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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

K小児科医院の忘れられぬ人たち

 

この頃1日おきに不眠になって、昨夜も2時間くらいしか寝ていません。まあ、横になって眼と身体と脳を休めているので、また次の日は眠れるかと思うのですが。だからちょっとデエビゴを飲む気がしません。

 

そのかわりに頭痛がするから毎日カロナールは飲んでいます。カロナールの存在を忘れるほど頭痛と縁がない時期もあったんだけどな…。

 

まあ、本当にいろいろ変化しますね。

 

 

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小児科で医療事務

 

1980年代前半。私は在宅で学んで医療事務の資格を取りました。せっかくなので、地方のミニコミに出ていた内科の求人に応募。面接においでと言われていったら「あなたのような人は僕の姉がやっている小児科医院にむいていると思う」と言われ、そのO先生の紹介でK先生ご夫妻のもとに勤務することになりました。

 

K先生はご夫妻で別の場所に開院されていたので、日ごろはうちから遠くないK(女性)先生のもとに通いました。医療事務は毎月10日くらいの仕事です。合間には診療助手や窓口業務などの仕事も挟みます。

 

まあ、小児科なので、にぎやかでしたがすぐに慣れました。お子さんの受診がメインで、お母さんやお父さん、おじいちゃんおばあちゃんもついでに。みんなが風邪を引いたら家族中で治さないと治りませんから。小児科と内科ですね。

 

毎朝掃除をして、使い捨てでない大きな注射器(ガラス製)や舌圧子やガーゼなどの消毒をしていました。

 

予防接種の手伝いもしたし、いろんな病気も耳学問で「そうか、こういう症状が出たときはこういう病気の可能性もあるんやな」と、並行して手書きのカルテを見ながらレセプトを書いているわけで、やっぱり検査項目なども含めて実地勉強になりますよね。

 

 

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面白い体験なども

 

近所の小さな会社の検診などもやりました。採血くらいの刺激でも人によっては迷走神経反射を起こすんだとこのときに学びました。

 

当時はレントゲンフィルムの現像も手動でしたので大変でした。水が冷たいと綺麗に感光しないとかあって。

 

 

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スタッフさんたち

 

スタッフのひとりに大変気さくでフットワークの軽いYさんがいらして、80歳を超えた常連のおばあちゃんから電話があって、「あのな。行こうと思てたけど、腰が痛うてな。どうしよ?薬がないねん」「あー、かまへん、かまへん。私が放り込んだる」と。

 

おばあちゃんも頑張って来られるんですけど、わりと距離があって、歩くのはしんどいこともあるし。さらにYさんの都合が悪いこともあるし。「あ。私行きます。お昼の帰りに自転車で寄ります」個人医院だからこのへん気楽(^^;) そういうこともたまにやっていました。

 

Yさんは特に資格はお持ちでなかったですが、その人当たりのよさと行動力から皆に好かれておられました。

 

あと、看護師のTさん、この方もおだやかないい方でした。確か私の母と同い年だったと思います。このかたが「私の甥のお嫁さんに」と言ってくださったんですが「甥御さん、どちらにお住まいですか?」とお聞きすると九州だということで。当時、私はまだパニック障害が治っていなくて、毎月のレセプト提出も具合が悪いとこっそり母に電話して同行してもらいました。安定剤なんで……。

 

もとより結婚する気もなかったし、無理な話ではあったんですが、でも気持ちは嬉しかったです(^^;) まだ当時は「お姉さん」の部類だったのにね(^^;)

 

 

 

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思い出す患者さんたち

 

当時の患者さんの中で、やはり覚えているのは大人の方ですね。

 

娘夫婦が交通事故で亡くなられて、おばあちゃんも先に病死。ひとりでお孫さんを育てておられるおじいちゃんがおられました。このかたも80代だったかな。痩せていて歩くのも大変そうで、いつも大丈夫かな?と思っていました。カルテには肺ガンの文字があって、数年経っていての経過観察みたいな通院でした。

 

数年後、「なかなかここまで来れんかった」とその方が来られたんですが、すでに衰弱がひどくてベッドから起きられない状態でした。それでもう、入院の手配ですが、その時のお孫さんは高校生くらいかな?孫をひとり残すのがとても心配だったろうと思います。

 

その方が再び元気になられることはありませんでした。あの時のお孫さん、お元気なら働き盛りの50代かもう少し上でしょうか?どうしておられるか、ときどきふと思い出します。ちゃんと成人して幸せな家庭を築いておられると嬉しいのですが。10代で家族に死別する運命もあるんだなあ。

 

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無念だったと思う(ノ_・、)

 

逆に若くして病に倒れるケース。受診された女子大生を思い出した。まだ20歳前の若い女性。九州の島嶼から京都の大学に来られたばかり。体調不良で検査結果をみた先生は「大病院への紹介状を書くからご両親と一緒に受診してください」と。ご両親もさぞ驚かれたと思う。九州から駆けつけて来られた。

 

女子大生ご両親と大病院に行かれた。「可哀想に…」という先生のつぶやきでほぼ深刻さが察せられた。勉学のために京都へはるばる来たばかり。まだ20歳にもならなくて。私は命に関わる病気ではなかったがやはり闘病中にだったな、と思うと涙が出てきた。人の命と運命はどこで断ち切られるかわからない。

 

彼女のその後はわからない。ご両親と故郷に帰れたか…。そうだとしても半端な失意ではなかったと思う。やっとこれから夢が形になろうとするその時に。

 

もしかするとその病も40年後の現在では死病ではなくなっている可能性もある。それこそが医療の進歩の恩恵だと思うけど。

 

 

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だから当たり前ではないこと

 

健康が当たり前ではないと幾度も思い知らされるからこそ、その大切さを幾度でも噛み締めるのだ。手持ちのカードでいかに生きるか?真剣なテーマでもある。

 

生まれつき弱かった私がなんとかここまで生きてこれたのも医療のおかげ。小児科勤務のあいだにも少なからぬ人の生死と出会って運命の不思議も感じた。どちらかに偏るのは不自然。多くの人の死を経験するのは私の運命らしい。常に思考せよ、との課題だと思う。

 

大正生まれだった先生ご夫妻はすでにこの世の人ではない。私の両親もあちらに行ってしまった。こういうふうにあちらの世界に知り合いが増えていって「そろそろ来る?」と言われたら、その時は河を軽く飛び越えてレイヤーを移動するのかな?と思う。

 

ある程度の年齢になるとあちらの知り合いが増える、というのがきっかけになるのかもね、と思う(^^;)

 

 

 

 

(この下書きをしている時に音が消えていました。信号機の音などもろもろ。ちょっと違う位相にいるのかも、と感じてたことを告白します。あれ?と思ってわざわざ見に行きました。車も走ってるし、保育園の子供も遊んでるけど、私の耳が聞こえない??……で、文章書き終えたら音が戻ってきました)

 

 

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