「精神の砂漠」に住む人々。

 

ショウペンハウエルは、人の不幸の源泉は、

大別すると2つに別れると言った。

 

一つは、貧困。

もう一つは、退屈。

 

両者が同時に襲ってくることはない。

 

人は、必要が満たされない時、貧困を感じ、

それが、満たされると同時に、退屈を感じる。

 

一般に、なんらかの能力、あるいは、僥倖によって

前者の状態、すなわち「貧困」を脱した人は、

直ちに、後者状態、すなわち「退屈」の段階へと

移行する。

 

そして、「退屈」を脱するために、過剰なこと、

例えば、放蕩や浪費、危険な賭博などを繰り返し、

 

もとの「貧困」の状態に立ち返って漸く、

「退屈」を克服する。

 

これを無限に繰り返しているわけだ。

 

・・・精神的な能力に優れない人々、

つまり、「精神の砂漠」に住む人々は。

 

精神的に優れた人間は、前者に対する対策だけを
講じればそれで結構、必要十分な者である。
 
なぜなら、彼らは「退屈」することがないからだ。
 
彼らはいつも独自の課題を持っており、
それによって時間を潰す。
 
例えば、生き物を観察したり、何か物を作ったり、
外からの刺激を伴わないで、自足していられる時間の
使い方をして「余暇」を過ごす。
 
考えてみると「余暇」というのを、
本当の意味で、「余暇」として過ごせるためには、
 
相当程度の才能が必要であろう。
 
精神的な能力に優れる人に取っては、
有閑な生活とは、「幸福」の現れである一方、
 
そうでない人にとって、有閑さとは、
「不幸」の別名である😁。
 
論語にもある。
 
小人閑居して不善をなす。
 
くだらない人物は、例え有効な余暇があっても、
それを上手に使えない。
 
・・・ろくでも無い事をして、寧ろ、ないくらいが
ましだったような結果を導く。
 
というわけだ。
 
一体、アメリカの「宝くじ」の高額当選者や、
プロスポーツのスーパースターが、その有り余る資産にも
関わらず、破産する人が多いという事実が、
 
何を物語っているか?
 
・・・いや、破産するくらいならまだよろしい。
 
薬物やアルコール、あるいは、スピード狂の末に
どれくらいの人が破綻したことか。
 
よしんば、彼らにそのような能力や、僥倖が
なければ、天寿を全うできたであろうに。
 
彼らは皆、「精神の砂漠」に住む人々である。
 
豪邸に住もうが、美女に取り囲まれようが、
その事実は微塵も揺るがないのである。
 
PS
かつて私は、社会を酷い方向に
導こうとする政治家や政商に、
激しい怒りを感じたものだが、
 
最近では全くそういうことはなくなった。
 
政治家の如き人々は、怒りの感情を感じることも
ないほどの人々である。
 
いい年をして、夜な夜な街に繰り出して飲み歩くか、
あるいは、女のケツを追いかけるしか能のない奴らである😁。
 
彼らは皆、
「精神の砂漠」に住む、哀れな囚人である。
 
例え千金を持ってしても、
精神的な能力を贖うことは出来ず、
 
それが叶わない限りは、過剰を廃した静寂の境地に
は至らない。(不幸でない状態)
 
この結果、永遠に不幸なままである。
 
彼らは生涯、
セネカも、アリストテレスも、
パスカルも、
ショウペンハウエルも、オルテガも、
小室直樹も、論語も、フロムも、フローベルも、
ハックスレーも、
 
なんも読まない😁。
 
だからこそあのような単調極まる生活を、
愚鈍に平然と送れるのである😁。
 
猿の惑星の処世訓。
 
人間が猿に怒りを感じるなどということは、
殆ど不条理なことである。
 
・・・自分に類が及ばぬ限りは。