こんにちは、サイエンスとセラピーをやってる変わり者、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。

 

4月くらいから記事を書き溜めて3日おきに公開するという方式でやってきましたが、ここへきて本業のほうが激務になり、記事のストックを使い果たしそうです。やばいやばい。

 

ニコラス・ウェイド氏のコロナウイルスの起源の記事は面白いので続けたいのですが、そこまで時間が取れませんから、ちょっとしばらくは軽い感じの記事でお茶を濁そうと思います。お茶

 

ずっと、追跡してきたKさんのシリーズ、これはさらにまた続きがあるのですが、これも時間のたっぷりあるときにじっくり扱いたいと思います。

 

後は、ハイヤーセルフとの対談シリーズで、グループチャネリングセッションの内容が二人分残ってます。

 

というわけで当分のネタはあるのですが、書く時間と体力のほうが難しい。

 

 

 

今日はこの話をしましょう。

 

約束された場所で」という村上春樹のノンフィクションを知人に薦められて読んでみましたが、すごく興味深かったです。

 

 

この知人がなぜこの本を薦めてきたかというと、その人がロックダウンの長期化で欝気味だ、とたびたび言ってくるもので、解決法を知っているのに黙っているのも意地悪な気がしてくるので、「実は〜」とセラピストとしての正体を明かしたのです。

 

「もし、キツかったらたぶん力になれますよ。自分で言うのもなんですが、片手間でやっている割には、腕はけっこう確かだと思います」と。

 

それで、「受ける気はないけど一体どんなことしてるの?」っていう話に当然なり、全然予備知識のない人に私のやっているセラピーがどういうものだかという話をすることになったのですが、これが超難しい。

 

 

そして私の話を聞いてその人が連想したのが、「オウム真理教」だったわけです。言わずもがな、1995年に地下鉄サリン事件を起こして14人を無差別殺人した宗教団体です。今では宗教団体としての名前は変わっています。

 

約束された場所で」というのは、村上春樹が、オウム真理教の信者や、元信者にインタビューしたものを集めた本です。

 

読んでみて思ったのは、なるほど、これは知らない人から見たら、まったく同じに見えても不思議ではないな、と思いました。

 

私も、仏教的な考え方の影響を受けてますし、煩悩がどうの、とかよく言います。

 

気のエネルギーがどうのこうの、なんていうのは、まさに同類ですな。

 

そういう意味で非常に紛らわしいくらい似ている反面、いやー、こりゃあ違うなあ、という部分もいっぱいあるわけです。

 

どこが違うと思ったか。

 

 

第一は、グルへの絶対帰依、ですね。

 

御存知の通り、オウム真理教では麻原彰晃への絶対帰依というのが言われてたようです。

これがあったからこそ、狂気の犯罪にまでエスカレートしたのだと思います。

 

キネシオロジーをやっている私からすると、このように(偉い人であれ)他人に全部預けてしまうという態度は、自分で選択する、という性質を持つ任脈(体の正面の正中線を上行する経絡)のエネルギーの乱れ、に他なりません。非常に不快な状態ですね。自分で選択する、という任脈のエネルギーは、生きていく上でとても大事という認識なので(体の正面の正中線という位置からもそうですが、任脈というのは14経絡の中でも親玉的な位置づけです)、教祖への絶対帰依というのは相容れない考え方です。

 

私は、田仲真治さんのブレインアップデートで学ばせていただきましたが、その当時から「田仲真治先生」と呼ばすに、田仲真治さん、と呼んでいるのは、彼を崇拝しないように、という個人的な判断によるもので、真治さんもそれでOKとしてくださってます。ちなみに日本の大学で働いているときも、研究室の中では自分のことを「先生」で呼ぶのはやめて、と大学院生にお願いしてました。

 

本の中には、信者の人の声として、自分で決めなくてよいのがラクだ、というような意見がチラホラ出てきますが、これは危険サインですね。村上春樹もたびたびインタビューの中で懸念を表明していますが。

 

 

もうひとつの側面は、グルへの絶対帰依というのが、絶対的な上下関係である、ということですね。

 

御存知の通り、このブログでは毎回毎回、二元性の極性をいかに超えていくか、という話を繰り返しています。人間の階層的な上下関係、というのは、上、下、という明らかな二元性です。

 

ですので、現実的な必要性は認めていますけども、できればそんなもん取っ払ってしまいたい、というのが本音です。

 

教団内部では麻原の絶対的な地位のほかに、幹部が祭り上げられる傾向もあったようです。上下関係で統率しよう、というのは、どこの宗教団体でもやっていることなので、何が悪いんだ、と思われるかもしれませんが、人間臭い統治システムだなと思います。我々のエゴは「エラい」とか言われるのが大好きです。上下関係の上に君臨して、このエゴの増大の影響を受けない、というのは、不可能とは言いませんがけっこう難しいと思います。

 

 

どうも教団内部での考え方としては、「私は低レベルでエゴの塊であるのに対して、教祖は悟りに達した方である。ゆえに、エゴの塊である自分を放棄して、覚者である教祖に帰依するのが悟りに至る近道だ」というのがあったんではないかと思います。

 

そういう論理で、明らかに普通の人ではない雰囲気の麻原彰晃を知ると、コロッと納得してしまう人もたくさんいたのでしょう、きっと。

 

でも、結果を見ると、エゴの側のほうがはるかにウワテで、こうやって自分のエゴを捨てたつもりが、集団的エゴ(といってもどうも幹部たちだけで一般の信者にはほとんど知らされてなかったようです)の暴走に至っていますね。

 

 

私もキネシオロジーの覚えたての頃に、どうしようもないエゴの増大、暴走というのを一旦経験しています。それもやはり似ていて、キネシオロジーを知ったことでエゴを超えていく、という考えが、もう既に周りを見下す、エゴの増大の始まりになっていたという感じです。とても危ないですよ。

 

エゴは上下関係とか大好き、ということは覚えておきましょう。

 

 

続きます。

 

 

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