MBC野球発信局-袖番号96 伊東勉のページ。

17年9月から移籍。こちらでは社会人野球など野球中心の記述をします。

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トヨタ自東は大会初勝利も予選リーグ敗退。優勝は劇的サヨナラ本塁打の鷺宮製作所─東京スポニチ大会【社会人野球2025】

 社会人野球のスタートかつJABA地方大会で最大規模の東京スポニチ大会が3月8日から11日まで神宮球場大田スタジアム、等々力球場の三会場で16チームの参加で行われました。東北からは金ケ崎町のトヨタ自動車東日本が参加。一球速報ホームページ(baseball.omyutech.com)情報を元に試合結果の感想を記します。

▽3月8日・等々力

  トヨタ自東 3─1 茨城トヨペット

 2度目の参加となったトヨタの初戦の相手は、昨年北関東地区で都市対抗本大会出場まであと一歩と迫った茨城トヨペット。勝てる投手左のエースを先発させたトヨタは、三回裏に二死満塁から3番打者の二塁打で2点を先制。中盤に茨城トヨペット打線もトヨタ左のエースをとらえるようになるが得点は許さず奮戦。トヨタ攻撃陣は八回に6番打者の適時打で追加点。茨城トヨペットは八回についに1点を初得点をあげたが及ばず。トヨタ投手は完投。大会勝利をあげた。

▽3月9日・神宮球場

  トヨタ自東 0─3 NTT西日本

 トヨタは投手陣のなかで成長が望まれる選手が先発したが、近畿の強豪NTT西日本はニ回に犠牲フライで先制、五、六回はトヨタ守備陣の乱れを突かれて1点ずつ失った。守備陣は踏んばったが、攻撃陣が1安打6出塁に抑え込まれ、得点を奪う機会を作れなかった。

▽3月10日・神宮球場

  トヨタ自東 7─12 JR東日本

 この日もJR東日本に3本塁打で6失点を食らうなど攻勢を食らっていたが、トヨタは三回裏に1点を返し、四回には連打を浴びせ1点差まで詰め寄った。その後JR東日本が再び強力な攻撃を発揮し突き放すが、トヨタも八回裏に2点返すなど前日示すことができなかった攻撃陣が力を発揮し、ひとつの戦いを終えた。

 

 このブロックでは茨城トヨペットがNTT西日本とも激しいつば競り合いを演じましたが、決勝トーナメント進出はNTT西日本。3月11日の決勝トーナメントには大阪ガス、JFE東日本、鷺宮製作所が進出。鷺宮製作所が劇的なサヨナラ本塁打で初優勝を果たしたという記事がスポーツニッポンに掲載されていました。

 2018年に都市対抗野球本大会に出場したトヨタ自動車東日本でしたが、そこから7年の時が経過し、その際に登録していた選手でプレイヤーとして残ってるのは1人のみ。今年の春も数人新入社員が入りましたが、その選手がいきなり中軸を任されるなど、大谷龍太新監督のもと新しい意気込みで全国進出に向けての一歩目を見ることができました。

 本当なら、これに結果がつけば最高というところですが、このスポニチ大会には一線級の中の一線級のチームが出てきます。それが簡単でないというのも思い知らされた格好。それでもこの場にいた選手がどう成長するか、1人の野球ファンとしては注目して見ておこうと思います。まあ対戦した時は当然以下略

 私の記述は岩手・東北のクラブ大会を中心に書いていくスタイルを取っているので、岩手チーム出場時以外のJABA主要大会を扱うことはないです。色んな社会人野球の書き手がいるので、それぞれにお任せして、私は今年も岩手+青森、山形、今年から山梨の記述をしていこうと考えています。

メモ代り込み、社会人野球記事制作報告(250325Ver.)

 「この記事書いてる暇あったらさっさと書け」思われる方も多いですが、私自身のメモも兼ねているのでお許しください。

▽2025年度岩手県関連社会人野球日程→順番間違えましたがアップしました。

トヨタ自東参加スポニチ大会→こちらも清書し次第アップ。

 私の記事制作では、多くの人が扱う都市対抗本大会、日本選手権本大会、日本選手権対称大会の全面記述はしていません。今回はトヨタ自東が出ていたので記事をあげています。岩手中心に青森、山形、今年からは山梨の記述する+「ブログはもう一つやってる」、ということで、ご容赦いただければと思います。

▽歴史調査・青森→中間報告を2024年春に書きましたが、少しバージョンアップさせたものを出す予定。今図表と枠組みを制作中です。

▽歴史調査・山形→2024年春に制作が間に合わなかったものですが、図表はすでに作りました。あとは文言をどうしようか、というところです。

▽島根挑戦記→作るということははっきりさせていますし、大まかな骨組みは立てていますが、まずは上記2県。最悪4月中という形で記述を進めます(5月は都市対抗準備入る)。

都市対抗野球山梨県予選→今まで岩手県以外でも、血縁のある青森、山形(父が山形出身、実祖父が青森出身)の社会人野球記事を出してきました。山梨には血縁関係ありませんが、少しでも多くの人に気にかけてもらえれば、という趣旨で今年から書きます。

▽岩手の社会人野球について→大体4月10日あたりに都市対抗野球三陸沿岸大会の組み合わせが決まると思います。それ以降は通常体制で。

 

 「もう一つの主題」で「根本的な存在意義に関わる出来事」が起きているのでそちらの方に頭が向いていた部分があり、野球に関してのがお留守になっているのは否めません。それでも必要なことは書き残すということで取り組んでいきいればと考えています。

2025年社会人野球 岩手県関連日程を紹介します。【社会人野球2025】

2025年社会人野球岩手県関連日程一覧

 JABA岩手県連盟HPに出ていた情報より伊東編集

都市対抗野球

岩手県予選 5/10、11(森山、遠野、大迫)17、18(高田松原)、23~25(きたぎんBP、江釣子)岩手から3チームが東北に進出

   ↓↓↓↓↓

・東北予選 6/19~22、27~29(仙台市民、石巻市民)

   ↓↓↓↓↓

・本大会 8/28開幕(東京ドーム)

