「”不幸な親”を持った子ども」と「きょうだい児」の共通点
「きょうだい児」とは、病気や障害を持つ子どもの兄弟姉妹として生まれ育った子どものことを指します。
親御さんは病気や障害を持つお子さんの方に時間を使ったり気持ちがそちらに向いてしまうことが多くなり、結果として他の兄弟姉妹へは手が回らず、寂しい思いをしながら育つことも多いようです。
きょうだい児というものを初めて知ったとき、私と似ている部分があるように感じました。
「子どもである私が貰えるはずの愛情が貰えていないような感覚」とでもいうような感じです。
※あくまでも私が似ているな、そこは共通するな、と思ったことです。
そうじゃないと感じる方もいらっしゃると思います。念のため。
私がまだ小さい頃は母から愛されていると思っていました。
小学生、中学生と成長するにつれ、逆に私が母を愛することを望まれていると感じられるようになりました。
親が子どもに対して「私のお母さんになって!」と言っているようだと表現されるような感覚です。
母自身から感じていたこと以外にも、周りの親戚たちの影響もあったのだと思います。
親戚たちからは「お母さんは悪い男に捕まってかわいそうなのだから、お前はお母さんを大切にしないといけない。お母さんの言うとおりにしないといけない」とよく言われていました。
“かわいそうなお母さん”を手助けするためにお前に親切にしてやるのであって、“お前が子どもだから”という理由で親切にしてやっているのではないんだよ、言われているようでした。
母がかわいそうな分の埋め合わせを私がしなければいけないのだ、とも思っていました。
かわいそうで大切にされるべきであるのはお母さんであって、子どもの私はかわいそうではないのだから、お母さんを大切にする側の役目を負うべきだ。
お母さんを不幸にした男の子どもなのだから、代わりにお前が責任を取るべきだ。
そう言われているように感じていました。
もちろん親戚たちに悪気はなかっただろうし、そんな意図もなかったのだろうと思います。
「親孝行してあげてね」くらいの感覚だったのでしょう。
あるいは「自分の意志もはっきり言えない頼りない子どもだから、しっかりしなさいと言ってあげなくては」という気持ちだったのかもしれません。
ただ、周りの人たちは全員母の味方で、私の味方はいないのだな、と子どもだった私に思わせるには十分でした。
実際、母は不幸だったのだろうし、当時の母にできる精一杯の愛情を受け取っていたのだろうと思います。
母と私の感覚が違いすぎて、それが私には愛情に見えなかったのだとしても、そこは相性が悪かったのだと大人になった今はそう思います。
それでも結果として子どもの生きづらさの原因になるとしたら、子どもの幸せのために親ができることは「親自身が幸せでいること」なのだろうな、と思います。ありきたりですが。