夏去りて、夫弔う、蜘蛛の寡婦。
秋は、無意識に人の心を悲しくさせる物だ。
特に夏が終わり、冬の訪れにはまだ間がある、
こんな時期は、
私のような凡愚でも、「文学的な気分」に囚われる。
(あくまで気分だけだ、なぜならセンスがないから😁)
今日、こんな光景を見かけた。
我が家の風呂場の窓から、いつも見えていた、
ジョロウグモの夫婦。今日は、夫の姿が見えない。
※ジョロウグモは通常、オスメス一対で巣を形成していいる。
大きい方がメス、小さいほうがオス。
なぜ彼がいないのか?
本当のところはわからないが、
おそらく、彼女に捕食されてしまったのだろう。
一般に、雌が雄を捕食する生物というと、
カマキリが有名だが、
蜘蛛のそうした生物の一つであるそうな。
ここで、「下手な俳句」の一つもひねってみよう。
『夏去りて、夫弔う蜘蛛の寡婦』
ひとりぽつねんと過ごす、秋の空。
(・・・まあ、自分で食べちゃんたんですけどね(多分))
なんでも、ジョロウグモは蜘蛛の中でも
短命な方の種で、冬越しはできないそうである。
(12月前後の寒さでお亡くなりになる)
去るものと、残るものの境界線。
雄の蜘蛛、雌の蜘蛛、そして、それを眺める私。
・・・残るものも又、去るものである。
こうして世は移り変わり、全ては循環する。
秋は、無意識に人の心を悲しくさせる。
PS
人間関係の要諦。
人が、ことさら、
「下手な俳句」などと強調する時、
それは、テレであり、衒いである。
本当は、「すごく出来が良いから褒めてくれ!」という
意思表示ととって差し支えない。
(というか、いいね!を押してください😁
いや、押せ!!)
同様に、「これは、つまらない物ですが」や、
「これは、手前味噌ですが」という前置きがついたら、
ハッキリ言って、相当の自信作を持ってきてます😁。
「謙譲」ですから、
絶対に額面通り受け取ってはいけません😁。
「これは、つまらない物ですが」
という場合の、「つまらない物」の用法は、
「本当につまらない物」という意味ではなく、
「あなたに、釣り合う素晴らしい品」など
この世界にはありませんが、という最大限の謙譲語である。
(つまり、贈り物としては最上の物である)
「これは、つまらない物ですが」の意味を、
「正しく表す表現」が英語や、北京語に存在するのか?
(機械翻訳だと、「This is a boring thing」
「これは退屈なことです」となり、意味が通らない😁
北京語も同様の意「这是一件无聊的事情」)
興味のある疑問である。
いや、そもそも「謙譲」という概念自体、
存在するのだろうか・・・?
とても興味のある疑問である。
日本人は基本的に謙譲の概念が好きである。
(もとい、私は好きである)
人は自分の理解できないことを軽蔑する。
(アーサー・C・ドイル)
謙譲の概念を理解しないやつとは、
基本的に付き合いたくない😁。