《日本選手権+関連》

トヨタ自東はスポニチ大会(3/8~ 予選リーグ1勝2敗、終了)、日立大会(4/17~)東北大会(5/9〜)で優勝すれば本大会進出。

・未優勝時とJR盛岡は東北最終予選(10/3〜5、仙台市民、石巻)。

・クラブチームはクラブ野球選手権本大会優勝で本大会進出。

《クラブ野球選手権》

岩手県予選 6/7、8(一戸、葛巻、軽米)、7/5、6(釜石)          

       岩手から3チームが東北に進出

   ↓↓↓↓↓

・東北予選 8/9〜11(あづま、しらさわ)上位3チームが全国に進出

   ↓↓↓↓↓

・本大会 9/13〜17(松山、今治

《東北クラブカップ

岩手県予選 クラブ野球選手権県予選と併催。

       例年であれば準決勝敗退チームプラスαが進出。

   ↓↓↓↓↓

・東北クラブカップ 8/23、24(秋田県開催)

   ↓↓↓↓↓

・北海道東北クラブ交流大会 9/27、28(函館)

《東北連盟会長大会》

・クラブの部岩手県予選 9/6、7、20(花泉、大東、東山、室根/前沢)

   ↓↓↓↓↓

・企業の部、クラブの部本大会 10/18、19(企業高田松原、クラブ宮古

《その他大会》

三陸沿岸クラブ大会 4/26、27(宮古、山田)

福島市長杯     5/3~5(あづま)例年岩手からも1チーム出場

・一関市長旗大会   7/19、20(一関市4球場)

岩手県知事旗大会  8/2、3(洋野)

岩手県定期戦    8/20(きたぎんBP)

北上市長杯     10/11、12(江釣子、森山)

・岩手アマ王座決定戦 10/25、26(花巻)


  すでに終わった大会もありますが、2025年度の大会日程はこのように決まりました。なお、この他に審判研修会、公式記録員・アナウンス研修会、一球速報入力研修会、7月26日にはクラブチーム技術向上研修会が行われます。

 大会の状況に関してそれぞれ雑感を記していきます

都市対抗野球→岩手からは3チームが東北進出。24年度は4月からクラブ予選が行われていましたが、今年は5月第二~第四週を使っての開催となります。岩手県営球場が閉場してからの2年間は森山運動公園、高田松原を決勝戦会場にしていましたが、今年は初めてきたぎんポールパークが決勝トーナメント会場となります。

▽クラブ野球選手権岩手県予選は都市対抗野球二次予選開催時期の影響もあり、ここ数年の「6月下旬に2週間連続で行われてきた」形式から「6月上旬に第1ラウンド→7月上旬に第2ラウンド」の開催となります。

 更に。東北地区からの全国大会出場枠がマイナス1になりました。その1がどこに回るか把握しておりません。

 東北の代表枠については、約10年前に出場枠の見直しが行われた際、当時2枠を保持していた北信越とどちらを減らすかが議題に。在籍チーム数と全国大会での実績をもとに北信越が減ったという履歴があります。それから10年が経過し、福島、宮城、青森で参加チームが減り、南関東や西近畿地区のチーム数増加と比べて参加チーム数の優位を保てなくなったことから削減対象になったものと思われます。

▽その他の大会→この部分では特に変わりなし。北上市長杯では去年から本格的に沿岸地区チームが参加しています(去年は久慈と赤崎)。今年はどこになるか。

 全国を見ると、もうすでに都市対抗野球県予選がスタートしているところもあり、特にインスタグラムではその様子を紹介している記事が次々と現れます。今では技術の発達があり、アプリや編集機能を導入すれば同好会的チームでも優れた宣伝をすることができます。

 岩手県のチームも発信力を強くしているチームは多くなっていますね。それも含めてこの硬式社会人野球という場がにぎわいを見せ、充実した人生をともにできる場であり続けて欲しいと願っております。

 カテゴリ「社会人野球2025」、本格稼働していきます。

 「そういえばスポニチ大会どうなったんですか」

 (・_・|…早く書けるようにします。

「社会人野球岩手県チーム所属の日本代表選出選手」は71年前にも存在してました。

 しばらく前の記事で、トヨタ自動車東日本在籍(2024年度勇退)の望月直也さんが第1号ではないか、という記事を書きましたが、新しい事実を認識したので紹介します。

 先日、古本屋で買うことのできた「韓国野球の源流 玄界灘のフィールドオブドリームス(大島裕史さん著)」を読んでいたところ、1954年に行われたアジア野球選手権の日本代表選手の中に富士鉄釜石─現社名日本製鉄─の小武方信一投手の名前がありました。

 小武方さんは1952年に岩手高校から富士鉄釜石に入社。1954年都市対抗野球本大会では準決勝進出に貢献し、1955年に南海ホークスに入団しますが1956or57年のシーズン途中に退団。帰郷後に岩手高校OBチームの石桜クラブに加わり、社会人野球県大会に野手として出場している様子を新聞記事で見ましたが、その後大きく目立つところで名前を見る部分はなく。それでも全国4強に進ませた力投で岩手野球の一時代を築いたことには違いありません。2009年6月2日に人生を全うしました。

 ということで…「岩手県社会人野球チーム所属の日本代表」第1号は小武方さん、ということになるのでしょうか。それ以外では1934年全日本に参画した久慈次郎さんがいますが、所属チームは北海道・函館太洋倶。他のケースがないか細かいところまで調べきれていませんが、ひとまず小武方さんの件のみ報告しておきます。

250321時点の近況報告です。

1️⃣ 大船渡山林火災も一連の「気忙しい」アクシデントも落ち着きを見せてきました。正直「邪魔になっては悪い」という思いが強すぎて大船渡には誰とも電話連絡をしていません。ここ数年来の人間不信を解消しつつはありますが、こわばりがまだ取れない。「もう一つの主題」の研修でも人間関係のこわばり解こうと頑張る話を聞きましたが、同席していた方から「焦るな 一歩ずつ踏み出せばいい」と励まされています。

