カルタゴの平和。

 

いつになったら人間は学習するのか?

・・・あるいは永遠に学習しないのかもしれない。

 

「あれ以来、

 カルタゴ人のために面倒なことになった覚えはないね」

 

民族問題を最終的に解決する方法として、

 

「カルタゴの平和」という慣用句がある。

 

古代世界において地中海の覇権を争った

ローマとカルタゴ。

 

最終的な勝利者となったローマは、

カルタゴの街を徹底的に破壊した。

 

家屋は引き倒され、住民は刃にかけらた。

 

このようなことは古代世界では始終おこっていた。

 

カルタゴが終局的に略奪された時、

その場内にはどのくらいの人がいたのか?

 

5000人である。

 

これ以後、ローマ人はカルタゴの為に

悩まされることはなくなった。

 

民族紛争が起こる究極的な原因は何か?

 

異民族が存在するからである。

 

つまり、

異民族が「存在しなくなれば」平和になるという寸法である。

 

これが世に言う「カルタゴの平和」である。

 

これが過去のことであれば、よかったのだが・・・。

 

 

・・・ガザ地区の人口は推計200万人いるらしい・・・。

 

アメリカの格言。

「いいインディアンは死んでいるインディアンだけだ」

 

 

確かに殲滅作戦を実施すれば、

以後の民族問題を封殺しえる。

 

例えば、インディアにしろ、カルタゴにせよ、

それが成功したら、

文句を言うやつは存在しないわけだから。

 

これで、一件落着ってわけだな。

 

この考え方はわからんわけではないが、

失敗するとトンデモナイことになる・・・。

 

第一次世界大戦終結後、英仏は、

「ドイツ人に支払わせろ」のスローガンの元、

 

1320億金マルクという天文学的な賠償金を要求した。

(日本円に換算しておよそ250兆円)

 

当時は兌換紙幣(金マルクの金は現物の『金』)

での支払いであったため、

 

支払いは事実上不可能。

(金(GOLD)を集められないから)

 

賠償金の皮をかぶってはいるが、

 

その実は、

ドイツ人に良くて奴隷なることを、

悪くすれば、餓死するように強要したのである。

 

そのせいで、不安定化したドイツでは、

ヒトラーが台頭し、

 

「ドイツ生存の戦い」が提唱され、

 

全世界を巻き込む大戦争へと発展した。

(結果、2000万人が命を落とすこととなった)

 

押す力が大きければ、

押し返す力も又大きくなる。

 

基本的な作用、反作用の法則だ。

 

暴力はさらなる暴力の呼び水となって、

それはいつか、濁流、奔流となって全てを押し流す。

 

いつになったら人間は学習するのか?

・・・あるいは永遠に学習しないのかもしれない。

 

PS

西洋史を見ていると、寧ろこの

「カルタゴの平和」こそが彼らの真の望みなのでは?

 

と思える。

 

この感覚は日本人には到底理解できない感覚である。

 

日本にだって政変やら、紛争の類は一杯あった

わけだけど、

 

頭上にはお上。

 

つまり、天皇が存在しており、

 

あくまで臣下同士の争い。

 

っていう体だったので、殲滅作戦を実施する。

 

みたいなとこまでは到底いたらなかった・・・。

 

例えば、源氏と平氏の争いは

幕末まで続いていたくらいで・・・。