2021年11月04日
父が退院してからの母
母は統合失調症ですが、父の退院から毎日頑張って父をみていました。
病院では、もうする治療がないと退院させられます。
当然のことなのでしょうが、素人の私たちが、父がつけているいろうなどのケアをしなければなりません。
私は驚きましたが、母は、「私がやる」と言いました。
正直「ええっ」となりましたが、母は真面目でした。
それからの母は、統合失調症ではないかのように、父の面倒を見ていたのです。
そんな母を見て
「こんなに動ける人だったんだ〜」と思いました。
もちろん、母の食べるものは私が朝用意して仕事へ行きましたが、その時の母は精神疾患ではない人のようでした。
そのかわり、母は夜早い時間に眠くなり、一晩中いびきをしている状態。
本当に疲れたんだなーと思ったものです。
私は夜家に帰り、ご飯を作ってみんなが食べたら片付けをして寝ます。
母は20時くらいに寝ます。
そのあと、父は癌のある首あたりが辛いのでマッサージして欲しいと、夜中によく私を呼びました。
足もだるいようで、毎晩父の足をマッサージしていました。
そのあと朝まで眠れないという日が続き、今考えると、よくもってたなーと思います。
期間にすると、やく2週間。
若かったこともあり、体力的に問題ありませんでした。
退院していましたが、父の体調はもう良くならないことは、私自身当時もう知っていました。
病院で告げられていたのだったと記憶しています。
父が退院して数日経ち、家の匂いは、結構きつくなってきていました。
でも、奇跡起きないかな〜とも思っていました。
母は、父が死ぬわけないと信じていました。
いろうを2つつけて、痛い部分もあり、体中だるい状態は、父にとって本当に辛かったと思います。
母も大変だったでしょう。
今考えると、みんな本当に頑張っていた
と思います。
病院では、もうする治療がないと退院させられます。
当然のことなのでしょうが、素人の私たちが、父がつけているいろうなどのケアをしなければなりません。
私は驚きましたが、母は、「私がやる」と言いました。
正直「ええっ」となりましたが、母は真面目でした。
それからの母は、統合失調症ではないかのように、父の面倒を見ていたのです。
そんな母を見て
「こんなに動ける人だったんだ〜」と思いました。
もちろん、母の食べるものは私が朝用意して仕事へ行きましたが、その時の母は精神疾患ではない人のようでした。
そのかわり、母は夜早い時間に眠くなり、一晩中いびきをしている状態。
本当に疲れたんだなーと思ったものです。
私は夜家に帰り、ご飯を作ってみんなが食べたら片付けをして寝ます。
母は20時くらいに寝ます。
そのあと、父は癌のある首あたりが辛いのでマッサージして欲しいと、夜中によく私を呼びました。
足もだるいようで、毎晩父の足をマッサージしていました。
そのあと朝まで眠れないという日が続き、今考えると、よくもってたなーと思います。
期間にすると、やく2週間。
若かったこともあり、体力的に問題ありませんでした。
退院していましたが、父の体調はもう良くならないことは、私自身当時もう知っていました。
病院で告げられていたのだったと記憶しています。
父が退院して数日経ち、家の匂いは、結構きつくなってきていました。
でも、奇跡起きないかな〜とも思っていました。
母は、父が死ぬわけないと信じていました。
いろうを2つつけて、痛い部分もあり、体中だるい状態は、父にとって本当に辛かったと思います。
母も大変だったでしょう。
今考えると、みんな本当に頑張っていた
と思います。
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