2️⃣ 木曜日に2024年の社会人野球の記事2つを出しました。これで同年度の記事は全て出し終えた格好となります。トヨタ自東参加のスポニチ大会は早め対処します。

3️⃣ 社会人野球をはじめとした資料整理・電子化も終えて4GBをデータ化。こちら方面の作業は今冬部は終わりかな、と。

4️⃣ 次のエントリーからは2025年記述/社会人野球の調べもの…のどちらかの記述を進めます。先ほどの要因で制作時間が押す状態に。4月26日には三陸沿岸大会が始まるので、その一週間前までに目処つけたい。東北はまだ野球の試合するには…というところですが、まず「自分ができること」から始めていこうと考えております。

図抜けた成績残した水沢駒形倶、暗明経験したトヨタ、上位大会経験した久慈…赤崎は5大会参戦を糧に「もう一回」─【社会人野球2024】岩手まとめ。

 2024年社会人野球の記事書き残し製作。試合の方は東北連盟会長大会岩手県予選で終了。ここでは年間のまとめを記述します。記述内容は例年通り年間公式戦の勝敗数と各大会の進出実績とします。

▽水沢駒形倶 22勝9敗

都市対抗県予選3位・東北予選第2代表三回戦、クラブ選手権県予選優勝・東北予選準優勝・本大会二回戦、福島市長杯二回戦、一関市長旗二回戦、岩手県知事旗準優勝、東北連盟会長大会クラブの部県予選優勝・本大会優勝、岩手アマ王座クラブの部準優勝

トヨタ自動車東日本 11勝10敗

 都市対抗県予選優勝・東北予選第2代表一回戦、JABA東北大会予選リーグ、JABA北海道大会予選リーグ、岩手県知事旗優勝、岩手定期戦優勝、日本選手権東北最終予選準決勝、東北連盟会長大会企業の部一回戦、岩手アマ王座企業の部優勝・毎日旗優勝

 まずは2024年も岩手県を引っ張り続けてきたチームから。今年の岩手県チームの勝ち頭は水沢駒形倶楽部。クラブ戦線で東北地区レベルでも上位の力を発揮し全国大会でも一勝。都市対抗も企業チーム相手でも引いた戦いはせず5日間を戦い抜くなど力量を見せつけた形となりました。次の目標はクラブ選手権の最終日進出というところでしょうか。

 トヨタ自動車東日本。県内の戦いに関しては圧倒的な力量を見せ、都市対抗野球では12連覇を達成。また東北部分の戦いでも都市対抗本大会で準優勝を果たしたJR東北に勝つなど存在感を示した大会もありましたが、都市対抗東北予選では2連敗を喫するなど痛恨の結果を見せた時もありました。ここ数年指揮にあたった夏井大吉さんが勇退。大谷龍太さんが監督に就任し再起を期します。

▽オール江刺 9勝7敗

 都市対抗県予選本戦一回戦、クラブ選手権予選三回戦・東北クラブカップ県第2代表決定戦敗退、一関市長旗一回戦、岩手県知事旗準決勝、東北連盟会長大会クラブの部県予選準優勝、岩手アマ王座クラブの部優勝・毎日旗準優勝

▽久慈クラブ 9勝6敗

 都市対抗県予選クラブ二回戦、クラブ選手権県予選三回戦・クラブカップ県第2代表決定戦勝利・東北CC3位・東北北海道交流大会一回戦、東北連盟会長大会県予選準決勝、北上市長旗準優勝

▽盛友クラブ 8勝8敗

 都市対抗県予選4位、クラブ選手権県予選4位・東北CC4位、東北連盟会長大会県予選準決勝、岩手アマ王座クラブの部一回戦

▽住田硬式ク 6勝4敗

 都市対抗県予選クラブ二回戦、クラブ選手権県予選準優勝・東北予選一回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選三回戦

 続いてはクラブ戦線で存在感を見せた4チーム。

 オール江刺は上位大会をかけた戦いで苦杯を喫するなど「どうにも」という戦いを見せた前半戦ですが、秋の2大会で存在感を見せ、年間トータルでは多くの試合を経験できたのは地力のなせる技でした。

 久慈は東北クラブカップ戦線で自力を発揮。クラブ選では駒形に破れたものの代表決定戦に勝ち東北CC進出するとそこでも3位に入り交流大会を経験。東北連盟会長県予選でも準決勝進出するなど上位に食い込む戦いを経験しました。

  

 盛友は春先から上位進出を多く経験。悔しいのは各々の代表決定戦で勝ちきれずに“次点コレクター”となってしまったこと。それでも公式戦だけでも年間16試合戦ったわけで、いい経験になったのは間違いないでしょう。

 そしてある意味では今年一番注目を集めたのが住田の戦いぶり。ここ数年、大会によっては存在感を見せてきた住田が、クラブ選手権で江刺、盛友と東北予選を経験したチームを連破。特に盛友戦では「3回まで0対8」をひっくり返し、クラブ選手権東北予選に初進出。東北予選では郡山に集中打を浴び破れましたが、1つの壁を破った戦いぶりは見事でした。

▽JR盛岡 5勝9敗

 都市対抗県予選準優勝・東北予選第2代表二回戦、岩手県知事旗一回戦、定期戦3位、日本選手権東北最終予選一回戦、東北連盟会長大会企業の部一回戦、岩手アマ王座企業の部準優勝

▽釜石野球団 4勝4敗

 都市対抗県予選クラブ一回戦、クラブ選手権県予選3位・東北予選一回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選三回戦

▽盛岡球友倶 3勝4敗

 都市対抗県予選本戦一回戦、クラブ選手権県予選二回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選二回戦、北上市長旗二回戦

▽一戸桜陵ク 3勝3敗

 都市対抗県予選本戦一回戦、クラブ選手権県予選二回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選三回戦

 続いては年間3~5勝チーム。JR盛岡はトヨタと違い、JABA大会は不参加、他の地区では企業セカンドグループを対象にした大会もありますが東北はそういうのはなく、その代わりに練習試合で多くの大学チームに胸を貸している様子は伝えられています。申し訳ない話、この記事は公式戦ベースで書いているので残念ながらこの位置での記述となりました。それでも各種大会でトヨタに食らいつき、東北連盟会長大会ではTDKにも肉薄しました。

