やりたい仕事がない時の対処法をジャムの味で考えた。

「やりたい仕事がない…から、高校卒業のタイミングで公務員を受けた。受かったから働いてみたけど、なんか違ったから最近辞めた」

向かいに座っている後輩が、ため息をついた後にビールを飲んで放った一言。で、これからどうするのか、と問えば次のように返答した。

「やりたいことないんだよね」

1.やりたいことがある方が稀

そもそも、現代というのは足りないものを探す方が難しい時代だ。こんなのがあったらいいな、なんてものは誰かが作っているか、もう取り掛かっている。そして、1日や2日で追いつけないほどのその分野の歴史と専門性がある。そんな状態で、やりたいことはありますか。なんて言って仕事を選べる方が頭がおかしい。

多かれ少なかれ、仕事はやれば上達するものであるし、専門性がある。かけた時間に対しての努力していた自分の蓄積というものは、デスクワークか外回りかの二択を間違えなければ大抵のことは時間でなんとかなる。

だとしたら、自分の好きなものを仕事にしようとすること自体が難しいと言わざるをえない。たいていの仕事には就業できるからだ。そんなことをぼんやりと思っていた私は、後輩にたとえ話をした。

例えるならば、パンにつけるジャムを選べるお店で注文をするとしよう。貧乏な人でも、富豪でも注文できるパンだ。しかも、大抵の人間は、このパンを食べている。ジャムの味は4500種類。柑橘系のなかでも甘いものからさわやかなものまで300種類以上ある。さぁ選びなさい。と言われたとする。たしかに、私はデスクワーク(柑橘系)が好きな方だが、正直どのデスクワーク(柑橘系)でも嫌いな味などなく、どれでもいい。

だが、その就職先(お店)はなんと志望理由(ジャム選んだ理由)を明確に説明できないと就職することができない(商品を買うことができない)。

このときの気持ちというのは、なんでもええわ。だと思う。

ここに、好きなものを選びなさいということをいう方がおかしい。だが、稼がねば生きてはけぬと働く。しかしながら、はたしてこのジャムで正解だったのだろうか。などと、考えるのが人間である。だから、正しいジャムを選んだかなどと考えることはない。

そんなたとえ話とすると、後輩はゆっくりと口を開いた。

「それにしては、人生に対してジャムの種類があまりに多すぎる」

2.好きなものを仕事にするより、この仕事で楽しめるかを考える方がよい

「よく3年働くまで辞めるな、という話を聞くじゃん。その仕事がなんたるかがわかるには最低3年かかるものだと」

私は静かにうなずいた。

「どこのだれがそんな適当なことを言っているのか知らないけれど、仮に30歳までに自分の仕事を決めるとする。18歳から働き始めて、12年ある。そのお偉い人の言葉では、ジャムの味が本当においしいかどうかわかるか3年かかるそうだ。これでは4500種類のうち4種類しか味を確かめることができない。あまりに無謀だと思わない?」

後輩のいう事はごもっともだ、あまりに職業の数が多すぎる。しかも同じような仕事であっても、職場の環境や人間関係で仕事の良しあしというのは変わる。そんな状態で仕事を選ぶという事自体、不条理なことだ。という

では、解決策はどうすればいいと思う。

そう問うと、からあげに醤油をかけて一口で食べてから後輩はぼっそと言った。

「ジャムが3種類ならいい。からあげには、塩か醤油かレモンかたれ。マヨネーズ、ケチャップ多くても5種類だから、選べる」

醤油をからあげにかけるという概念がない私にとっては、4択であるものの、後輩の言い分はわかる。

では、いっそ職業をそう考えるのはどうだろう。

世の中仕事はたいして変わらない。デスクワークか外回りか、理系か、文系か。これだけだと思おう。あとは、鉛筆を転がして止まった会社にいけばいい。そう考えるのだ。

 

反論はあるものの、からあげが口に入っているからか黙って聞いている後輩は、のどを鳴らしながら唐揚げをビールで流し込んでいる。

 

自分にあった仕事かどうか、という軸は捨ててその仕事の中で、自分が妥協できるかどうかを軸にする。たのしいと思える部分はあるか、それに尽きる。

仕事で一度、辞めたいほど苦しい仕事があった。新規の業務で新しいチャレンジの業務だった。その業務に詳しい人はおらず、会社のお偉いさんが見切り発車で業務を受注してきた。担当者貧乏くじを引いた。

納期がある仕事にも関わらず、成果が出せずかなり苦しんだが、なんとか納品するころにはその業界や業務に関してかなり詳しくなった。結局、一切興味が無く、貧乏くじだった業務が、会社で私一人しかわからない俗人的な業務にかわり、資格をとり、技術者になり、私が可能だといえば、可能だし、技術的に不可能だといえば不可能だとお偉いさんたちが判断するような状態になった。

そんな状態になったらこっちのもので、いいお客さんの仕事は受けるし、面倒なお客の仕事は受けない。なんだかんだ、自分勝手にできるいい業務になった。

そのとき私は思った。

あの苦しいタイミングでやめていたら、何も得ずに辞めていただろう。ある程度の資格は入手して転職には困らないようなレベルになった。引き抜きの相談もあった。業務の専門性、スキルもあがり、それなりに楽しい業務だと思えている。

つまり、自分にあった仕事を見つけることにリソースを使うより、いまある無難な仕事をどう楽しくするかを考えるほうがはるかに効率的であるという事である。

3.味変はほどほどに

転職が、味編ではあるものの、ある程度職場はガチャであることから、職場関係によって働きやすさが変わってしまうことから、転職を繰り返すことが一般的であるが、相当に厄介に味編をし過ぎると、