秋めくや尊徳像の座すままに

すっかり秋らしい気候になった。晴れた土曜日の朝、久しぶりに少しだけ遠出をした。目的地は平安神宮の近くにある、京都国立近代美術館。特別展として「発見された日本の風景」展を月末まで開催しているとの事で、長らく行っていなかった美術館へ足を向けた。その隣の図書館に、何やら読書をしている銅像。見ると、二宮金次郎(尊徳)の銅像だった。私たちが知っている二宮金次郎像と言えば、薪を背負って歩きながら本を読むお馴染みの姿。それを見慣れているため、何か違和感を感じてしまう。秋の抜けるような青空の中、黙々と書物に目を通す姿。時代が変わってしまったという寂しさを感じて詠んだ句。

昔から、二宮金次郎像は勤勉の象徴として、好んで学校に建てられたという経緯がある。今はそもそもそういうモニュメント自体を作らない。さらに既存の像に対して、「歩きスマホを助長している」というクレームを付ける人もいると聞く。少し心配しすぎだとは思うが、主張は分からなくもない。今はバーチャルの世界がよりリアルに変貌を遂げ、その世界に入りやすくなってきている世の中。歩きながら書物を読む姿を見て、それを手本にする人がいてもおかしくはない。それほど世間があらゆる事に対してナーバスになっているという事だろう。「勤勉と言えば尊徳像」という根強い固定観念があるが、考えてみると、それ以外にも勤勉を説く方法はある。時代が変われば変わるほど、柔軟な発想と多様な表現力が必要なようだ。

 

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コダマヒデキ~音楽と俳句の部屋~