 釜石野球団は何と言ってもクラブ選手権の県予選3位。チームとして22年ぶりに進出した東北予選でも意気のいい立ち居振る舞いを見せ、社会人野球ファンの注目を集めました。盛岡球友は突出した戦績はありませんでしたが、都市対抗トヨタ戦、北上市長旗大会の大崎戦と上位進出を経験したチームにも食らいついた姿が印象的でした。

 一戸も年間6試合を戦い、都市対抗県予選では本予選進出するなど意地を見せました。

矢巾硬式ク 2勝5敗

 都市対抗県予選クラブ一回戦、クラブ選手権県予選三回戦、岩手県知事旗一回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選一回戦、北上市長旗準決勝

▽赤崎野球ク 2勝5敗

 都市対抗県予選本線一回戦、クラブ選手権県予選二回戦、一関市長旗一回戦、岩手県知事旗準決勝、北上市長旗準決勝

▽MKSIBC 2勝3敗

 都市対抗県予選クラブ二回戦、クラブ選手権県予選二回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選三回戦

宮古倶楽部 2勝3敗

 都市対抗県予選クラブ一回戦、クラブ選手権県予選二回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選二回戦

▽雫石クラブ 2勝2敗

 クラブ選手権県予選三回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選二回戦

 年間2勝チームは5チーム。矢巾と赤崎は前年上位進出の実績で多くの大会に出場しましたが壁にぶつかった印象がありました。矢巾は23年北上大会優勝の実績を残しましたが今年はその北上大会とクラブ選で一勝ずつをあげたのみに。次年度の復讐を狙います。赤崎野球クは23年のクラブ選県準優勝・東北進出の経験を今年に持ってこれるか期待されましたが、序盤戦で苦戦を強いられ波に乗れず低空飛行。それでも岩手県知事旗で矢巾に勝ち、トヨタに食らいつくなど存在感を見せる場面も作りました。

 MKSIBCは上位進出も睨んだ姿勢を見せましたが、残念ながら序盤敗退が続き悔しいシーズンに。一方で宮古は2大会で勝ち星をあげ光も見えたシーズンになったものと思われます。雫石は何と言ってもクラブ選手権の2連勝。最後はバテて負傷没収試合となってしまいましたが、チームの意欲に火がついたのではないでしょうか。

▽花巻硬友倶 1勝4敗

 都市対抗県予選クラブ一回戦、クラブ選手権県予選二回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選一回戦、岩手アマ王座クラブの部一回戦

▽遠野クラブ 1勝4敗

 都市対抗県予選クラブ二回戦、クラブ選手権県予選一回戦東北連盟会長大会県予選二回戦北上市長旗二回戦

▽一関BBC 0勝4敗

 都市対抗県予選クラブ一回戦、クラブ選手権県予選一回戦、一関市長旗一回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選二回戦

▽オール不来方 0勝3敗

 都市対抗県予選クラブ一回戦、クラブ選手権県予選二回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選二回戦

▽黒陵クラブ 0勝3敗

 クラブ選手権予選一回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選二回戦、北上市長旗一回戦

▽北上REDS 0勝3敗

 都市対抗県予選クラブ一回戦、クラブ選手権県予選一回戦、北上市長旗一回戦

▽高田クラブ 0勝3敗

 都市対抗県予選クラブ一回戦、クラブ選手権県予選二回戦、東北連盟会長大会クラブの部県予選二回戦

▽滝沢スイカーズ 0勝1敗

 東北連盟会長大会クラブの部県予選一回戦

▽盛岡倶楽部 休部

▽前沢野球倶 休部

▽福高クラブ 休部

 最後は年間0~1勝チーム。この中で目立ったのは岩手アマ王座に参加した花巻ではないでしょうか。勝ち星はクラブ選一勝ながら、地元枠で出場した岩手アマ王座でも駒形に善戦。参加したメンバーが根付いている様子も見え、ここからという意気込みも見ます。遠野も近年加入選手が中心的な位置で登場することも。選手の気の持ち方によっては来年以降花開くものになるのではないでしょうか。

 未勝利になってしまったのは6チーム。トーナメントの多い岩手社会人野球において力量差によっては試合数を多く持てずにいたりします。他の県では硬軟兼業禁止のチームもありますが、岩手の場合は軟式チームと兼任して在籍している選手も多く(さすがに企業2チームは“専業”ですが)選手の集合も簡単ではありません。その中でも年間3試合でも「地域野球人を結集」して戦いに臨む姿は地域の野球の力を維持する基となってるのではないでしょうか。「続けていればいずれその意欲が芽吹く時もあるということでまあ近年だって一戸の北上市長旗大会優勝とか住田のクラブ選手権東北進出とかあるわけで。各チームそれぞれでそういう活路を見つけるというか、希望を拾い続けてほしいと願っています。それは今休部している盛岡倶楽部、前沢野球倶、福高クラブもそうです。


 全国を見ると…30年前は約30チーム在籍していた福島県が10チームそこらになるなど厳しさを見る場面もある一方で、東京や神奈川、千葉ではクラブチームが増えている様子も見えます。JABAホームページでチーム情報を得るのが年1回だけになったので、いまの時点では全体の状況を掴めてるとは言えませんが、それでも岩手の20数チーム在籍というのは全国で抜けたチーム数であることは間違いありません。地域の野球熱を拾い続ける存在でいて欲しいものです。

 一方で。社会人野球は何年間かでチームの姿変わる場所でもあります。昨年晩秋、トヨタ自動車東日本では岩手チーム初の社会人野球日本代表となった望月直也さんら4選手、JR盛岡では“ザ・いぶし銀”大越拓人さんら9選手の勇退がチームあるいはチーム関係者から報じられました。

 特記2人。

 JR盛岡の寺田翼さんは30代半ばから自らのMAXを更新し続けた野球選手の軌跡もさることながら、独自の情報発信で“フルタイム勤務企業チーム”の姿というのも世の中に知らしめた方でありました。その尽力に心から敬意を表するものです。

