本当、すみませんねえ。
今日書くブログの内容は、11月くらいに書いていれば、皆様のお役に立ったのに……。
と、後悔するような内容です。
クリスチャンと干支、年賀状、という極めて現実的な内容です。
( ̄ー ̄)
今年は蛇年ということで、
あ! ここにも蛇!
みたいな1年の始まりとなっています。
地下街の広告からダイアリーの表紙イラスト、スタバの新年マグに至るまで(上の写真)、まあかわいい蛇の多いこと!
まずは年賀状についてですけど、クリスチャンでも年賀状を書いている人、あるいは年賀メールや年賀LINEを送っている人は珍しくないと思います。
宗教的に問題ないのですか?
という質問に対して、教会、教派、教団の正式な解答が欲しいんだ、と言う方は、間髪を入れずすぐにお近くの教会の牧師にお尋ねくださいませ。
ワタクシは洗礼受けて35年以上になる一般クリスチャン信徒としてこのブログに書きますから、そういった専門家(?)の方々のお考えやご意見はガン無視で書かせていただきます。
<(_ _)>
済まぬ。
まず、年賀状ですけど、上にも書きましたように、年賀状(や、それに類するもの)を出しているクリスチャンは少なくないと思います。
このことの是非としては、
それを宗教的行為とみなすか否か
に尽きると思います。
これが「神社への初もうで」となると、それは宗教的行為なので「×」になります。
で、信徒によっては境内に入るくらいは宗教的行為でないので、付き合いで入る、とかいう方はいるかもしれません。
これはワタクシからのお願いですが、クリスチャンにしたら入るだけでも背徳感があるので、もうそれ以上の行為はクリスチャンには求めないでいただきたいです。
武士の情けだと思って!
年賀状に話を戻します。
で、年賀状を書いている方は多く、ワタクシもご多分にもれず年賀状を書いています。
まあ来年はやめるかもしれないんですけど、クリスチャンとしては
クリスマスカードにそれを集約出来たら
という思いはあるでしょうかね。
同じはがきでも、クリスマス仕様のものは「赤(と緑)」が主体で「いかにもキリスト教」だし、聖書の言葉が入っていたりして罪悪感なく躊躇なく出すことができます。
でも、年賀状として出すにはなんか、柄に違和感が……。
辛いな。
年賀状って結局は手紙やん。
と考えれば、別に年賀状自体出すことは何の問題もありません。
むしろ旧交を温めるという意味で「愛の行為」ともいえるから、年賀状は積極的に出していいと思います。
で、ワタクシも出していますけど、牧師さんや宣教師さん、伝道者さんからも返信年賀状がきます。
さすが伝道者。
どれにもみ言葉(=聖書の言葉)が書かれています。
すげーぞ!
ワタクシは毎年、写真入りの既製品はがきを使っているので、み言葉入りは書いたこと、ないかなあ。
で、年賀状を出すときに立ちはだかるのが
干支
問題です。
こっちはちと論議の分かれるとこなのかな、と。
再度強調しますけど、要は
それを宗教的なものとみるかどうか
です。
もう一つの視点は「吉兆」とか「十干十二支を占いとみるかどうか」になるでしょうか。
キリスト教では、自分の行動の指針は神様が与えてくれた自分の知恵と良心、及び神様からの啓示によるものが良しとされていて、占い的なものは「邪教」とか「間違った教え」とか「サタンによるもの」と考えられています(聖書にそういう記載があります)。
ギリシャ神話の神々も「偽神」扱いです。
物語として「神話ほのぼの……」といった雰囲気は聖書では皆無です。
はてさて、年賀状の印刷などにある干支を、この「占い」に関連してるものとみるとNGになるでしょう。
では、宗教なのか?
というと、うーん難しいなあ。
( ̄ー ̄)
別に年賀状に向かって祈るわけではないし。
で、ワタクシは極力干支の柄の入っている年賀状は避けています。
だけども気に入ったのがそういう干支入りのものである場合もあり、そういう時は
「なんかうるさそうな牧師さん」には「こんなヘビ柄入りですみません」みたいな防御線を張って書いて出します。
気心知れた自教会の牧師さんとかだとしれっとそのまま出したりしてます。
信徒さんには別に気にせず出しています。
とはいえ、ちょっと「問題あり」なカンジなのはわかってもらえるかな。
干支の模様入りは、
1.自分の心にひっかかるようなら避ける
2.相手の心に引っかかるかなと考える
3.でも心の広い信徒さんや牧師さんは無言で許してはくれる
というとこかな。
同様に、干支入りのものを快適に楽しむかどうかは自分でお決めください。
ワタクシは蛇とかは年賀状以外のグッズは自分からは買っていません。
でも、購入したものに「蛇イラストの新茶」とかがついていたら、それは捨てずに使っています。
牧師さんや教団教派によっては「神社に祈願してもらったものはダメ」みたいに教えられている場合もあるかなと思います。
でも、パッケージだけでは本当に神社での祈願付きのものであるかどうかは判別できませんもんね。
ワタクシはそういうものは捨てずに使います。
使い終わったら、干支柄のパッケージは捨てます。置いとくとかはしません。
頼むわー、そんなんモノ見ただけで神社の祈願付きかどうかなんて見抜けませんもん……。
というのがワタクシの本音でしょうか。
しかし、唯一、何の躊躇もなく、気兼ねもなく、良心にもとがめず使える干支の柄がたった一つ……
それは
羊
羊は聖書にも良い意味でたびたび出てきます。
私たちの罪を担って死んでくださったイエス様は「神の仔羊」ですからね、羊にはクリスチャンとしてあっさり受け入れられます。
あとは「神社の祈願付きでない」ことが大事ですかね。
でも、そんなことモノ見ただけでわかんないし。
羊系の神社はあんまり聞いたことがないので(カラスとか狐とかヘビはあるよね)、そういう点でもちょっと安心なのは羊年かな。
2年後?
仔羊おばさん