こんにちは、らくだです。

 

 

多様性を理解するための

シリーズ3回目。

 

 

※前回記事

 

 

 

 

 

 

多様性とは、

 

人の狭い価値観を取り除いたときに見える

すでに存在している多様な在り方について、

 

理解し、

認め合う状態のことです。

 

 

 

言い換えれば、

 

人間本来の

自由

実現した状態なわけです。

 

 

しかし、

自由とは、なんでもOKかというと、

 

そうではない。

 

 

 

自由には責任がともない

この責任が果たせている前提で初めて

平等で公平で愛あるものになる。

 

 

その責任とは

なにかというと、

 

お互いの安全

保障することでした。

 

 

誰かの自由のために

誰かが犠牲になるのはちがう。

 

だから、

 

お互いの安全が保障された

ルールや秩序といった

枠組みがいるわけです。

 

 

 

 

そして、

今回の記事の話題は、

 

その安全って具体的に

どういうことなのかについて。

 

 

安全を実現するために

具体的に

大原則として

何をすればいいのかというと。

 

 

価値観の押しつけをやめる

 

です。

 

~~ねばならない。

~~あるべき。

~~のが普通。

~~でなきゃいけない。

 

自分の価値観による

要求をやめること。

 

 

 

 

先日、

夜の道を

友人数人と歩いてたときに、

 

 

道路の中央分離帯のところで、

 

 

女装したおじさんが

めちゃめちゃゆっくり歩いてました。

 

 

中央分離帯を歩いてるのに

ザワつきをおぼえましたが、

 

 

よくみると

 

 

わかりやすいロングヘアーのズラを被ったおじさんが

ボディラインがめっちゃ際立つ

キラキラドレスを着て

歩いてました。

 

 

 

 

 

 

A:

あれ、

なかなかヤバくない?

 

 

 

B:

ね、

あそこ歩くかね。

あの歩くスピード、

心が病んでる時のスピードじゃんね。

 

 

 

A:

いや、たしかにそれもそうけど、

そこじゃなくて。



B

え?なに?



C:

女装?

 

 

 

A:

そう。

 

 

B:

あぁーー、

まぁーねー。

でも今は多様性の時代だから。

 

 

D:

いろんな趣味があるし

そういう人もいるって時代よね。

 

 

 

A:

多様性の時代かぁー---。

わたしはちょっと無理かなぁ・・・。

 

人を不快にさせるような趣味はダメじゃない?

 

 

 

 

 

友人Aは

決して悪い人ではないんです。

 

ただ、

友人Aが勘違いしているのは、

 

 

女装のおじさんが

不快感を与えているのではなくて、

 

 

友人Aのなかにある価値観によって、

友人Aが気持ち悪い対象として見ているってだけ。

 

 


 

つまり、

 

女装おじさんが

その人の不快感の原因ではないんです。

 

 

 

 

人間は自分が感じる不快を

たいがいの場合、

 

自分の外側

すなわち

他人がよこしてくるもんだと思っています。

 

 

しかし、

 

それは正確な理解ではなくて、

自分の無意識に刷り込まれている

価値観が反応してしまっているだけ。

 

 

だから、

 

 

根深い原因は

 

不快を感じている

その本人に問題があるんです。

 

本人の気づいてないところで。

ここがまた気の毒ですが。

 

 

 

 

別に、

おじさんがズラをかぶろうが、

ドレスを着ようが、

それで

 

誰かの命を脅かすわけではない。

 

誰かが何かを失うわけでもない。

 

 

だから、

自由にやってもらっても

なんも問題ないんです。

 

 

 

 

私たちは、

自分の無意識に根づいている価値観に反応して、

 

自分の好みでないもの

排除しようとします。

 

 

すると、

 

 

って

勘違いし始めて、

 

 

それを正当化させるために、

 

 

あれこれ

既存の価値観を盾にしたり、

普通」とかいう幻想を持ち出して

排除しようとします。

 

 

 

最悪なのが

 

正義」とか

法律」なんかも

 

自分の都合のいい解釈で

排除するための

武装手段として使う人もいます。

 

 

 

宗教の「神」の意志だっつって

暴力や排除することを正当化してきた

悲しい歴史もあります。

 

 

 

 

これら全部、

 

価値観の押しつけ

です。

 

 

 

 

 

ただ、

価値観は無意識に根付いているもの。

 

なかなか自分でそれに気づくのって難しいわけです。

 

 

そうしたときには、

 

ぜひ、

他人にも、自分にも、

 

問いかけてみましょう。

 

 

それって

命の危険とかないですよね?

 

 

それって、

ただの好みですよね?

 

 

 

 

これでYESという答えなら、

 

価値観の押しつけをやめて、

 

自由を尊重するもの

違う多様性の在り方の一つを認めていくものだと

思っていいでしょう。

 

 

相手にどうこう言いたくなったらやめましょう。

 

自分も誰かにどうこう言われたら

 

それって、あなたに何か問題ありますか?

それって、あなたのただの好みですよね?

 

で防御しましょう。

 

 

 

お互いの安全を保障しあう

ひとつの指標になれば幸いです。

 

 

※ちなみに、

 

たまにだけど、

自分からそこの会社に願って就職して、

仕事したくないから仕事を押しつけないでほしいとか言う

価値観迷子がいますが、

その組織で必要とされるルールや業務は原則しなきゃだめよ。

組織の目的という原則に

自分ルール発動させるのは、他の人の安全もおびやかしますし、

組織として著しく損害と支障が出るからね。

嫌なら辞めましょう。

 

今回は以上です。

 

 

 

 

 

次回は、

 

今の多様性の時代によくある

 

「自分らしさ」

「ありのまま」の生き方の

勘違いについてお伝えします。