 

 トヨタ自動車東日本の小野勝司さんは山梨県出身。縁もゆかりもないだろう岩手にやってきて攻守に存在感を見せ一年目からレギュラー。都市対抗野球本大会進出を果たすなど一時代を築いたキャッチャーでした。(岩手社会人野球最低捕手が言っても「なんだこれ」程度にしか思わないでしょうが)10数年の奮闘に感謝を申し上げるものです。

 他11選手にもそれぞれ思いがありますが、代表してこの2人に一言を申し上げました。尚、関わる赤崎野球クラブに関しての人事異動に関しては申し上げることがありません。私は「別世界に招集されての引退」にならないように気をつけます。

 社会人野球のシーズンは始まっていて、トヨタ自動車東日本スポニチ大会に出場し1勝2敗。岩手県内の公式戦は4月下旬の三陸沿岸大会から始まる、というところではありますが、皆さん無事にその場に居続けていただければと願うものです。

 今回もクソ長い記事でしたがおつきあいいただきましてありがとうございます。

県内チーム猛追も優勝は水沢駒形倶─24年9月開催東北連盟会長大会クラブの部岩手予選結果。【社会人野球2024】

 2024年内に記述を書き終えることができなかった9月開催の東北連盟会長旗争奪大会クラブの部岩手県予選に関する記述を始めます。

 この東北連盟大会が始まったのは1994年。それまでの岩手県の社会人野球は

・概ね5月に行われる都市対抗野球県予選

・概ね6月後半~7月上旬に行われるクラブ選手権岩手予選(当時は岩手予選で優勝すれば本大会)

・概ね8月下旬に行われる日本選手権岩手予選

 …の3本柱で運営されていましたが、そこに9月の連休を使った東北連盟会長大会予選が加わって、当時のクラブチームは4大会が主戦場となったわけです。

 2010年に日本選手権が基本企業チームのみの開催となり、一時期は東日本→東北クラブカップ岩手予選に移りもしましたが、その予選がクラブ選手権県予選に併合される形になったので、少なくないチームはこの大会が参加する年内最後の大会となります。近年は県北地区での開催となって私の関わる赤崎野球クラブは残念ながら欠場することが多かった大会で、私自身も球場に行くことができないでいましたが、参加したチームは「最後の決算」とばかりに懸命なプレーを見せました。

 情報基は一球速報ホームページ(baseball.omyutech.com)より。毎日新聞岩手日報ともにイニングスコアの記述がなかったので、今項ではその記述を行います。


▽一回戦 高田クラブ 9-8 矢巾硬式ク

矢巾 2300011010=8

高田 5000200011=9

 両チーム激しい点の取り合いとなった試合は矢巾が追いついて延長に持ち込んだが、最後高田がサヨナラ勝ちを収めた。序盤2イニングで両者5得点。その後中盤一旦試合が収まるかに見えたが、終盤細かい点の取り合いで接戦に。高田の最後の一刺しが効いて二回戦進出を決めた。

▽一回戦 宮古倶楽部 9-6 滝沢スイカーズ

滝沢 003100011=6

宮古 222001200=9

 今シーズン初登場かつ初勝利を目指した滝沢スイカーズは、4点ビハインドの三回に3点を、四回にも1点返し詰め寄るが、宮古が都度都度リードを手放さず逃げ切った。とはいえ滝沢も中盤にも点を取り返すなど手応えをつかんだ試合となった。

▽二回戦 水沢駒形倶 18-0 雫石クラブ

雫石 0000000=0

駒形 2011500A=18

 クラブ選手権では手応えをつかんだ雫石だったが、クラブ東北準優勝の駒形では相手が悪すぎた。三、四回に被ビッグイニングをくらい、0失点に抑えた回もあったが攻撃陣も手を出せず。駒形は集中得点で一気にペースを握りまず一勝。

▽二回戦 住田硬式ク 7-6 オール不来方

不来方004000200=6

住田 102020002=7

 クラブ選手権東北進出で注目度も増した住田だったが、不来方は三回に4点をあげ一気にリード。しかし住田は三、五回に2点ずつ返すと再び追いつかれたものの、九回裏にひっくり返しサヨナラ勝ち。不来方は惜しい勝ち星を落とした。

▽二回戦 MKSIBC 9-3 黒陵クラブ

MKSI 101030220=9

黒陵 002000010=3

 MKSIは三回までに2点をあげるが、黒陵がその裏に同点に追いつく。次の1点を取ったチームが試合の流れを持ってくる展開となったが、それを握ったのがMKSI。中盤にも突き放したMKSIが黒陵を上回り勝ち上がった。

▽二回戦 一戸桜陵ク 10-3 遠野クラブ

 遠野 000120000=3

 一戸 030060010=10

 一戸は二回に3点を先制。遠野は四、五回に同点に追いついたが、五回裏に一戸が6点をあげ大量リード。八回にも追加点をあげた一戸が、後半遠野に失点を許さず一勝をあげた。

▽二回戦 オール江刺 8-4 盛岡球友倶

 盛球 011100010=4

 江刺 02010203A=8

 試合前半は盛球江刺両者ともに3点ずつ取り合い互角の展開。しかし江刺は六回に2点をあげると、八回にも3点を奪い一気に突き放した。盛球は後半1点しか取れなかったのも響いた。

▽二回戦 久慈クラブ 9-1 一関BBC

 久慈 10320003=9

 一関 00000001=1

 試合は久慈が序盤から攻勢をかけ、四回までに6得点。九回にも3点をあげた久慈が終始試合のペースを握り勝ち切った。一関は最終回に1点を返したが、試合通じて後手に回った。

▽二回戦 釜石野球団 15-8 高田クラブ

 高田 10100132=8

 釜石 10005405=15

 沿岸チーム同士の対決となった一戦。五回途中までは高田がリードを奪っていたが、釜石が五回以降3度のビッグイニングを重ね高田を圧倒。高田は六回以降6得点を返し反撃したが、釜石攻撃陣の猛攻の前に勝機を失った。

