こんにちは、らくだです。
インサイヘッドで
心のしくみを学んで、
心が育つプロセス
心が育つ理想的な状態
心を育てるためにはどうすればいいのか
こんなことを学ぼうという
シリーズの9回目。
前回、
抽象概念のトンネル・エリアでの
描写について考察しました。
今回は、
抽象がなぜ
危険なのか。
ここに触れていきます。
でもそのためには、
もう一度、
抽象概念のトンネルで
起きた変化も踏まえていくと、
分かりやすくなると思うので、
少し復習がてらお付き合いください。
まず、
トンネルに入る前は
それぞれが
具体性・個性(個別の具体的な形)として
存在していましたが、
トンネルに入るにつれ形が
変わっていくのですが、
最初に
形がポリゴン化(多角化)していきます。
これは
具体性の反対にある抽象に向かうために
具体性が失われていくことの始まりを表し
動きや流れが失われいくことを
暗示させます。
動きもカクカクしてましたよね。
なので、
流れるような動きが
なくなっていわけです。
ただ、
これ、
また別の解釈を加えるなら
(ここややこしくなります!)
動きや流れによって作られる
ストーリーが失われ、
全体像のストーリーが
その瞬間の
断片的な「経験」という
一部分に置き換えられる
そうした切り取ったものを
表してもいます。
ここでは、
本来ストーリーとして
ヨロコビとカナシミが
ライリーを救うために
操縦室に戻ろうと
記憶の谷を冒険しているところで
ビンボンと出会い、
その力を借りている
という流れなわけですが、
トンネルに入った途端
なんの脈絡もなく
形が変わり、
なんかピンチになるわけです。
なぜ、ピンチになったか
なんていう文脈がないなかで
このストーリーのなかの
一部の「ピンチ」を
単に「切り取った一部の経験」しているのが
このポリゴン化の表現だとしましょう。
ストーリーは
一部だけ切り取られると
要点(ピンチ)だけが
抜き取られるため
全体像が失われ
断片的なものになってしまうのです。
ね、
めちゃめちゃ
わかりにくいですよねw
別の例えをするなら、
私たちは
感動という
抽象的な概念を知ってますが、
その感動を
真に味わうには
写真よりもストーリー(動画)がのほうが
しっかり体験できますよね?
これは
写真のような一部の断片的な要素が
単独であるよりも
ストーリーの流れのなかにある
苦しみ、悲しみ、痛み、克服、喜び
などの要素が集合したほうが
具体的に感動を味わいやすいんです。
なので、
具体性であるほどに
個性やストーリーが必要であり
具体性から抽象的に向かうほど
味気なく断片的になるんです。
いかがでしょうか?
長くなったので次行きます!
そして次に、
バラバラになります。
これは、
この
切り取った一部の
経験(ピンチ)していた
具体的な存在が、
細かな要素に
分かれることだとしましょう。
ここでの要素とは
ピンチを経験していた存在を
バラバラにすると
例えば、
顔、腕、口、足、感情、思考、・・・
こんな感じ。
そうすると、
①ポリゴン化
断片的に経験していた
「ピンチ」が
②バラバラ
さらに細かく
要素にわかれることで
具体性のなかにある
一般的なもの【抽象】に
さらに近づきます。
そしてここから
さらに、
形が2次元化します。
2次元化
要は、
線や面での
シンプルな形になっているんです。
ここも
少し難しい解釈かもしれませんが、
2次元化とは
2つの側面をもつものと
解釈すると
わかるかもしれません。
例えば
コインには
表があれば裏があるように
物事には
光があれば影がある
プラスがあればマイナスもある
長所(メリット)があれば
短所(デメリット)も。
こんな物事には
要点には
2面性があるんです。
抽象度があがり
概念を理解し
活用するとなると
この2面性のどちらかが
ついて回ります。
そして最後に、
モノであったものが
単なる存在や
概念になります。
ここでいうなら、
ヨロコビやカナシミ
ビンボンは、
存在 や 命
という概念に
置き換わったと考えてもいいかもしれません。
最初
これだけ複雑化していたものが
要素をそぎ落とし、
抽象度を高くすると
こんなにもシンプルになり
存在や命
というような
本質的な要素 = 概念
になってしまう。
形や実態のない
でも
とても重要なものとなると
こんな
表現になるわけです。
で、ですが、
長くなりましたが、
この抽象が
なぜ危険なのか?
