こんにちは、らくだです。
インサイヘッドで
心のしくみを学んで、
心が育つプロセス
心が育つ理想的な状態
心を育てるためにはどうすればいいのか
こんなことを学ぼうという
シリーズの8回目。
今回は、
作中で描かれたトンネルについて。
記憶が整理されている脳のなかで
記憶の玉の棚を分けへだつ
塀のようになっていて、
そこには、トンネルがあります。
「危険」という。
でも、もちろん
ストーリーでは、
しっかり中に入っていくのですが、
そうすると、
ヨロコビとカナシミ、ビンボンの形が
どんどん変わっていくんです。
カクカクしたり
バラバラになって
シンプルになっていき
シンプルが進んでいく。
トンネルを抜けると
元に戻るのですが、
ただ見ているだけだと
全然意味がわかりません。
なぜなら、
この後のストーリー展開にも
特に
からんでこないからです。
これはいったいなんなのか。
一般的には、
このトンネルのエリアは
「抽象概念のトンネル」
「抽象概念のエリア」と
言われています。
抽象というと、
物事をより広く一般的に
(実体のない)
概念として
理解されるもの。
つまり
実態がある状態=具体
実態がない状態=抽象
なのであれば、
実態がある状態とは
それぞれが
確かな個々の特別な形として
存在している状態。
ここでは、
登場自分が
それぞれに
形や性格のある
個性のある存在として
認識できます。
それに対して
実態がない状態とは、
どんどん形が
失われていく状態。
個別性がどんどん失われ、
個々の要素が限りなく削ぎ落とされて
シンプルな状態になっていくような感じ。
すると、
具体性があるということは
生き生きとして
魅力を感じる存在としての状態、
でも、
抽象的なものというのは、
誰にとっても
わかりやすいけど、
生命力が乏しく
つまらなくなる
実態を
限りなくもたないもの
になります。
別の例えをするなら
例えば、
人は
感動というものを理解するには
言葉と意味があれば十分で、
感動というものは普段
頭で抽象的な概念(知識)として
知っています。
でも、
真に感動を味わうには
登場人物とストーリーという
具体的な要素が必要で、
登場人物の色々な反応や文脈がストーリーとなり
頭だけでなく
心と体で感動の体験を味わうことができます。
だから、
感動というものは
目に見える形としての実体がなく
あくまで概念であって、
それを真に理解し
体験するなら
具体的な存在(人やもの、ストーリー)が
なければ成立しないわけです。
いかがでしょう。
ということで
まず
このことを描いているのが
この抽象化のトンネル(エリア)
だということが
お分かりいただけだでしょうか。
でも、
そうすると、
じゃあ、なぜ
抽象化することが
危険なのかということになってきます。
もっと言えば、
ここで
入るな!と言っているのに
なぜか
立ち入り禁止とは書いていないんです。
危険なら
立ち入り禁止にすればいいのに
なぜそうしないのか。
これちょっと違和感ないでしょうか?
ちょっと長くなったので、
今回はここまで!
次は、
この「なぜ?」について
解説していきます。