▽二回戦 盛友クラブ 6-1 宮古倶楽部

 宮古 010000000=1

 盛友 00230001A=6

 前日の一勝を自信に連勝と行きたかった宮古は二回に先制するが、盛友は三回に逆転、四回にも突き放し、以降宮古の攻撃陣を抑え込んで順当に一勝を挙げた。宮古は反撃がほしかった。

▽三回戦 オール江刺 9-2 MKSIBC

 江刺 220103001=9

 MKSI 010100000=2

 オール江刺は二回までに4得点をあげリード。MKSIは四回まで2点を返し反撃を機するが、江刺は試合折り返しの六回に3点をあげダメを押した。MKSIは試合後半の反撃が利かなかった。

▽三回戦 水沢駒形倶 9-4 一戸桜陵ク

 一戸 001020010=4

 駒形 25001001A=9

 一戸は攻撃陣が東北上位チーム相手に奮戦し4得点をあげたが、試合序盤二回までに食らった7失点が響いた格好となった。駒形は二回の5得点などで試合を掌握。一戸の追い上げをかわし最終日に進出した。

▽三回戦 盛友クラブ 5-1 住田硬式ク

 住田 000000010=1

 盛友 10300100A=5

 投手陣の編成に苦慮する住田は盛友に序盤から小刻みに失点を喰らう。攻撃陣も盛友投手陣の前に得点を奪えず、八回にようやく1点を返したが、流れをひっくり返せなかった。盛友は三回までの4点が効きリベンジを果たした。

▽三回戦 久慈クラブ 8─0 釜石野球団

 久慈 0022220=8

 釜石 0000000=0

 前日の大量得点を自信に戦いたかった釜石だが、この日は久慈投手陣の奮戦の前に得点を奪えず、さらに投手陣は久慈打撃陣に毎回のように複数失点を食らい抑えきれなかった。久慈が最終日進出。

▽準決勝 水沢駒形倶 8-3 盛友クラブ

 駒形 510110000=8

 盛友 100002000=3

 岩手王者の駒形と、東北CCを経験してきた盛友の対決。駒形は油断なく初回5得点をあげ機先を制し、その後も五回までに8得点。盛友は序盤戦のこわばりが取れた六回に2点を返したが追撃が利かなかった。

▽準決勝 オール江刺 5-4 久慈クラブ

 江刺 100110101=5

 久慈 201010000=4

 クラブ選手権で上位進出を阻まれた江刺にとってはリベンジの機会。強い意気込みで臨んだが、久慈もこの後上位大会を戦うプライドから負けられない五分五分の展開に。試合後半に得点を重ねた江刺の逆転し決勝に進出した。

▽決勝戦 水沢駒形倶 8─1 オール江刺

 江刺 1000000=1

 駒形 021401X=8

 不完全燃焼の戦いを続けてきた江刺はこの試合で駒形を上回るリベンジを狙ったが、この大会ここまで強い攻撃力を見せてきた駒形がこの試合もコンスタントに8得点げコールド勝ちで優勝を成し遂げた。


 この通り試合の論評を書いてきましたが、正直イニングスコアを書いていると俺の論評なんて必要なのか、と思いますが…まあ形式ということでご勘弁ください。

 全国大会を経験してきた駒形が岩手のクラブ野球の中で一枚抜けている存在となっています。だけども、他のチームも全く手も足も出ずにやられっぱなしなのかと言えばそうではない。それでも駒形が相手の反撃を上回る強力な力量を発揮して勝ち抜いている。当面の駒形以外のチームの目標は「駒形にくらい着く」ということになるのでしょうか。

 駒形以外のチームでは…クラブ選手権東北予選に進出した住田、釜石は最終日を待たずに敗退。東北CCに進出した久慈、盛友が最終日進出。久慈はこの後北海道・東北交流大会を控えた中での公式戦参戦でしたが、まずまずの成果を見せたものと思います。江刺は文中で書いた通り、近年は上位戦線に跳ね返される部分もありましたが決勝進出。この大会は「まず1歩」ということになるのでしょうか。

 この後に北上市長杯大会を控えたチームもありましたが、この大会が2025年シーズンへのスタート地点になるものと思われます。この記事を書いていた2025年1月31日時点で社会人野球の日程は大まかに決定。参加チームの動向については情報が入っていないので、そこら辺は明らかになり次第記述していく予定です。長くおつきあいいただきありがとうございました。

 下記写真は今大会決勝戦が行われた野田村の球場です。

 だーかーらー これは隣接する「山村広場」だっての。

 ライジングサンスタジアムはこちらでございます。

 

グルージャ盛岡試合観戦─「暮らしのなかに共存する」チームへの進化を/レイラック滋賀についても。【グルージャ盛岡2025】

 3月16日に盛岡市いわぎんスタジアムで行われたJFL第2節 グルージャ盛岡対レイラック滋賀の試合に行ってきました。いやあ、まるで野球場ですね。

 同じ敷地内にあるきたぎんボールパークでした汗。では、いわぎんスタジアムいきます…何、すっからかんだぞ!会場間違えたか!

 ご安心ください。今回はいわぎんスタジアムのBコートでの試合です。そそくさとそちらに回りました。(←毎度毎度毎度毎度この馬鹿筆者は怒)

 前日は「ちょっと寒くなりそうです」なんて思っていましたが、ちょっとところじゃなく寒かった。更に午前に雪が降り始め、生涯で初めてホッカイロ10枚貼り付けてスタジアムに向かいました。

1️⃣ 試合そのものについて

 JFLになったんだな、と思わせたのは入場料。J3リーグ時代には2000円だった入場料が、同じ場所で500円という価格に(ホーム自由席)。加入してきた選手の中には中里崇宏選手のように思わぬ名前もあったりして、どういう感じにチームとして精製されたか気になりました。正直サッカーは門外漢なので見方が分かりません。感じたままに記しますね。

 前半はグルージャが6:4で攻め込んでいた印象。34分に深堀隼平選手がヘディングで先制点。さらに40分に西大伍選手がゴール前の混戦から得点を挙げました。立て続けのゴールに観客のボルテージ上がります。

