風通しのいい人生

クリスチャンライフについて語る、祈る。

クリスチャンになることと、クリスチャン生活を送ることと、教会生活を送ることは別物

ワタクシはクリスチャンとして洗礼を受けて38年経ちました。

教会生活も38年。

 

実はついさっきまでオウム真理教の取材をずっと続けてきた江川紹子さん出演の文藝春秋社さんのYouTubeを見ていて、再度

「カルトと宗教」

と言うテーマについて再考したばかりです。

(でも今日はそれについて書く余裕はないのでご容赦を)

 

今日のブログテーマは

クリスチャンになる

とか

洗礼受ける

とか言うけど、それってどういうことなん?

という疑問に対して答えて書いてみたいと思います。

ちなみにワタクシは、もともとはスウェーデンの宣教団体が日本で伝道し、今は日本の宗教法人となっている、世に言う「正統的な」プロテスタント教会に所属するクリスチャンです。

猫 おすまし に対する画像結果

1.クリスチャンになって天国に行くこと。

これはチョー簡単です。

洗礼受ける必要もありません。

極端な話、牧師もいらない。

自分の思いと祈りだけでクリスチャンになり天国に行けます。

 

新約聖書に、イエスとともに十字架刑に処された二人の極悪人の話が出てきます。

一人は自分が本当に悪いことをした、と悔いる気持ちをイエスに打ち明けます。

エス様はその人に

「あなたは今日、私とともにパラダイスにいるだろう」とおっしゃいます。

つまり、この十字架刑に処された人のように、イエス様を救い主として信じれば、それで天国に入れるのがキリスト教、というわけです。

だから、もう自分の人生が終わってしまうことがわかっていて、救われて天国に入りたいと思えば簡単なのです。

どうしてもはっきりと安心感がほしければ、そしてまだ「死」までに時間的な余裕があるなら、例えば病院の方などに「牧師さんを呼んでください。洗礼を受けて死にたい」と言えば、特にホスピスのようなところであれば、牧師さんを紹介してくれるんじゃないでしょうか?

まあ、無責任なことは言えません。

ご家族に頼んでみるとか友人に頼んでみるとかがいい方法かもしれません。

その際、カトリックプロテスタントかについては、そこそこな違いもあるので、ご自分の好みでいいかと思います。でも、この二つが、じゃあ、天国に入るのにどっちがどう、とかはないと言えます。まあ、これから死に臨む、と言う時に本人がこだわる問題ではないと言ってもいいかな。

ワタクシが心配するのは、残されたご家族が亡くなられた方のお葬式や記念会(亡くなられた方をしのんで行うもの)を、そのやり方でやることになる、ということだけです。

まあ、余計なお世話です。

ホスピスなどだと、出入りの牧師さんも都市部などではいらっしゃる可能性もあるかな。そういう方だとあまり迷いがなく、いいやり方かなと思いますが……。

ともかく、はっきり洗礼を受けて死にたい、という本人の希望があれば、受洗することは簡単だ、ということです。

で、極端な話、そんな洗礼を受けなくても、心で罪を悔い改め、イエス様を救い主として受け入れれば、もうそれで救われます。

聖書が伝えているのは、そういうことです。

 

2.洗礼を受けてクリスチャン生活を送る。

この「2」を次の「3」と混同して理解するのが実は一般的です。

クリスチャン生活とは何か?

なのですが、洗礼を受けて、日々聖書を読み祈る。

讃美歌とか聖歌とかゴスペルとか歌って神様をたたえる。

以上がワタクシの考えるクリスチャン生活です。

さらに可能なら献金をする、あるいは奉仕活動(ボランティア)をすると、クリスチャンというものの理解が深まり、クリスチャンとしての生き方ができて、満足度が高まるかな……。

はきちがえてほしくないのですが、ワタクシは本当に聖書に親しみ、日々祈っていれば他人に対し優しい気持ちで接したり、困っている人に手を差し伸べたりすることは勝手にできるようになってくはずだと信じてるんです。

日曜礼拝について、今はYouTubeもありますし、どこかの教会に属さなくてもいい、という一つの考え方です。

ワタクシは東京に行った際、お茶の水クリスチャンセンターというところで持たれている日曜礼拝に参加したりするのですが、そこは「3」で書くような「教会生活」というのが存在しません。

例えば凶悪犯罪を犯して逃亡中なのだが、どうしても救われたくて教会に行きたい、というような時、「個人紹介」とか「来会者カードの記入」とかがないこのような礼拝や集会のみを行っている教会は安心です。

いかにも都会スタイルな集会・礼拝中心な場所です。

いわゆる所属教会を決めずに信仰をキープするやりかたです。

 

3.教会に所属してクリスチャン生活を送る。

一般的に、このスタイルのクリスチャンが圧倒的大多数なのではないでしょうか。

エス様を個人的な救い主として受け入れて、洗礼を受け、その教会で引き続きクリスチャン生活を続ける、というスタイルです。

ワタクシもこのスタイルで信仰生活を続けてきました。

猫 おすまし に対する画像結果

まあ一番無難でオーソドックスで、安定したクリスチャン生活を送ることができます。

教会墓地を所有してる教会とかだと、お墓もそこに入れますし、ワタクシの教会などは結婚式は教会員の場合のみ行っていますが、ワタクシは教会員なので、自分の結婚式はこの通ってる教会で挙行しました。

毎週礼拝で牧師さんのお話も聞けますし、席上献金や十一献金、特別献金などあります。

讃美歌や聖歌、ゴスペルもここで覚え、まあ信仰生活を安定して継続することができます。

牧師や教会の方々は、一般で出会う方よりは優しくて忍耐心のあるかたが多いので、付き合いも楽しく、また、近所の教会であれば近隣の方とも知り合いになれるので、万一災害に遭った時、病魔に襲われた時など、祈ってもらえるし助け合ったりできる心強い知り合いができた、という感じでいいことは多いです。

こういうのは「2」にはないメリットと言えるかな。

注意点は、牧師さんはじめ教会員の方々は神様を信じているけど「神様ではない」ことです。

ワタクシは長い教会生活を送ってきていますので、教会員同士の人間関係や、牧師さんはじめ教会の幹部的な方との人間関係が原因で、教会を離れる方がいるのも見てきました。

また、教会の奉仕がしんどくなってしまって教会を離れる例もあります。

献金が嫌で、洗礼まではよかったけど、その後教会を離れる方もいます。

どれも残念なことで、ワタクシは上記のような理由で教会生活だけでなく、「2」のクリスチャン生活までやめてしまう方がいらっしゃるのは残念でなりません。

他に教会がいくらでも見つけられる都市部ならばいいですが、そうでない場合、「この教会イヤ」となって、信仰の継続までできなくなったらそれほど残念なことはありません。

実際、ワタクシもそういった人間関係や、奉仕が理由で他教会に行きたいと思ったことはあります。それでもずっと教会生活が続いているのは、ある意味「上手に泳いできたから」とも言えます。

(「神様のおかげ」と言うべき?そんないい子ちゃんな発言しないよ!)

今回は、

神様を信じてクリスチャンになること

クリスチャン生活を送ること

クリスチャンとして教会生活を送ること

の違いをざっくり書いてみました。

「教会生活」はもっといっぱい説明すべきなんですけど、もうしんどくなっちゃったので……。

それはまた、別の機会に!

 

仔羊おばさん