いやいやいやいや、4月からずっと3週間ぶんの記事のストックをキープしていたのですが、6月から7月上旬の仕事(研究のほう)の締め切りで新しい記事を書く時間もエネルギーも無くなり、全部使い果たしました。絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。

 

11日の日曜日はなかなか印象的な日でした。

 

昼間はウィンブルドンの男子シングルズ決勝で、ジョコビッチが今年3つ目のグランドスラム優勝を果たしました。9月のUSオープンでの年間グランドスラムの偉業達成にあとひとつと迫り、またグランドスラムの優勝回数で、フェデラーとナダルと20勝ずつで3人が並ぶという、非常に面白いことが起こりました。

 

 

そして夜8時からは、ウィンブルドンから北の方にあるウェンブリースタジアムで、サッカーのEURO 2020 (昨年開催予定だったが延期された)の決勝戦が、地元イングランド対イタリアで行なわれました。

 

これほどスポーツイベントが目白押しなのも、滅多にないですが、もうすぐ東京五輪もありますね。

 

 

私はフットボール(サッカー)は日頃全然興味ないのですが、決勝進出は何十年ぶりということでイングランドの応援機運は非常に高まっており、イギリス人たちと一緒に観戦して、イングランドを応援しました。

 

 

試合開始2分でイングランドが先制ゴールを決めました。

 

ハーフタイムにはイギリス各地でこのゴールの瞬間の人々の歓喜の反応が流れていましたが、もうすさまじいはしゃぎよう。同時にイタリア人たちの沈鬱な表情。
 
ところが後半イタリアの猛攻にあって、1点返されてしまいます。このときのイタリア人たちの喜びようと、そしてイギリス人の悲痛な表情。
 
延長では点が入らず、PK戦へ。
 
先にイタリアの2人目のPKが止められて、イタリア人たちの悲鳴と、イギリス人の大歓声。
 
ところが、イングランドの3人目もPK失敗して、これで同点に。
 
イングランドの4人目は、裏をかいて、キーパーのタイミングを外すことに成功したものの、肝心のキックがそれてボールが外へ。
 
イタリアの5人目をイングランドのキーパーが阻止して、また同点に。イングランド大歓声。
 
そしてイングランドの5人目のPKがキーパーに止められて、イタリアの勝利。
 
 
と、こういう試合だったのですが、ともかくこの人々の喜びようと悲しみよう。
 
まさに二元性
 
四角いところへ、丸いものが飛んで行って、それが入ったか、入ってないか、というだけであって、たかがボール遊びのはずなのに、スタジアムだけで数万人、中継を見ている人ならおそらく何千万人という人が喜んだり悲しんだりしているのが、私にはとっても不思議でw
 
たぶん、UFOに乗ってきた宇宙人があの決勝戦を見たら、私と同じような感想になるんじゃないでしょうか。
 
 
そもそもサッカーなんかしなければ喜ぶことも悲しむこともないわけです。
 
それがあれだけ喜んだり悲しんだりする、っていうことは、チームの勝敗というものに、それぞれのエゴがペタっと引っ付いてしまっているでしょうね。自己同一化。
 
こうやって何かに引っ付いてしまって、それにこだわることで感情が動くわけです。
 
私のように、ただのボール遊びじゃないの、ってシラけたこと言ってると、ある意味なんともないわけです。
 
 
おいおい、そんなの全然つまんないじゃないか、と言われるかもしれませんが、試合の雰囲気はそれでも結構楽しんでたんですよ。でも、イングランドが負けたからって落ち込む気はサラサラない。
 
ま、今回のそれは、私が日本人であってイギリス人じゃないから、でもありますが、サッカーW杯での日本代表の敗戦も大勢で集まって観戦したこともあります。
 
そのときも途中のゴールだなんだを大声で応援してめっちゃめちゃに楽しみましたが、「負けたからって、別に途中の楽しみが減るわけじゃなし」と思って、「ああ、楽しかった」と満足して帰ろうと思ったら、すぐ目の前に本気で敗戦のショックで落ち込んでいる友人がいたりして、そのときも、あれまあと驚いたものです。
 
 
スポーツの勝敗って、退屈だからわざと二元性を創り出して、そのルールの中で一生懸命やって競い合い、興奮するっていうゲームなんだと思います。
 
そもそも、この宇宙が作られたのも、「宇宙意識があまりにも退屈だったから」、という説が、スピリチュアル方面では有力です(バシャールとかそういうこと言ってます)。
 
そういう意味では、せっかくなんだから、二元性を味わって面白がるべきだと思うんですが。
 
だからといって、所詮ゲームなんだから、そんなことで真剣に落ち込んだらバカバカしくないですか?って思ってしまう。
 
 
優勝の喜びと、準優勝の落胆、って、ゼロサムゲームになっていて、両方を全部足したら両陣営で完璧にバランスが取れて0になっているのでしょう。
 
イタリア応援団の大歓声は、イギリス応援団から「喜び」を奪って、それがイタリア応援団側に移動したから、というように見えました。
 
試合中、点が入るたびに何度も、それが行ったり来たりしていましたね。
 
まさに二元性の振り子。
 
 
二元性ならではでのドラマを思いっきり楽しんで、いざとなれば、ただのゲームだし、っていうのは駄目ですかね?
 
ゲームと言っても、たとえば、スーパーマリオをやるときは皆さんそれを普通にやっているんだと思うのですが。マリオカートで負けてマジギレしたらちょっと引きませんか?
 
 
あとそうそう、二元性の統合で得られる状態って、決勝戦で勝ったチームの喜びが味わえる、というのとは違うんですよ。なんかとっても強烈な幸福感、っていうより、静けさです。
 
 

よければ「いいね!」やコメント欄へのご感想をお願いします。

  • 私、絶學無憂は、テキストチャットと遠隔レイキによる手軽な感情解放セッションをココナラで受け付けています。
  • Zoomを使った、本当に使えるレイキのオンライン個人講座も開いております。ココナラでのセッションでやっているのと同じ技術を伝授いたします。zetsugaku.muyu アットマーク gmail.com までもしくは Facebook でご相談ください。
  • その他、込み入ったご相談がおありの方は、Zoomでのオンライン個人セッションも受け付けていますので、zetsugaku.muyu アットマーク gmail.com まで、もしくは Facebook でご相談ください。