 後半、滋賀が前半よりは攻める回数が多くなったような感じで、62分にセットプレーから中村健人選手による得点を浴び、その後もたびたびピンチになりますが、この日ゴールマウスを守った若林学歩選手が勝負強さを見せます。特に終了間際のピンチを文字通りのパンチングでかき出したプレイには「これがプロなのか」というものを見させていただきました。

 この日のマンオブザマッチは相手の強力攻撃陣を抑え込んだ島津柚杏選手。ファン投票で選ばれるワイズマン賞には西大伍選手が選ばれました。私が印象深かった選手は背番号80の濱名真央選手。ゴール前からサイドを積極的に駆け回った様子が印象に残りました。

2️⃣ グルージャ盛岡のもう一つの宿題、「集客」。

 JFLからJリーグに戻るためにグルージャがなさなければならないことの一つが観客動員数の増加。昨年最終戦を見に行きましたが、「結構埋まってるじゃん」と思っていても2000人。Jリーグを見始めた当初、何千人という単位の観客数を「少ないなあ」なんて思いながら見ていましたが、実際は「そこまで持っていくのが大変だ」というのを感じています。

 今日は荒天も災いしたのか、観客数は1214人。下に写真二枚出していますが、上の写真で出した部分はお客さん・サポーターがたくさんいましたが、バックスタンドの様子はこの通りです。

 そんでもその場にいた人の意欲は見えていて、サポーターの方々が場内のお客さんを巻き込んで場を盛り上げようと工夫したり、また試合終了後に選手たちがお見送り─水野晃樹ゼネラルマネージャーまでもがお見送りしたり(ビックリしましたよもう)。一時はJ2に行ったチームがカテゴリ下げてしまった悔しさをバネにしたグルージャ関係者皆様の「強い意欲」で、雰囲気を好循環に持っていってほしいと願ってます。

3️⃣ レイラック滋賀について。

 拙稿ではかつてサッカーの地域リーグとJFLに関する記事を年に1~2度書いていました。様々な状況を踏まえて2019年限りで終了、私の認識はそこで止まってしまいました。滋賀を代表するサッカーチームといえば「MIOびわこ滋賀」としか認識しておらず、そのMioが2023年にレイラック滋賀という名前に変わっていたのを知ったのは今日。

 パソコンでチームの動向振り返ってみると、2008年から17シーズン連続でJFL在籍。事実上の4部とはいえ全国を回るリーグ戦ですから、それにずっと参戦し続けるだけでも実はすごいことではないかと。それだけの体制を維持しているわけですから。

 そして、2023年にJ3ライセンスを得て滋賀県初のJリーグ昇格を視野に入れたチームとして存在。今日も滋賀から20人以上のサポーターが来場。飛行機を乗り継いで来たという話には驚き。約10年前の滋賀サッカーリポートを見たことがありますが、その当時は方向性に悩んでいた様子が書かれていましたから、そこから見れば「進化」している様子です。

 近畿・東海地区県は滋賀、和歌山、三重の3県がJリーグチームを保持した経験がありません。滋賀県で一番先端にいるチームのこれからの活動にも注目してみたくなりました。

4️⃣ グルージャにとって「再構築」図るJFLの舞台。

 グルージャ盛岡は都合11シーズン、Jリーグというプロリーグに在籍しましたが、昨年度で残念ながら退会。今シーズンからはプロリーグ以外でのサッカー最高峰の位置にあるJFLで戦うこととなります。昨年のシーズン最終戦を記した記事の中で、ホームタウンである盛岡はじめ岩手県の人とのつながりの構築を図るのはJリーグじゃなくてもどこでもできる、いう趣旨の記述をしました。

 きょうの入場者数で言うと「取り組みはまだ途上」ですが、スタジアムに来るハードルというか垣根は低くなったわけで、実際試合見に来て「『この選手見どころあるな』と思わせる─きょうの私にとっての濱名選手がそう─スタジアムに行きたくなるような“引っかかる”もの」が見つかれば。そこから始まって、グルージャ盛岡というサッカーチームが生活の一つになる、と。そういう貴重な存在になってほしいと願っています。

5️⃣ 今年は何回かスタジアムに行くことを目指します。

 私もそういう意味で、野球のシーズンが始まる前に見ておこうと思って盛岡にお邪魔しました。この後のホームの試合は14試合ですか。去年までの11年間ではたった2試合しか見に行かなかったかったもので、もう何回か見に行くことができたらとは考えております。

 重ねてですがグルージャ盛岡並びにそこに参集する皆様が目標であるJリーグ復帰をなせるように。私は注目して見届けます。

1年遅れですみません─13回目の3・11 大船渡行き雑感。

【この記事掲出にあたって】

 本来、この記事は2024年3月中に掲出すべき記事でした。その当時にタイミングが合わず、ずるずる引き伸ばすうちにあっという間に1年が経過。今年(2025年)は大船渡山林火災もあり故郷に寄ることができなくなっていたので、該当記事を1年遅れで掲示します。


 (2024年)3月11日朝。

 私は大船渡に行ってきました。実のところ、仕事はかなり詰まっていて無理な行動を回避する選択肢もありましたが、どうしてもこの日は大船渡にいたかった。そんなもので、仕事に影響ない時間帯-早朝に大船渡に向かうこととなったわけです。

今回は滞在時間も短いので大船渡市・みなと公園に行ってきました。

(動画と同じ)着いて早々に朝7時のチャイム。「エーデルワイス」のお出迎えです。旧大船渡市部分は朝7時・昼12時・夕方5時に時報代わりの音楽が。この音楽を聴くと大船渡に来たんだという実感が湧きます。ここはYouTubeリンクを貼っておきますのでよかったら3分ばかりお付き合いください。

youtu.be

 このみなと公園の防潮堤では前日10日に様々なイベントが行われた箇所ですが、まだ早朝とあって時折ランニングしている人が見かけるだけ。当写真ではビニールシートに覆われた説明板がありましたが、開帳された姿は各マスコミで報じられています。

