【長野県】宿場町を歩く「奈良井」(塩尻市)202105 ※日本塗りつぶし旅・長野県① | 日本あちこちめぐり”ささっぷる”

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観光案内には全くなっておりませんのであしからず。

【長野県】宿場町を歩く「奈良井」(塩尻市)202105

(長野県塩尻市奈良井)

 

世間がGW明けの中、有給をとり、一泊で長野県へ。

実は一人旅で訪れるのは初めて(若いころに大学の集まりでのスキー旅行で行ったことはあるが)。

長野県と一口で言っても結構広く、すべて廻ろうとすると一週間でも足りないだろう。

今回はピンポイントで「奈良井」「松本」を訪問、まずは最初の目的地「奈良井」に向かう。

中山道64宿の中間、江戸から数えて34番目の宿場町で、木曽路11宿と呼ばれる宿駅の一つでもある。

 

 

(国土地理院地図を編集)

 

塩尻の南方25㎞の位置に「奈良井宿」がある。

東京からのアクセスは中央本線の特急「あずさ」で塩尻まで約2時間半、さらに名古屋方面の普通列車に乗り換えて約25分の場所だ。

 

 

山間部に位置し、木曽谷と奈良井川、中央本線の鉄路に沿って街並みが南北に伸びる。

その全長は約1㎞程、標高は932mと十分高い位置にあるが、最も木曾11宿の中でも最も標高が高い宿場町だという。

 

 

 

朝7時新宿発あずさ1号。

狩人の「あずさ2号」を聴いて育った世代だと国鉄型のイメージが浮かぶが、いつの間にか進化したかのような車体である。

 

 

汽車旅の楽しみ、駅弁を新宿駅で購入。

 

 

昭和33年から平成3年まで永らく「田中屋」さんが販売していた「鳥めし」が、平成13年に復刻版として同23年まで販売、そのリバイバルとして販売されている。

その間に「田中屋」が廃業したことで、現在は日本レストランエンタプライズで製造されている。

 

 

塩尻からは中津川行き普通電車に乗り換え、白字にオレンジ帯という東海カラーの車体。

中央本線はこの塩尻で運転系統が分断されていて、東側がJR東日本、西側がJR東海が管轄している。

塩尻から西は「中央西線」とも呼ばれ、これより先は木曽路を辿って南下する。

 

 

 

 

塩尻を出て25分程で目的地、奈良井駅に到着電車

明治42年[1909]開業だが、駅舎はその当時からそのままの木造。

宿場町の雰囲気にそのまま合わせている。

観光客が多く訪れる場所だが、実は特急など優良列車が停車しない。

多くは車でアクセスするんだろうが、それでも駅の至近に観光スポットがあるのは有難い。

 

 

駅を出てすぐに宿場町の町並みが見えてくる。

 

 

案内板には、案内図とともに奈良井宿保存の歩みが記載されている。

 

旧中山道の奈良井宿は、鳥居峠上り口にある鎮神社を京都側の端に、奈良井川沿いを緩やかに下りつつ約1キロにわたって町並みを形成する、日本最長の宿場です。

奈良井宿保存の経過としては、近世の民家として高い価値を受けた中村邸の宿場外移設問題を契機に、身近な歴史的資産の再確認と継承・維持を目的とした官民学連携による町並み保存運動が、他に先駆けて始まったのが昭和43年のこと。

その後、国の伝統的建造物群保存地区制度を受けて刊行された「町並み保存対策調査報告書」に基づいて保存条例(保存計画)が施行され、昭和53年に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。<後略>

注・「日本最長の宿場」と紹介されているが、実際はそれより長い宿場が旧東海道の関宿で、約1.8㎞。

 

 

国の重伝建制度が施行されたのが昭和51年。

奈良井宿が重伝建指定を受けたのが同53年3月で、全国では10番目に早い。

それより10年も前から件の街並み保存の運動が行われ、その結実として現在も往時の町並みをとどめている。

 

 

駅からすぐが宿場町の古い町並み。

地元民以外は車の通行ができないので、徒歩散策には優しい。

 

 

古い石垣が残っている桝形。

 

 

街道沿いに水場が設けられているのが、奈良井宿の特徴の一つ。

沢水を引き込んだ水場は6か所置かれており、生活用水や飲用水として利用されている。

 

 

約1㎞にも及ぶ宿場町は、京都側から「上町」「中町」「下町」と呼ばれていた。

駅に近い方が「下町」。

この辺りが一番道幅が狭く、両側の屋根が重なり合うかのように町家が並ぶ。

 

 

二階に円窓がある「柳屋漆器店」。

標高が高い場所にあり、農作業に適さないこの地を支えているのは、周辺の山林資源を利用した木工工芸や木曾漆器だった。

奈良井には、こうした漆器の店が所々に見られる。

余談ながら、奈良井の隣町である木曽平沢は、その木曾漆器の街で重伝建指定を受けている。

時間あれば、セットで訪れたかった。

 

 

奈良井の町家の特徴として、一階よりも二階が通り側に出張っているのが多いのが分かる。

 

 

これは「出梁(だしばり)造り」と呼ばれ、一階よりも二階を通り側に持ち出し、それを梁で支えているのだ。

 

 

町家の高さがまちまちで、軒線が揃ったシークエンスでないのがわかる。

近代に入り、建築年代が新しいほど軒高が高くなっていったことで、建物ごとの屋根の位置に変化が富んでいる。

 

