やりたいこと、できること、求められること

ヨーグルトにはフルーツが一番。
こんにちはキーボです。

夕飯の後にヨーグルトを食べています。
食べるようになったのは数ヶ月前からなのですが、急に何か変えてみたくなりました。
ヨーグルト自体はお腹のために食べているので、それをベースにして工夫をしてみたくなりました。

ということでヨーグルトに色々と「ちょい足し」しました。
具体的にはまた別の話として、普通に美味しかったのは山椒です。

そんなことへの行動力は発揮するのですが、こと仕事や学習など、やらなくてはいけないことについては、ゼンマイの壊れたブリキのおもちゃのようになってしまう私です。
原因は、やりたいことは多いのに優先順位がうまくつけられないこと。多分。

今やるべきことを自然体で後回しにしているのではないかと思うのです。
もちろん、お仕事は納期に合わせる、もしくは納期以前に提出するように心がけています。
一応、世間一般の常識の範疇で人様に迷惑はかけないよう心がけています。

仕事といっても、フリーランスなら本来自分発信で制作したものを販売したり、SNS等で収益を得るでしょう。
しかし、私は代理店様や以前お世話になったお客様に甘えて、その辺りのことはお座なりになっています。

色々不安定な時代、自分でやりたいこととできることを考えて、やるべきことを順序よく行うためにはどうしたら良いのか考察しました。

自分が求められていること

やりたいこととできることを天秤にかけてそのときに何をするべきか。
人にもよりますが、将来を考えるときなど、大凡ほとんどの人たちが悩んだ課題ではないでしょうか。
老若男女やりたいこと探しに奔走してます。

そんな中でも私なりに過程を3つ程仮定しました。

A:やりたいこと → できること → 求められていること

ほとんどの人が陥っている状況かと思います。
やりたいことが最初からわかっていて、それを継続する力があってできることに変化し、誰かから求められることは理想ですね。
しかし、まずやりたいことがわからないのに、この過程は適用できません。

B:できること → 求められること → やりたいこと

非常に稀有で生まれながらの才能を有した人。
自分でも気が付かないところで才能が開花し経験もないのにいきなりできることがあります。
まさに天が授けた才能で、まるで小説や漫画などフィクションの主人公です。
羨ましい限りですが、できることが他者から求められることで感謝され、かつ自分でもやりたいことになるなら良いですね。

C:求められること → できること → やりたいこと

この過程が一番多いケースではないでしょうか。
自分でもやりたいことがわからなくても、初めてのことを誰かに頼まれることもあるかと思います。
状況にもよりますが、誰かに頼まれたこと、感謝されることを続けているうちにできることになり、結果それがやりたいことになる。
やりたいこと、できることの2つは主体的な考えで世間は主に客観的にその人が何をできる人なのかということしか見てくれません。
したがって、やりたいことという言い方より何をできるようになりたいかと考えたほうが良いかも。

誰かのためが自分のために

前述のCは、求められることから始まるため、スタートが誰かに委ねられます。

適切な誰かや環境に出会えて、求められることを「教えてもらう」ことが出来て、正しく「続ける」ことが可能ならば、確実にできることになるでしょう。

「教えてもらう」というのは、例えば子供のときに何かをお手伝いをしたときに言われる「ありがとう」という感謝の言葉もそれに当てはまると思います。
それは、自分は誰かの役に立てたという実感を「教えてもらう」ことが出来たと同時に求められることを教えてもらえたと捉えています。
しかし、例えとして出したお手伝いの内容が生涯を通じてやりたいことになるかは不明です。

誰にどこで教えてもらうかは重要です。

やりたいこと=好きなことである場合など、その好きなことに興味の無い誰かにアドバイスを求めたり、関係の無いグループに属したところで、当然適切な意見も聞けずスキルアップも望めないし、感謝もされません。
その場にいることは正しい努力の継続にはならず、やりたいことから離れてしまうことになってしまうこともあると思います。

だからといって、せっかく出来た人間関係を断捨離する必要はなく、そこにいることが心地よいのであれば気持ちを切り替える場所として、ちょっとだけ距離を置くだけ程度では良いのではないでしょうか。
何でもかんでも、用が無くなったからと言って断捨離する必要はないと思います。

好きなことで誰かの求めていることが見つかったのなら、適切な誰かを師事しそれを行っているグループに属することが正しい努力の継続につながると思います。

さて、やりたいことがわからないという場合はどうしたら良いのか。

私もそれを考えるには遅いと思われる良い年齢ですが、同じような方は沢山おられるでしょう。

現在、私はウェブデザイナーが生業です。
ウェブデザインが好きなことかと言われるとかなり疑問ですが、幼い頃から絵を描くことや工作が好きなことが起因なのではと感じています。

子供の頃にチラシの裏、ノートやその余白に描いたり、工作で家族や先生友人に褒められていた記憶が少しあります。

褒められたというのは、望まれた、求められたと思いました。
その微細な記憶と刷り込みが、私に絵を描くことの延長上にあると考えたデザインという仕事を選ばせたのではないかと思っています。

ところが自分で言うのも恥ずかしいのですが、その後の継続がうまくいきませんでした。
あのとき続けていればよかった思うことがあります。

それはさておき、前述にCのケースが一番多いのでは無いかと仮定しました。
ということであれば、やりたいことがわからないのであれば他人に聞いてみてはいかがでしょうか。
その人が求めていることがわかるはずです。
その求められていることをとにかくやってみてはいかがでしょうか。
その人にありがとうと感謝されるはずです。
感謝されたときに、自分の中でどう感じたかで続けるかやめるか判断してはいかがでしょうか。
それは自分の経験となりスペシャリストへの第一歩になるはずです。

やるべきこと

自分以外の誰かから求められる自分のできることがわかって、やりたいことになったのなら、それはその人のやるべきことなのだと思います。

やりたいことがわからなくなっていると、なんのために生まれてーとか、なんのために居るのかーとか、自分の存在意義に疑問を感じてしまう人も居ると思います。
私もそう考えることがしばしばあります。

自分を取り巻く環境や事象に、なぜ、なに、なんでと好奇心や探究心を巡らせることは良いことですが、時折間違った方向に考えすぎて自己否定してしまうこともあるのではないでしょうか。
間違った方向に考え出したなと感じたら、自分だけで悶々とせずに身近な誰かに尋ねるのも一つの方法だとなのだと思います。

他者からもらえる客観的な視点の言葉で、難しく考えすぎていた思考の糸もすっと解けることは多いです。
しかし、その言葉もあせりすぎて聞き逃してしまったり、聞くことが出来ても気持ちに余裕がないと反発してしまうことがあるので私は人の言葉を聞く余裕を持つようにしたいと考えています。

合わせて言うと、人から求められることはその時々で変化して、自分のやるべきことから外れることもあります。
自分のできることを応用力を持って、その時代、その場所に適応するようにする、ひたむきな勤勉さも必要でしょう。
勉強しつづけることは大変ですけど。

まとめ

ここまで参考サイトと私の経験と所感で長々と綴りました。
無責任なことを言うようで気が引けますが、ここまで書いても一部の意見です。
全ての人に当てはまることではないでしょう。

私も含めてやりたいこと探しに躍起になって、本質が見えてこないとただ時間が経過していきます。
時間を使うなら正しい努力の積み重ねを行いたいものです。

参考させていただいたページ




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