 また、写真の奥の方には4万トン級の岸壁が。1990年あたり、大船渡中学校駅伝部はこの岸壁を使って練習をしてました。何で知ってるか?私も一応は駅伝部マネージャーでして。特に500m走は選手はきつかったと思いますよ。今は保安状況もあり閉鎖されています。

 こちらの方は5000トン級岸壁。1986年あたりに先に紹介した4万トン級岸壁ができるまではこちらが大船渡港の主力岸壁。8月の花火大会は茶屋前側-写真右側-の岸壁から花火が打ち上げられて、左側の方にぎゅーぎゅーに人が集まって見ていた…というのも思い出の一つです。

 いま内陸にいるから当然ですが、海をあまり感じない生活をしています。岸に近づくと潮の匂いがしましたね。意外と海の近くにはよることがなかったもので懐かしさ感じました。近くでは鳥が楽しそうに泳いでいましたが、自分が岸に近づくと一気にバタバタと飛び立ち逃走。とって食わねえよ。

 写真では裏からの撮影にしています。公園内に震災でかなくなられてた方の芳名板が掲示されていました。誰が備えたか分かりませんがお花が1輪。私は花は持っていなかったので、ただただ頭を下げてきました。

 岸壁のところに立ち入り禁止の柵が。やっぱり登って歩こうと考える子どもとか子どもだった人とかいるんでしょう。私は水沢競馬場での苦い思い出(小学校入学前、ジャングルジムに登ったが降りれなくなり地元小学生に助けてもらった)が頭をよぎりました。

 公園にはいろんな遊具がありますが、このマルとバツが並べられた道具というのは他に見たことがありません。ただまあこれを使えば何回でも“マルバツ”ができそうな遊び道具ですね。左側に「第3勢力として真っ黄色というのを用意した」1枚を用意しましたが、こんなことを考えるバカは近くの海に放り込めば治るのでしょうか呆

 このアングルがかつての須崎通りを表す1枚。震災以降、海に近い須崎や浜地区などいくつかの自治会が解散となってしまい、思い返すのも難しくなっています。

 加茂神社。今はバリアフリー対応の通路もできたようで時代の流れを感じます。

 加茂神社内にある「津波警報塔」です。チリ地震が起きた直後に作られた警報塔ですが、私にとってはどうも遊び場という記憶しかありません。

 加茂神社ではこの日大震災の慰霊祭が行われたようですが、今朝訪れたときは準備段階。多くの人がより集まって追悼と「今後犠牲者を出さない努力」を誓う場になればと思ってます。

 大船渡町明神前。左側の市営住宅(別名ブロック住宅)の一番奥が私の住んでいた場所です。

 丸進石油店のらくらくセルフ大船渡西SS。ENEOSの看板のところに「津波浸水高」が表示されています。

 BRT大船渡線・大船渡魚市場前駅。正直ここが駅になるとは夢にも思っていませんでした。近くには三重商会松井貞明氏による「これより高い処へ逃げよ」の津波碑が立てられています。

 大船渡保育園やや北側の道路から大船渡商工会議所跡を望む。津波の強烈さを示す動画としてさいとう製菓周辺の様子を撮った動画がありますが、この場所あたりから撮られたものと思われます。光景変わりましたよ。

 たった2時間でしたがいろんなものを見、昔大船渡で生きてきた様子を思い返したり、様々な思いを抱いたりしてきました。

 それぞれの地にはそれぞれの地に住む人たちの思いなり日常がありますが、その思い・日常をひとなぎに壊してしまうのが自然災害の恐ろしさ。それは今年(2024年)1月1日に起こった能登北陸地震でも突きつけられました。

 ただ、そういうゆるくないことが起きたとしても、それを乗り越えようとする行動はなされてきた。拙稿では2013年以降の「自己責任」至上主義、権力者の専横が幅を利かしてきた形での“復興”には疑問を持っていますが、それでも社会とのつながりで一つの形を作ることもできていると思います。

 人間社会が「これまでの失敗を乗り越えて発展させてきた」ことは震災復興の方面でも。「どうにもならない」~「公的支援は入るが個人の財産は助けない」を越えて「個人の被害にも公的保証が及ぶようになった」という歴史があります。そして、それを進めたのは市井からの運動です。

 この部分でも逆流は起きていますが、ゆるくない状態を救っていくのが政治のはずだから、もっと発展させていく。震災・津波に遭遇しても、それ以降の二次的被害を出させないことこそが私の「震災・津波の敵討ち」と思って、これからも歩き続けていきます。


(2025年3月11日・記)ただの1年遅れの記述になるかと思いきや、大船渡山林火災という事態が起きて色々感情引き裂かれたまま「3・11」を迎えました。ここ数年は3月11日に気仙地区を歩いていましたが、今年はそれどころじゃないだろうなと思い、現居住地での所用も重なり、中止を決めました。条件許せば─多分4月第二週になりそう─大船渡の様子を記せれば、と思っています。「3・11」の各種記述におつきあいいただきありがとうございます。

「3・11」東日本大震災14年にあたり、メッセージパネルを掲示します。

 大船渡山林火災で大きなキズを受けた状態のまま3月11日を迎えました。地震津波と山林火災の違いはありますが、いずれにしても災害が生活を大きく狂わしたことは間違いないところです。

 今回、5枚のパネルを作りました。中には直接震災と関係ないのもありますが、どれもこれも「3・11」が物事をより真剣に考える機会だった、ということ。

 色々難儀さを叩きつけられている昨今の社会ではありますが、以前の記事でも書いた通り「そんな世の中でも『助け合い』というのは完全に殺されずにいる」と。「もう嫌んた」って投げ出したくもなったりしますが、それでもそういう希望が見えるのなら諦めないで生きていこうと思わせるものがあります。

     

 今、大きな流れとしてはトランプなどの権威主義ですか、それが襲いかかっている面もありますが、そんなもので『個々人がまともに生きていたい』という思い・願いを潰されてたまるか。

 『災害で助かった命を、政治・社会のまずさで殺させるわけにはいかない』を貫徹することが震災犠牲者の敵討ちと思ってます。

 14時46分、迎えるとしましょう。

#東日本大震災 #大船渡山林火災 #大船渡 #陸前高田 #岩手県

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