なんです。
抽象とは
ものごとの本質に近い
一般的で
普遍的な概念を理解するための
視点なわけですが、
これだけでいったら、
私たちの人生で
生きるために
どうすればいいのか
なにをすればいいのかを
教えてくれる
ものすごく大切な指標にもなります。
なので、
抽象という視点は
絶対必要。
なんですが、
大切であるがゆえに
抽象だけが大事!となると
個をないがしろにする可能性がでてくるんです。
抽象化とは、
また別の言い方をするなら
脳の中で生身の体験を
言葉や理解(概念)に置き換えることになります。
すると、
その生身の体験にあった
個々の意味や
鮮やかさも
生命力も失ってしまう。
だから、
生きることにおいて
概念とは
全体像を理解するのにとても役に立つけど
その全体像を支える
個々の経験をないがしろにすることに近づきます。
たとえば
あなたという存在を
「○○さん」という個でみるのと
「日本人の人」と全体の一部とみるのとでは
愛情や寄り添いの
感覚って全然異なるように。
個々が失われるというのは、
そうした愛情を感じない理解になる可能性があるということで
危険なわけです。
さらに言えば、
概念なんて、
誰が使うか
誰が解釈するかによって
いくらでも変わります。
過去には
女らしさというもので
苦しんだり
排除される女性がいたり
正義というもので
人を殺すのが正当化されたように。
私たちの人生では
自分という個の視点が
出発点。
生身の身体と五感で味わう
個の経験が出発点なんです。
そこを
無視して
抽象化ばかりが先行してしまうと、
個々を見失う
危険な世界になってしまう。
正しさより
優しさがほしいじゃないですか。
だから
危険なんです。
そうすると、
抽象概念が
立ち入り禁止ではなく、
危険となっていたことの
深い理解になることが
わかるでしょうか。
よく、
練られてますよねディズニーって。
僕は、これ
感動ものでした。
ちなみに、
映画では表現としてはここまでですが、
哲学や宗教学では、
この先になにがあるのかということも
説明していて、
もし、
ヨロコビたちが
このトンネルに居続けたら
どうなるかというと、
形として消える
ということになるはず。
なぜかというと、
抽象度をあげればあげるほど、
物事は
普遍的なものに近づきます。
それはつまり、
今も昔も
未来永劫変わらないものへ近づくという
真理的な意味。
すると、
この真理として
ものごとの「普遍的」を理解する
広く知られているのは
仏教でいう
空(くう)
という概念があります。
これは
漢字のまま理解すると
誤解するのですが、
空とは
空っぽで
なくなってしまうという意味ではなく、
本来
全てのものは
ひとつである
という意味なんです。
だから、
先ほどの
もしヨロコビたちが
あのトンネルに居続けたら
形として消える
といったのは、
消えてなくなるということではなく
全ての空間と
同一化するということ
消えるではなく
ひとつの存在として
同化して
境目のない
繋がりの絶えない
より大きな存在に加わってしまい
存在として大きすぎて
見えなくなるということなんです。
いかがでしょうか。
かなり小難しいですが、
このトンネルひとつとっても
めちゃくちゃ
よく練られ
作りこまれ
表現されてることが
理解できると
インサイドヘッド
おもしろさが
より理解できますよね。
でも
実は
この抽象化のトンネルには、
もう一つ
なるほど!
という描かれ方をしているものがあるので、
それを
次回
解説していきます!