どんな職業でもそうですが、自分は現職に向いていないなと思う時があります。
今日は「私は保育士に向いていないな」と切実に思った瞬間を、実体験をまじえてお話したいと思います。
みなさんは
「保育士に向いていな」と思うのはどんな時ですか?
私は以下の二つに遭遇した時です。
①保育園で事故やトラブルがあった。そこに自分も関係していた。
②自身の子育てで、我が子がまったく言うことを聞かない。または子育てそのものに悩みや葛藤がある。
まず①について
自分の保育中に事故があると、まず明らかにすべきなのが原因です。
その時いた保育士達で話し合い、上司に報告し、説明。
で、話し合って原因がわかると、次に後悔の嵐がやってきます。
そして一通り後悔しまくった後、自己嫌悪に陥ります。
そして今度は他者の自分を見る目が気になってきます。
当然、マイナスのイメージです。
私はとかくネガティブに考えやすいタイプなので、気持ちが落ちる↓↓↓のは簡単。
普段はそうでもないのですが、こういう事故やトラブルに遭遇すると、必ず落ちます↓
けっこう落ちます↓↓↓↓
トラブルの原因は色々あって、色々な人が複雑に絡み合って、自分自身だけの問題ではないこともあるし、本当に自分のミスで事故が起きてしまうこともあります。
「あの時ああすればよかった」「こうすればよかった」などと思い、とにかく過去に戻りたくてしょうがなくなりますよね。
とにかく自分の判断ミスが悔やまれます。
そしてついには
私には事故を防ぎきる力はない、つまりその程度の能力しかなくて、実は保育士に向いていないんじゃ、、と思い至るわけです。
「あの人の担当するクラスって事故が多いよね」
、、、なんて言われた日には、、、、!
次に②についてです。
保育士だってただの一人の人間。
絶対的に子供に対し神対応できるわけでもない。
そんな人もいるかもしれませんが、大体の人は普通のママと変わりない子育てをしていると思います。
同じ悩みを持ち、日々試行錯誤して戦っています。
普通のママと違うのは、とにかく色々なタイプの子供をたくさん見ていること。そして対応した経験があること。
でも見ているから、経験しているからと言って、我が子がどのタイプに当てはまるかもわからないし、保育園児は保育士に対し一線を引いて接することを知っているので、お互いに割り切った関係が保てて、柔軟に押したり引いたりすることができます。
でも我が子となるとそうはいかない。
親としての責任があるから、必要以上に指導に熱が入ってしまうし、子供も全力でぶつかってくる。
結局、普通のママと同じような悩みを持っているということになります。
実際に、私自身の子育てでは、とにかく元気で我がままでキレやすい三兄弟に対し、悩みはいつでも、いくらでも、尽きません、、、。
例えば保育園の送迎で我が子がぐずってしまい、泣いたままのひどい状態で、半ば丸投げな感じで先生に託したり、お迎えの時に担任の先生が「○○くん最近ちょっと荒れてますね、、、」などと我が子の保育園生活でのかなりアレな様子を聞いた時なんかは、そりゃもう落ち込みます。
長男は外ではかなりいい子だったので先生から問題児発言される経験はなかったのですが、次男・三男に至っては、次男はとにかく頑固、三男はとにかく自由、って意味で「すみません」って謝ること多し。
運動会・学芸会なんかは当然、拗ねたり甘えたりでろくに発表できず、衣装も着ないor投げ捨てる的な、クラスに必ず一人いるアレな存在です。
で、こんな時にいつも思うのが、
保育士なのに、なんで上手に子育てできないんだろうってこと。
恥も外聞もあるので、保育士というレッテルを自分に貼って、身動きが取れない時があります。
こんな時、「保育士にならなきゃよかったかな、、」とも思うのです。
以上の二つが
私が「保育士に向いてない」と思う瞬間。
ミスで事故を起こしてしまった時は、次またいつ事故が起こるかわからない恐怖に駆られて、前に進めない時もあります。
でも、重大な事故につながらなかった奇跡にひたすら感謝し、自分のミスを十分に認め、他者の事を気にせず、同じ間違いを二度と起こさないように、ただひたすら注意すること。
これができれば
まだ保育士をやっててよい
と思うのです。
そして我が子と保育園児の子育ては違う
と思う(い込む)ことも大事。
仕事で得た経験を生かすのはもちろん大切で、ぜひそうしたいところですが、夫との関係や体調、時間やお金など色々な問題が私生活にはあります。
そんな中で保育士パワー、いつでも発揮できませんから。
というわけで、子育てで失敗しても落ち込まない、失敗したら次に生かす!それの繰り返し。
ができれば
まだ保育士やっててもよい
と思うのです。
子供の命を預かる保育士は、とても責任ある職業です。
プレッシャーに押しつぶされそうになる時もあります。
でも負けないで頑張っていきたいのです。