから、

 

伊勢の遥拝所という

役割があったのかもしれません。

 

 

また、配神とされる

 

秋葉大神とは

火の神・カグツチのことで

 

金比羅大神とは

クシミカタマ(5代目・大物主)

 

あらわすことがおおいようです。

 

どちらも、

ひとびとの暮らしを守る

神さまのようですね。

 

 

そして、

お稲荷様というのは

 

ひとびとの食をまもり

民(たみ)と守(かみ)を

つなぐ存在だったというのは

 

前回のツキヨミ動画でも

すこしお話しました。

 

そんな、

神と人を結ぶ地にある

「岩」とはなにかというと

 

『古墳(こふん)』

のようですね。




岩園天神社の一帯は
八十塚(やそつか)古墳群
といわれていて

40基ほどの古墳が
みつかっているようです。

いまでは、

ほとんどが削平されて
住宅地になっているのですが

岩園天神社には、そのうち
13号墳と14号墳が
残されているといいます。



本殿の裏にあるのが
13号墳だといいます。

 

 

人為的に組まれた岩には

違いないのでしょう。

 

おもしろいのは、今回

早朝に訪れたのですが

 

朝日がのぼるとともに

岩が金色に輝きはじめました。

 



石室の跡という

こちらの岩もまた

朝日に染まってゆきます。
 

 

なんとも

神々しい光景です。

 

 

日ののぼる方角、

伊勢のある方角に

ひらけた地形になっている

ということでしょう。

 



とすると、古墳もまた
墓であるというだけでなく

信仰の対象である
「磐座」だったのかもしれませんね。

こうしたものを、

ケルト民族の言葉で

「ドルメン(支石墓)」といい

新石器時代以降

世界各地に築かれていた

といいます。

 

 

日本では、古墳が築かれたのは

古墳時代以降とされるようですが、


岩ヶ平遺跡や、すぐちかくの
朝日ヶ丘遺跡からは

旧石器時代~縄文時代の
遺物が見つかっているといいますから

太古のむかしから
ひとびとが暮らしていた地
には違いないようですね。

 



東西に500メートル
南北に1キロメートル
という範囲に

集中して築かれた古墳群は
この地になんらかの意味を

持たせていたのではないでしょうか?

 

 

そう考えると、

境内に散らばる岩もまた

意図的に配置されている

ようにもみえてきます。

 

 

たとえば、

こちらも石はどこか

方位石のようです。

 

 

スマホのコンパスでみると

北だか南だをぴったりと

差していました。

 

となると、岩の配置はどこか

地図のようにも見えてきます。

 

こうやって、いろいろと

想像をふくらませるのも

楽しいですよね爆  笑キラキラ

 



さて、境内にはもうひとつ
14号墳のあとがあります。

いまでは、

修験道(しゅげんどう)の開祖・
役行者(えんのぎょうじゃ)

の像が祀られています。

 



像が掘られているの岩も、
古墳の石室の岩だといいます。

八十塚古墳群のうち

もっとも南にある墳墓ですね。

 

方角からすれば

役行者像は六甲山の

瀬織津姫さまの磐座を

見守っているかのようです。
 



役行者といえば
六甲山の東にある
目神山(めかみやま)

六甲山に眠る
瀬織津姫を感得した

といわれていて、

六甲山上を、北斗七星の形にめぐる
六甲修験道をひらいたかたでもあります。

六甲山や瀬織津姫と、

縁もゆかりも深いかたですね。

 



岩園天神社は
芦屋のパワースポットとしても
有名なのだといいます。

 

 

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摂津国の岩園天神社 ~終~