 

古い町並みに必ずある赤い丸ポスト。

思わず撮ってしまうカメラ

 

 

重伝建地区選定の石碑には「楢川村奈良井伝統的建造物群保存地区」とある。

当時は「楢川村」という村で、平成17年[2005]の大合併で塩尻市に編入されている。

塩尻市街地から奈良井までは25㎞程離れている。

 

 

ちょうどこの辺りから「中町」に入る。

それまで両側から屋根が重なり合う感じだったのが、道幅が広くなったことで見通しよく感じられる。

 

 

間口の広い平入造りの町家が並んでいる。

一階部分に「蔀(しとみ)」がある、手前の「つちや」は天保年間の建物だという。

 

 

奈良井宿には寺院が点在し、いずれも街道より山寄りに集まっている。

その一つである大宝寺は天正10年[1582]、奈良井義高によって創建された。

 

 

大宝寺の境内には、首が切られたマリア地蔵が残っている。

昭和7年に村人たちによって発見されたもので、隠れキリシタンがひそかに祈るために作られたものだという。

胸に十字架が提げられ、子供(キリスト)を抱いたこの像、首がなく子供の顔も原形をとどめないぐらいに破壊されており、当時の宗門改めが苛烈さを物語っている。

 

 

大宗寺を出て、再び街道へ向かう。

通りに面して間口が狭く、奥行きが深い短冊状に敷地割されているのが分かる。

敷地内には通りに面して主屋、奥へ行くほど蔵や離れを配している。

 

 

ちょうど宿場の中心に観光案内所がある。

そこからは幕末頃の牛馬宿からの旅籠「伊勢屋」と寛政年間からの旅籠「越後屋」が向かい合っている。

 

 

「ゑちごや」と看板が掲げられている旅籠「越後屋」には、島崎藤村や正岡子規といった文人も逗留したことがあるという。

現在も1~2組限定で宿泊を受け入れている。

 

 

庇を吊り金具と猿頭と呼ばれる桟木で支えている様式は、奈良井独特のものだろう。

 

 

向かいの旅籠「伊勢屋」.、こちらの庇も吊り金具と猿頭で支えられている。

重ねた庇板が鎧の袖に見えることから「鎧庇」とも呼ばれる。

簡単な構造のようで、実は二階からの侵入を防ぐ泥棒除けの役割も持っていた。

 

 

 

明治天皇が立ち寄ったことがあるという「上問屋 手塚家住宅」。

天保11年[1840]築の国重要文化財指定である。

手塚家は代々問屋を務め、庄屋も兼務していた。

こちらは資料館として公開され、中も見学できる。

 

 

 

 

 

その先の通りがクランクしているが、これは「鍵の手」と呼ばれるものだという。

「桝形」と同じように遠くから道を見通せないように、外敵を防ぐ手段としてわざと直線状にしなかった。

 

 

「鍵の手」を抜けると、「上町」の町並みに入る。

 

 

天保年間に建築された櫛問屋の「中村邸」。

間口が狭く、入口が低いので、屈まないと入りづらい。

こちらも中が見学できる。

 

 

近世を思わせる町家が並ぶ中で、ひと際珍しい洋風建築。

何でも、かつては診療所だったそうだ。

 

 

ここまで歩くと宿場町もようやく終盤。

突き当りに南の入口にあたる鎮神社が見える。

 

 

高札所跡。

高札は復元されたものだろうが、こうした形で旅人にお上からの禁令を知らせていた。

 

 

桝形に残る石垣の上に鎮神社。

 

 

本殿は寛文4年[1664]築だというが、掛屋がかけられ、その前面を拝殿に充てていりため、祭礼時以外は見ることができないという。

因みに、宿場の南北の入口には神社を配しており、北側は八幡神社が控えている。

 

 

山門から宿場を望む。

京側から入る旅人は、難所の鳥居峠をやっとの思いで越えて奈良井に入り、一息を入れる。

そうした旅人たちでごった返した奈良井宿は木曽路でも特に賑わいがすさまじく、「奈良井千軒」と称する程だった。

 

余裕があれば鳥居峠を越えて次の藪原宿(そこに関所が置かれていた)へ向かいたいところなれど、ここで駅へ引き返す。

 

 

さて、1㎞にも及ぶ街並みを歩き終えて、ここらで一息。

観光客も多く訪れる奈良井、食べる場所には困らない。

今回は天保年間の建築といわれる「徳利屋」さん、昭和15年頃まで旅籠だったという。

 

 

 

信州だけあって蕎麦はやはり旨い。

今回注文したのは、やはりご当地名物である五平餅とセットの定食。

五平餅といえば小判型で串に刺して焼いたものをイメージするが、こちらは丸形。

胡桃や胡麻、山椒味噌と3種の味付けがされているが、やはり米粒の触感だろう。

 

 

奈良井駅構内の跨線橋から臨む。

山に挟まれた谷底、鳥居峠に向かって線路沿いに並ぶ家々の屋根。

これまで歩いてきた町並みを俯瞰できる。

説明不要の観光スポットとはいえ、実際に訪れると感嘆せざるを得ない程に色濃く残す古い町並みを堪能し終え、今回の宿泊地である松本へ向かう。

 

(訪問 2021.05.06)

 

 

日本塗りつぶし旅(1)長野県

 

 

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