こんにちは。今日からお仕事です♪
お昼休み12時07分に、2つのお知らせがありましたね(・∀・)✨毎日新聞さんは、webでしかみれなかったインタビューを今日の夕刊紙面に✨コンビニに帰りも行かなくては✨*\(^o^)/*
そして高木さんからも✨
こう来たか!のお写真✨ステキです♪
矢口さんありがとうございます😭
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フランスのメディアより
決意表明会見をうけての記事です٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
見出しがステキな言葉なので紹介します
一部省略 ざっくり意訳
比類なき日本人スケーター、羽生結弦
7月19日火曜日、東京で行われた記者会見で、羽生結弦は競技から離れることを発表した。
日本のフィギュアスケートスター
1994 年に仙台で生まれた羽生結弦が、初めてスケート靴を履いたのはわずか 4 歳の時でした。この若き天才は、その柔軟性とジャンプの正確さですぐに頭角を表し、故郷の仙台で、羽生の人気が急速に高まっていきました。
その後、2012 年に練習拠点をトロントに移し、カナダ人コーチのブライアン オーサーの指導を受けます。
羽生は持病の喘息を抱えながら、ジャンプ技術を完成させ、持久力を伸ばすことを学んでいきました。2014年ソチオリンピックで初の金メダルを獲得。
彼はオリンピックにおいて、男子シングル初の優勝を果たした最初のアジア人となりました。
この偉業は、ショート プログラムで 100 点台を破った最初の男になったことと、史上 2 番目に若いオリンピック チャンピオンになったことで、より一層の注目されました。
怪我で中断されたキャリア
2014 年から 2018 年にかけて、羽生結弦は競技会で多くのメダルを獲得しています。しかし、彼の勝利は多くの健康上の不安と密接に関連してきました。羽生はキャリアを通じてそのことに直面し続けてきました。
2014年中国杯での衝突事故、その年末には激しい腹痛のために入院し、大きな手術を受けなければなりませんでした。羽生は数週間、氷上に戻ってスケートをすることができなくなります。
しかし、これらの怪我は彼のキャリアの進歩を止めることはありませんでした。
羽生は技術を高め続けていきます。
それからも複数の深刻な怪我に見舞われながらも、平昌オリンピックで2度目の金メダルを獲得しました。
羽生は今や国民的なヒーローだと見なされ国民栄誉賞も授与されました。これは、創設以来 24 人の受賞者しかいないというとても名誉あることです。
そしてパンデミックにより多くの大会が中断された中、羽生はさまざまな大会に出場しました。
最後に、日本で最も成功したスケーターは、7 月 19 日に競技からの引退を発表しました。
ですが、彼はスケートからは離れないと話し、ファンを安心させました。
彼はこれからはアイスショーに焦点を移します。
さらにこれから先も長い間、
全世代のヒーローであり続けることを
願っています。
一部省略 ざっくり意訳終わり
写真 スポニチ小海途カメラマンさん